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2007/03/16

『トリスタンとイゾルデ』(オランジュ音楽祭)

Dvdtristanorange DVDライブラリーより。

1973年夏の南仏、オランジュ音楽祭の映像。テレビ中継用に撮影されたものです。というわけで、風の音など、かなり雑音が入っていて音も悪く、というか、遠いし、途中カットもあったりして、映像としても相当古めかしい。ですが、だからといって、その価値が落ちるなんて考えたらとんでもない!ニルソン、ヴィッカーズによる《トリスタン》!しかも、指揮するのはフランスのオケとやたら相性がいいカール・ベーム!!記録としては大変貴重な映像です。それに、通常公演でアーティスト側の都合でカットが入るのはしょうがないこと。これはスタジオ
録音とはわけが違うんですから・・・。

ただ、それでもやはり問題があります。このプロダクション、実はあのレーンホフの演出によるものでしたが、映像に付いたクレジットからはその名前が消えています(ちなみに、レーンホフはこの前年の1972年、パリ・オペラ座での『影のない女』で演出家デビューを果たしたばかり)。それも当然のトンデモ映像なのです。ブライアン・ラージも真っ青、というそのどアップ多用の映像はちょっと酷すぎます。これでは「夜のヒットスタジオ」レベルです(負けてるかもしれない・・・というより、懐かしい!w)。光を強調して取り込むところなんざ、まさに歌謡ショー。セットは極々単純で、ライト付きの小さめの円形の演技エリア、その中に円弧を描いた階段がしつらえてあって、それが組み合わせ方で場面によって形を変えます。そして、それがオランジュ古代劇場ならではの巨大な壁の背景をバックにしてポツンと置かれているところがミソなんですが、その舞台の全景が映し出されることは、本当瞬時しかありません。これでは演出家が怒るのは当然です。さながら新バイロイト様式の趣きさえあるシンプルな作りの舞台で、照明も非常に美しく整えられていて目を見張らせるのですが(その意味で、いかにもアドルフ・アッピアからヴィーラント・ワーグナーへの系譜に連なる演出だと思います。さすがはヴィーラントの助手としてキャリアをスタートさせただけのことはあるなあ!)、その一部分しか映らないようでは、演出家としてはたまったもんじゃありません。この後、自身、演出家としても仕事をすることになるピエール・ジュルダン(cf. コンピエーニュ・インペリアル劇場『ミニョン』)の撮影ではありますが、こんな感性で演出の仕事なんて満足に出来るものなんでしょうかね?(爆)この映像に強く影響を受けたのがブライアン・ラージ、ということ?やれやれ・・・。

公演はベームやニルソン、ヴィッカーズといった指揮者、歌手たちが主導する名舞台だと思います。せめてもう少し音がよかったら、とは思いますが、プロヴァンス地方は夜になるとかなり冷え込んで、ミストラルという突風が吹き荒れます。だから、雑音が入るのは致し方ないところ。それも含めてプロヴァンス。私も過去、エクスで散々やられました。オランジュ、一度は(といわず)行ってみたいぞ~!(笑)

それにしても、最後、ベームが和音を終息させて曲を終わらせるやいなや、激しい賞賛の声が客席から湧き上がったのと同時に、画面中央に大きな文字で、

Vous venez de voir TRISTAN ET ISOLDE
(皆さんはたった今、『トリスタンとイゾルデ』を見終わったところです)

とやるのは、さすがに時代がかってる気がしたんだけど、これはフランスでのオペラ放送(テレビ)の流儀だそうで、きのけんさんによると、今なおこの伝統は受け継がれているそうです。す、すげえな!近接過去だよ!(そういう問題ではないw)・・・というか、なんだかこっ恥ずかしいぞ!!(爆)

(音楽)★★★☆
(映像)★

イゾルデ:ビルギット・ニルソン
トリスタン:ジョン・ヴィッカーズ
ブランゲーネ:ルート・ヘッセ
クルヴェナール:ヴァルター・ベリー
マルケ王:ベングト・ルンドグレン
メロート:スタン・ウンルー
船乗り/牧童:ホルスト・ラウベンタール

合  唱:ニュー・フィルハーモニア合唱団
合唱指揮:ヴァルター・ハーゲン=グロル
管弦楽:フランス国立放送管弦楽団
コーラングレ・ソロ:ポール・テユフェル
指  揮:カール・ベーム
美  術:ハインツ・マック
衣  裳:ハインツ・マック、ドナルド・カードウェル
撮  影:ピエール・ジュルダン
演  出:ニコラウス・レーンホフ

