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2007/05/05

『三つのオレンジへの恋』(リヨン歌劇場)

子供の日記念

Dvdtrois_orangeslyon DVDライブラリーより。

1989年、ガーディナーからリヨン歌劇場音楽監督の座を引き継いだケント・ナガノの就任記念公演のプロダクション。ジャン=ピエール・ブロスマンとともに二頭体制でこの歌劇場の総監督を務めていたルイ・エルロが演出を担当している。が、そのエルロはここで、ピーター・ブルック一座のアラン・マラトラの協力を仰いでいて、その舞台もシンプルな基本セットの中にモダンでスタイリッシュなデザインを織り込み、ブルック流の舞台が現出している。真っ白のパネルを組み合わせて作った壁が場面によって形を変え、そこが開いて登場人物たちが出入りしたりするが、小道具が極力排除されていて(出て来るのは椅子、マリオネット、傘、ロープ、そして巨大なオレンジ)、地域性や具体性といった要素も消し去っている。「なにもない空間」で繰り広げられる寓話劇。コロスとしての合唱団の動かし方も面白いし、小人の使い方も上手い。

歌手は適材適所の布陣だが、ヴィアラやペラガンといった若手をベテランのバキエが引き締めて、全体を上手く落ち着かせている。ケント・ナガノの指揮はひとことで言えばシンフォニック。よく音楽を鳴らし、リズムも鋭敏だ。プロコフィエフに対する十分な適正を示した格好だが、表現がやや単調なのが気になるところか。映像は普通の舞台のナマ収録ではなく、カメラを自在に動かしながら、この親しみやすいようでいて、その癖空恐ろしい作品が持っている歪曲性といったものを強調した特別映像版になっているが、意図も明確で説得力があり、見ていて非常に面白い仕上がりだ。

euridiceさんの丁寧な記事がありますので、そちらを参照して下さい。

★★★☆

クラブの王:ガブリエル・バキエ
王子:ジャン=リュック・ヴィアラ
トルファルディーノ:ジョルジュ・ゴティエ
ニネッタ:カトリーヌ・デュボスク
料理女:ジュール・バスタン
クラリーチェ王女:エレーヌ・ペラガン
レアンドル:ヴァンサン・ル・テクシエ
パンタロン/ファルファレッロ:ディディエ・アンリ
チェリオ:グレゴリー・ラインハート
ファタ・モルガーナ:ミシェル・ラグランジュ
ニコレッタ:ブリジット・フルニエ
リネッタ:コンスエロ・カロリ
スメラルディーナ:ベアトリス・ユリア=モンゾン

合  唱:リヨン歌劇場合唱団
合唱指揮:ドナルド・パルンボ
管弦楽:リヨン歌劇場管弦楽団
指  揮:ケント・ナガノ
美  術:ジャック・ラップ
衣  裳:フェルディナンド・ブルーニ
映像監督:ジャン=フランソワ・ジュング
演出協力:アラン・マラトラ
演  出:ルイ・エルロ

[  収録:1989年、リヨン歌劇場  ]

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コメント

Orfeoさん
ほんと、子どもも楽しめそうですね。

リンク&TB、ありがとうございます。こちらからもTBしました。よろしくお願いします。

投稿: edc | 2007/05/05 09:21


>edcさん

ハイ!楽しめました!(爆)

相互TBありがとうございました^_^;;