[  収録:1973年7月7日、オランジュ古代劇場  ]

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コメント

>皆さんはたった今、『トリスタンとイゾルデ』を見終わったところです

わぁ、超親切。
これがオペラ放送だけの流儀なら納得です。途中でも拍手が入るので、どこで終るのかわからないですもんね。
でもテレビドラマにも適用されているとしたら、
今から始まると思ってももう遅いよ、バァ〜カ、終っちゃったんだよ....ということですね。

最近は、映画とかドラマで「終」と出すのが少なくなっていますね。昔の日本映画なんかは、「終」という字が、遠くからやってきて、それが停止して、ハイ、終わりというかんじでしたけど。あちらの映画は、FINEとか出てましたね。

投稿: keyaki | 2007/03/16 09:12

>・・・というか、なんだかこっ恥ずかしいぞ!!(爆)

 …これはむしろ Orfeoさんのフランス語感覚の方がおかしいと思います。こういった場合に近接過去を使うというのはフランスの放送業界での慣用句みたいなもんなんで、僕なんかは全然違和感ないです。FRANCE MUSIQUEのラジオ番組なんかでも、コンサートの中継直後やレコードを掛けた直後のアナウンスに "Vous venez d'entendre..."を使うことが多いですね。多分、このDVDのソースはテレビ録画をそのまま使っちゃったからじゃないかと思います。
 ただ、僕が昔見たヴァージョンでは、そういう放送用の箇所は全部カットしてあったみたい。記憶違いでなければ、最後に舞台の中心のあの円形の装置からキャメラが次第に遠ざかっていき、その間にクレジットが流れていたんで、あれっ?、テレビの録画とは別に映画を撮ったのかな?…なんて思った記憶があります。ひょっとしたらヴァージョンが2つあるかもよ?…。

>「どアップ多用の映像」

 の問題については、ちょっとまともに考えてみるべき課題でしょう。つまり、テレビやヴィデオの画面で最も映えるのが、まさにその「どアップ多用の映像」なんじゃないか?…という点ですね。映画ファンなら、そのことをよく知ってる。映画でシネマスコープができた時、その辺りに無感覚な監督がスタンダード・サイズの感覚で「どアップ」を多用しちゃったりすると、えらいグロテスクなことになる。
 実は、本物のシネマスコープを原寸大、実物大で上映できる映画館なんて、パリでも数軒しかないんです。大抵ははしょって、ただの横長画面版か70ミリ版でお茶を濁してるんですが、あれを原寸大で映すと、これがすさまじい大きさなんですよね。そこに「どアップ」が出ちゃったりすると、これがグロテスクの極み…なんだよね。その代わり、風景やなんかの遠景が滅茶苦茶キレイだったり…。
 …とまあ、そんなことを言い出したのは、つい最近、是枝裕和の処女作《幻の光》(1995)というのを見たのよ。そしたら、このテレビ・ドキュメンタリー出身の人が、一旦映画を撮るとなると、もう克明にテレビ式の撮り方を避けているの。もう「どアップ」なんかただの一箇所だってあったかな?ってくらいに心してテレビ風を避けてるのね。あっ、こりゃすごい!…っとことになったから…。
 だから、その逆手をとって、オペラ中継を最初から最後まで全部徹底して「どアップ」だけで押し通す映像ってのも考えられるぜ。誰かやんないかな?…。
 そうそう、余談だけど、僕と親しかったバイエルン州立歌劇場専属の声楽コーチ(専属歌手の技術的な面倒を見ると同時に声帯専門のお医者さんでもあった)なんか、女性歌手の胸ばっかり一生懸命見てるんで、からかったら(笑)…そうじゃなくって、胸に筋肉が出ている女性歌手というのは、必ずどっか無理をしてるんだって。それで、公演後のそいつのところへ行って、オマエえ、そんな発声してたら1年と保たないぞお、なんてやってんだよね。そこいら辺りまでちゃんと見えちゃうかも?…。
 いづれにせよ、ヴィデオ制作者は、顔ばっかり撮ってる映画作家、例えばカール・ドライエルとか(ベルイマンはあまり役に立たないかも知れないけど…)から学ぶべきことも多いはづ。
きのけん

投稿: きのけん | 2007/03/16 09:40


>keyakiさん
このエンディング・クレジットは、多大に親切ですよね!(爆)

>きのけんさん
きのけんさんに対しては、大いに不満があります。フランス生活が長すぎるきのけんさんは、その辺の感覚が麻痺されてるんじゃないの?

ラジオでこの表現を使うことぐらい、ネトラジ愛好者の私は分かっているんですよ。FRNCE MUSIQUE、しょっちゅう聴いているし・・・。その私が思わずのけぞり返って、椅子からずり落ちたぐらい驚いたエンディング・クレジットなんです!

これは私の書き方のせいで誤解されたかもしれませんが、あの一文は、一遍に出てくるわけじゃない。まず、
Vous venez de voir
とでっかく出て、次に、画面からはみ出さんがばかりの
TRISTAN ET ISOLDE
が出て来る!ここまでどアップなんですよ!(爆)本当に今でもこんなにデカデカとやってるんですか?

日本で言えば、「終」の一文字が画面からはみ出すぐらいの大きさで出て来る感じ。さすがに今どき、そんなこたあ、やらんでしょ?
さあ、どうです?(笑)

あと、アップ多用で映像を作るというのも芸術表現としてはありなんでしょうが、私的にはその真逆、ロングショットばかりで撮った映像の方がはるかに見易いです。アヴィニョンの『Orfeo』の映像が素晴らしいのは、まさにその点なんです。2階客席中央最前列に自分が座って見ている感覚で、舞台を楽しむことが出来る!こんな素晴らしい映像は、ちょっとありませんぜ!(爆)

投稿: Orfeo | 2007/03/16 12:03

 Orfeoさんは、「私が」、「私的に」…と「私」のレベルで止まっちゃうことが多いんで、議論をもうちょっと客観的に発展させることにしましょう。

>アヴィニョンの『Orfeo』の映像が素晴らしいのは、
>まさにその点なんです。2階客席中央最前列に自分
>が座って見ている感覚で、舞台を楽しむことが出
>来る!

 それを Orfeoさんがごく個人的に「素晴らしい」と思うのは、当然のことながら自由で、それはたかだか個人の趣味の問題なんで、とやかく言う点はまったくありません。そもそもそういう議論じゃないんです。ただ一つ、僕自身の経験から言えることは、僕自身は「2階客席中央最前列に自分が座って見ている感覚で、舞台を楽しむことが出来る」ヴィデオを見るよりは「2階客席中央最前列に自分が座って見ている」ことを好むということです(笑)。
 ただ、ここには元演劇専門家として見過ごすことのできない問題が含まれているわけ。第一に、実際の舞台をヴィデオで再現できる…あるいは、実演を感じ取れると思っていること自体が錯誤以外の何ものでもないこと。この点は Orfeoさん自身、例えばストレーレル演出のコルネイユ《幻影》やヴィテーズ演出の《繻子の靴》、ロンコーニの《ヴェニスの商人》の舞台を思い浮かべるだけで納得いくものと思います。ここでヴィデオで再現できない…でき難い要素とは、ストレーレルの場合は、役者たちが客席に飛び込んだりすることから生ずる劇中劇的構造。ヴィテーズとロンコーニの場合はその空間性です。こういうのをただ単に頭で理解するだけでなく、感じ取ることができるためには、その場にいなくてはならない。この点だけは、もう、どうしようもないわけよ。だから、ヴィデオを見て、実際の舞台演出を云々するという行き方は全部まやかしなの!…。前項メトの《セビリアの理髪師》はあくまでブライアン・ラージのヴィデオ作品なんで…挑発的な言い方をするなら…ジョン・コックスの舞台演出とは何の関係もないものなんだよね。だから、当 orfeo.blogでブライアン・ラージのやり方が問題になるということはきわめて正当なことなんだよね。実際の舞台と見る者との間にヴィデアストの視線が介入している。
 そうそう、そのヴィテーズがかつて自ら演出したソフォクレス《エレクトラ》のヴィデオを作ったことがあるけど、彼は専門の映画監督フーゴ・サンティアゴを呼んできて独自に映像を作らせているんだよね。シェローの舞台版《プラトノフ》とその映画版《フランス館》は大部分の役者が同じというだけで、互いに何の関係もない。本来こういくべきなんで、そう、演劇芸術というものは、ヴィデオで見りゃ判ると…そこまで侮蔑されるには、もうちょっと豊かな歴史と文化を持つものなんだよね。
 もう一つの蔑視の構造が、ヴィデオ芸術に対するもの。ヴィデオというジャンルは、ただ単に「2階客席中央最前列に自分が座って見ている感覚で、舞台を楽しむ」…すなわち舞台芸術の代替物として扱っては、本当はいけないんだよね。
 勃興期の日本映画を見てみると、そのほとんど全てが歌舞伎の舞台を映したものなんだよね。映画というものが固有の表現を産み出し、一つのジャンルとして独立するためには、どうしてもそこから抜け出さなくてはいけなかったというわけよ。だから、ここで扱われているようなオペラ中継のヴィデオなんてものは、オペラにとってはともかく、ヴィデオ芸術にとっては百害あって一益もない…ものなんだ。
 …とはいうものの、ヴィデオによるオペラ受容というものがこれだけ広がっちゃうと、これをもうちょっと有意義に転換させようと思うのは当然の話なんで、そこに、オペラを素材としたヴィデオ固有の表現が求められて当然…というわけだ。これは仏DGGの広報から聞いた話なんだけれど、当初クラウディオ・アバドが自分のオペラ公演をDGGがヴィデオ化するのに絶対反対で、困ったというんだよね。そりゃ、よく判る。彼としては、舞台公演とは別個に、ちゃんとしたヴィデアストを起用してヴィデオ用、映像用の独自のものを作るなら賛成だったというんですね。まあ、彼の場合はポネルとの仕事からそういった発想を得たんじゃないかと思うんですが…もちろんDGGとしては、そんなお金のかかることはできない。それで、困っちゃったよ、なんて言ってたんですね。でも、正論を吐いてるのはアバドの方なんだよね。
きのけん 