投稿: Orfeo | 2007/05/05 16:12

 おお!、懐かしいのが出ましたねえ。ジョン=エリオット・ガーディナーの後任としてケント・ナガノを新音楽監督に迎えたリヨン歌劇場が真っ先に制作したオペラがこれで、これが破格の大成功、ナガノ音楽監督時代を通じ、リヨン歌劇場、後のリヨン「国立」歌劇場の符牒的制作として、(日本以外の)世界を廻った制作でした。もう、2年に1度くらい再演されていたんで僕も3度くらい見てます。
 ケント・ナガノがフランスに初登場したのはオリヴィエ・メシアンの《アッシジの聖フランチェスコ》世界初演シリーズで、世界初演を振った小澤征爾がシリーズの公演を1度だけ当時助手を務めていたケントに委ねた時だったというわけ。
 ついでに、この《アッシジの聖フランチェスコ》世界初演に関して誤った情報が流されているようなんで訂正しときますが、小澤はケントにリハーサルを全部やらせ、自分はギリチョンにやって来て公演を振っただけ…、だから彼はそのお礼に本公演を1度だけケントに委ねたんだなんて、とんだデマを流している評論家やジャーナリストが結構いましたが、とんだ偏見で、この年ボストンでシーズン開幕コンサートを振った小澤は、その直後既に9月パリ入りして、他の仕事を一切断って、12月末に《聖フランチェスコ》の初演シリーズが終わる12月末までパリに居続けだったんです。この3箇月間、小澤はケントに準備を任し、自分はパリでヴァカンスやってた…と言うんでしょうかねえ?…。つまらん偏見がどんなデマを流すか?…ですね。
 これで認められたというわけでは決してなく、既にカリフォルニア時代《渓谷から星たちへ》をケントが振っているのを聴いたメシアンがこれを大変気に入って、彼をブーレーズに紹介した。ブーレーズも高い評価を与え、アンサンブル・アンテルコンタンポランの常任指揮者に任命しちゃったことで、しょっちゅうパリに登場するようになったんです。当時のケントは、だから現代音楽専門の指揮者、20世紀音楽しか振らないという異色指揮者だったんです。そういや、当時彼がバッハの《組曲》を採り上げたことがあって、あれれっ?なんて思ったことがあったんですが、実際にコンサートに行ってみたら、何とマーラーによる編曲版だったんです。
 リヨン就任には、皆、アッとと驚いたものですが、これまた小澤征爾がパリで振ったR・シュトラウス《エレクトラ》の再演を担当した一晩、当時リヨン歌劇場の総監督だったジャン=ピエール・ブロスマンがケントの楽屋を訪れ、ガーディナーの後任の話を持ち出すと、その場で一発で決まっちゃったなんて話がありました。その条件が、自分は20世紀のオペラしか振らない…というものだったんです。メジャー歌劇場の音楽監督が20世紀物しか振らないとなると、これはちょっと問題があろうと思うんですが、ブロスマン氏はこれをそのまま呑んで、即座に就任が決まったというわけ。案の定エラート=ワーナーと専属録音契約を結ぶまでリヨンでのケントのレパートリーは全部20世紀の作品でした(…このことはあまり知られていないみたいですが〜笑〜プッチーニも20世紀の作曲家です!)。…それで開幕作がプロコフィエフというわけ。
 もう一つ、ガーディナー以来リヨン歌劇場が力を入れていたのがコメディー部門で、ガーディナーが仏オペラ・コミック部門の一連のオペレッタ作品を見事な現代感覚から蘇生させたのに続き、ケントも20世紀の作曲家という限定付きでこの部門に随分力を入れていたんです。…というわけで開幕作に《三つのオレンジへの恋》…というわけだ。
きのけん

投稿: きのけん | 2007/05/08 06:58

勉強になりました。

>とんだデマを流している評論家やジャーナリスト
誰だろう......
メシアンに小澤が指名されて振ったって書いているものもありますし、ものすごく長い曲だし、気合いを入れてのぞんだはずですよね。どこからそういう発想がでてくるんでしょうね。

リヨンのオペラはけっこう映像化されてますね。

投稿: keyaki | 2007/05/08 10:19


・・・うん、リヨンは早い時期からミンコフスキも招いているし、そういう方面のセンスはいいみたいですね。ミンコフスキにしたって、現在、ルーヴル宮の本拠地であるグルノーブルにはオペラ劇場がないから、グルノーブルからもそう遠くないリヨンはなにかと便利。気に入っているんじゃないですかね。

それにしても、20世紀音楽しか振らないという条件を出して、それを呑んだほうもスゴイですよね。ケント・ナガノも、己の領分がちゃんと分かっているんだ。だから最近ワーグナーなんかを振ると・・・(以下、強制削除w)

投稿: Orfeo | 2007/05/08 14:10

keyakiさん:
>>とんだデマを流している評論家やジャーナリスト

>誰だろう......