投稿: きのけん | 2007/03/16 16:16


>「2階客席中央最前列に自分が座って見ている感覚で、
>舞台を楽しむことが出来る」ヴィデオを見るよりは
>「2階客席中央最前列に自分が座って見ている」ことを好む

そんな当たり前のことを言わないで下さい(笑)。でも、劇場に足を運びたくても、それが出来ない人間がいるということを、是非とも忘れないでほしいものです。

それと、ここは「ブログ」です。ブログというのは、個人の日記です。だから、ここには私の感想文が並ぶことになります。それでいいんじゃないですかね?だれも、これが客観的、永遠の真理だ、などとは思っていませんよ(笑)。そんなに自惚れてはいないし、そんなことを期待している人もいないでしょう。それでいいと思います。

投稿: Orfeo | 2007/03/16 18:23


>きのけんさん

さすがはアバド!・・・と思いました(笑)。やはり彼はカラヤンより偉大だよ!(爆)

ストレーレル、ヴィテーズ、ロンコーニのそれぞれの舞台(芝居)に関して言うならば、たしかにあれらをヴィデオに収めるのは困難な部分が多い、ということは分かります。それをやるなら、きのけんさんがおっしゃるように、ヴィデアストの介入によって、まったく別個の芸術作品として置き換えるしかないのかもしれません。

ただ、それでも、記録的価値として、劇場中継風の映像が残っていてもおかしくない。とりわけ、『繻子の靴』に関しては、それはなにもシャイヨー宮の公演でなくとも、前段階のアヴィニョンでの公演のドキュメントが残っていてもよかったんではないでしょうか?というか、あるんじゃないの、ひょっとして?関係者だけが持っている映像が絶対残っていると思うけどなあ・・・。あれは、バローの初演と同じぐらい、否、それ以上に価値ある歴史的公演なのですから。

芸術的価値、というものがあるなら、記録的価値、というのも、絶対ありますよね。僕はそういう点でヴィデオ芸術には多面性があると思うし、その両極でそれぞれ発展すべきものなんじゃないか、という気がしています。

投稿: Orfeo | 2007/03/17 05:26

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Orfeoさんのところに記事が出ましたので、便乗して、私も超簡単に...^^; この映像、レーザーディスク時代に見ました。テレビもよくなかっせいか、ほとんど真っ暗で何も見えなかったという記憶しかなかったんですけど、オペラ慣れ度が低かったのも一因でしょうか。新しいテレビだと、けっこう見えるじゃん?です。それはともかく、お蔵入りを引っ張り出して改めて視聴してみましたが、今や数ある「トリスタンとイゾルデ」の正規映像やテレビ放送映像の中では一段と魅力的な映像と言えるかもしれません。 ワーグナー:ト... [続きを読む]

受信: 2007/03/16 14:44

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