いえいえ、これはフランス人のいちばんえらいジャーナリスト=音楽学者の一人(故人)で、お前みたいな権威ある奴がそんなデマを流してはいかんじゃないか!とタテついたというわけなんだ(笑)。
 そうそう、それで思い出したんですが、あれはまさにその《三つのオレンジへの恋》の演出家で当時リヨン歌劇場の総監督の地位にあったルイ・エルロを囲んだ昼飯の時でした。そいつが、エルロにおべっかを使うあまり、ケントを褒めはじめ、あのメシアンのオペラの上演準備を全部やったのは、実はケントだった…なんていうデマをまことしやかに吹聴すると、他の奴らも皆そいつに同調して、そうだそうだ!なんて言いやがるもんで、冗談じゃねえやい!、オレはその年の小澤のスケジュールを全部持ってるぞ、それによると…なんて話になったんでした。

 ルイ・エルロという演出家は本国フランス以外〜否、本国だって、リヨン以外では…〜あまり知られていない人なんですが、なかなか優秀な人でした。生い立ちは、ちょっとジャン=ピエール・ポネルと似たところがありまして、ポネルが学生時代、留学していたドイツから、当時西側に進出してきて飛ぶ鳥落とす勢いだったブレヒトのベルリナー・アンサンブルの仕事をロラン・バルトなんかがやってた演劇誌『民衆劇場』にさかんにレポートを送っていたのに対し、エルロという人はジャン・ヴィラールの国立民衆劇場周辺の演劇部門から出てきた人。もしポネルみたいに個人そして国際キャリアを優先していたら、少なくともポネルくらいの名声を博しただろう人でなんでしょうが、結局全キャリアを通じオペラ座の総監督みたいな行政職に就くことなく、あくまでフリーで通したポネルと異なり、エルロの方は、どうも行政的な野心があったみたいで、指揮者のセルジュ・ボードと手と手を取り合って、リヨン歌劇場の総監督として、リヨンの音楽界を盛り立て、それが30年以上に及んだわけですね。ボードが引退し、エルロが辞め、ジャン=ピエール・ブロスマンがシャトレ座へ転出しちゃってから、落ち目ですが、リヨンという町であれだけ音楽が盛んになり、オペラ座なんかもパリに次ぐ地位を与えられたのも、本当はエルロのお陰なんだよね。僕は、この人、ポネルなんかよりも余っ程優秀な人だと思ってたから、本人にそれをぶつけたんだよ。貴方が、もうちょっと演出家としての自分のキャリアを優先しなかったのは残念だ…って。そしたら、やっぱり自分には、むしろ行政職…アーティストでそういう仕事がよくできる人もあまりいなかったもんで…が向いてるように思ったから…なんて言ってましたが。
 ポネルの場合は、あの人は美術出身(フェルナン・レジェの弟子)なんで、それが彼氏のコンプレックスになってるわけ。だから、彼の演出で、歌手をさかんに動かすのは、そのコンプレックスが裏返しになって出てるんだよね。ちゃんと演技指導だって、歌手を動かすことだってできるんだぞ!…というわけで、彼がインタビューなんかで、自分は美術出身だけれど、自分の演出はただ単に舞台装置をおっ立てて、ただそれだけってもんじゃないぞ!…なんてムキになって強調するのはそのため。その点、エルロの方は、もともと演劇出身の人だから、そういうコンプレックスに無縁なんだよね。
 それから、この二人の共通点は、ご本人は、そうたいしたことはない(笑)…というのに、その周囲に大変優秀なスタッフを集めていた点にあるんです。ポネルの場合は、さらに徹底してて、あの人の演出ってのは、それこそ、作品研究の次元から、演技指導、美術、衣裳、照明まで、それこそ何から何まで助手グループが実務に当たっていたわけで、御大は最後のまとめをやるだけなの。オペラ専門の演出家として、これは大変頭のいいやり方で、芝居の演出家だったら、シーズンに2本か、せいぜい3本くらいしか新演出を発表できないところ、ポネルは年に最低10本くらいは新演出を発表していたでしょ。ああいう真似は、例えばシェローみたいに何から何まで自分の手仕事でやらないと気の済まない人にはできない。
 エルロの場合、ポネルみたいに、ほとんど株式会社みたいな風にはならなかったし、なる必要もなかったんですが、彼の演出の際立った魅力は、その時々の演劇界で活躍する人たちの最も優れた部分を協力者として採り込んでくるんで、その時々の演劇界の斬新なものが反映してくるところにあったですね。この《三つのオレンジへの恋》の場合も、アラン・マラトラなんちゅうピーター・ブルックの片腕みたいな奴が参加してるんで、あれ!、こいつ、なんでここにいるんだ?…なんて驚いた憶えがあるんですが、その後も、えっ、これがエルロの舞台?…なんて思うと、ちゃ〜んと助手や美術なんかに演劇界の最先端で活躍している奴がちゃっかり参加していたり…。
 う〜ん、そうか、だから「自分は行政職の方にに向いてる」なんて言ってたんだな。
きのけん

投稿: きのけん | 2007/05/09 12:30


きのけんさん、いつもながらの詳細な解説、ありがとうございました^_^;;

なるほどねえ。となると、エルロの舞台というのは、協力者次第によって、随分様変わりした、ということでしょうか。面白い人ですね。他の制作もDVDで出てくると尚面白いんだけど・・・。

ポネルのようにまるで工場生産するかのような仕方の人もいれば、シェローのように手工業の職人もいる。演出家って人種も、人それぞれですね。そういや、パスカルもポネルのスタッフの一人だったわけですからね。そりゃ優秀なわけだ!(どっちが?w)

投稿: Orfeo | 2007/05/09 16:31

keyakiさん:

>リヨンのオペラはけっこう映像化されてますね。


 実は、日本のパイオニアが大挙して入ってたんです。それがブロスマン総監督の戦略と合致して、なんか新制作毎に映像を撮ってましたねえ。僕も、オペラ用DVDの仕様をどうするか?…なんて話でパイオニアからタイユヴァンで接待されたことがあったですよ。タイユヴァンなんかで接待を受けたのは、あれが最初で…最後でしょう(爆)。カラオケでよっぽど儲けていたんだね…。
 ブロスマンがシャトレ座に移ってから、シャトレ座がさかんにDVDを出すようになったのもブロスマンのお陰です。

orfeoさん:
>早い時期からミンコフスキも招いているし

 例の大喧嘩になったラモーね(笑)。あれはブロスマンの勇み足で、これからのオペラ演出は現代舞踊家だってんで、カーリン・サポルタを呼んだら、これがミンコと大喧嘩。間に入ったパスカルがあたふた(笑)。御陰さまでパスカルがブロスマンの恨みを買って、あいつからとことん嫌われちゃった。僕は、カーリン・サポルタの方をちょっと知ってたんで、さんざんぱらミンコの悪口を聞かされましたよ(笑)。でも、あれはブロスマンの先走りで、カーリン・サポルタみたいな独裁者が他のアーティストと協力できるわけがないの!そして、彼女は自分の思うがままに出来なくてはダメになっちゃう人なの、マギー・マランみたいに器用じゃないから。…その辺り、見誤ってたんだね。だからパスカルがノイローゼになるくらい大迷惑した(笑)。
きのけん

投稿: きのけん | 2007/05/10 07:31

1981年4月「ドン・ジョヴァンニ」カサドシュ指揮、ルイ・エルロ演出、美術ジャック・ラップのリヨンのプロダクション

なんていうガルニエの公演はご覧になりましたか。ライモンディとバキエで、「パリ・オペラ座」の著者の方は、誉めて下さってます。

最近、パイオニアは、DVDからも撤退しているようですね。
メトのエルナーニがLDからDVDでパイオニアだったんですが、こんどは、ドイツ・グラモフォンから再販されるようです。

投稿: keyaki | 2007/05/10 10:34


僕も近いうちにパリに行くことになりそうなんだけど、どこか、タイユヴァンで接待してくれないかなあ(爆)。

投稿: Orfeo | 2007/05/10 12:23

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これもオペラ事始めのころ見たオペラのひとつですが、この映像ではありません。グラインドボーン音楽祭のものでした。筋も何も知らずに見たのがいけなかったのかもしれません。すぐに夢の中を数回やったかどうかで、何にも覚えていませんでした。好きな絵本作家のモーリス・センダックが舞台美術を担当していたのに・・・やはりオペラというものはある程度の知識を持って鑑賞したほうがいいようです。そういうことで、ネットのお友だちからたくさんの情報(「3つのオレンジへの恋」放送します ⇒ 終了しました、プロコフィエフ:《三つの... [続きを読む]

受信: 2007/05/05 09:17

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