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2007/03/25

『春物語(春のソナタ)』

Photo_3▼エリック・ロメール《春物語(春のソナタ)》
(フランス、1990)
Eric ROHMER, CONTE DE PRINTEMPS

またもロメールの《四季物語》シリーズから、《冬物語》の前年に撮られた《春物語(春のソナタ)》をヴィデオで見ました(ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ『春』が冒頭、末尾を飾るからこの括弧内の邦題がついたんでしょうが、さすがにあの韓ドラの二番煎じみたいに思われると不幸だから、原題どおりの『春物語』に戻した方がいいと思いますよ)。例によって、CineKen2さんが詳細な解説をすでに書かれていますので、ストーリー等に関しては、そちらの方をご参照下さい。

話的には退屈してしまったんですが、ロメールはここでもめいっぱい登場人物たちに語らせています。哲学的な話も随分多い。それも当然、主役の女性は高校の哲学の教師なんだから(爆)。これなら、なんの躊躇もなく、哲学の議論をさせることができますね。これぞ、文句のつけようがない映画的トリックだと思います(笑)。それにしても、我々哲学とは無縁の生活を送っている人間には、ほんと「ポカ~ン・・・」だよね。さすがに「考える人」たち(爆)。

さてさて、今日はせっかくだから鑑賞法の話でも。CineKen2さんはもうほとんどシネフィルだから、冒頭の方で出て来る初対面の男女の片方が半裸状態で出会ってしまうというシーン(2度出て来ます)が、過去の数々の映画にインスパイアされた「ギャグ」である、とはっきりおっしゃっています。ところがですね、私のような非シネフィル、それどころか非映画ゴアの人間がこれを見てしまうと、とてもその場面で笑うことなんか出来ない。むしろ、「おいおい、危ないじゃないか・・・」なんて、余計な心配をしてしまいます(笑)。もちろん、ロメールだって完全なシネフィル。だから、CineKen2さんがおっしゃっていることは、シネフィル的には正しい、と思います。ところが、世の中には、そしてロメールの映画を見る人の中には、シネフィル以外の人だって数多いわけです。そこで、シネフィル的鑑賞法を押し付けられるいわれは全然ないわけ。まさにそこは自由であっていい。だから、これを「ギャグ」という言葉で形容するのは私的には納得がいきません。それじゃ、まるで「さあさあ、昔の映画によく出て来るパターンですよ。腹を抱えて笑うところだからね!」なんて強要されてるみたい。だから、せいぜい、「引用」、もしくは「パロディ」あたりの言葉を当てはめてほしいなあ・・・。これなら受け入れられる。

フォンテンブローの森のシーンは美しいです。こういうところも、いかにもロメール的。そしてこの映画、原題の『CONTE』をまさにそのままカタカナにしたような映画でもあります。つまり、話が「コント」なんだよね。とくに、結末の付け方はまさしく「コント」。でも、それ故に、私は最後、この映画に好感を抱くようになりました。こんな話でよく映画を作ったなあ、と(笑)。妙な感心をしたところで、このヴィデオを見終わりました。ロメール、やっぱり面白いなあ(・・・あっ、また言っちゃったよ!w)。

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コメント

なぜフランス人はそんなにおしゃべりなんでしょうか?

投稿: 美緒 | 2007/03/26 13:28


美緒さん、大変いい質問をありがとうございます。

フランス語の「enfant」(=子供)という単語の語源はラテン語の「infans」に遡ります。この単語は、「語らざるもの」という意味も含んでおりまして、ということは、「話が一人前に出来ない人間は大人じゃない」というニュアンスを含んでおります。というわけで、フランス人たちは、たとえ間違っていようがなんだろうが、とにかくしゃべり通すわけですね。子供と見られないためにも・・・。

以上、ラジオ講座からの受け売りでした(笑)。

投稿: Orfeo | 2007/03/26 13:39

>美緒さん:
>なぜフランス人はそんなにおしゃべりなんでしょうか?

 いやいや、あれを「フランス人…」と一般化してしまうのは Orfeoさんの悪い癖でして(笑)…。だって、この映画の主人公二人は「お喋り」のプロフェッショナルだからねえ…。片や、高校の哲学の先生、片や、文化省の助成担当の官僚…というわけで、この二人なんぞ「お喋り」が商売みたいなもんなんだよね。普通のフランス人はあんなにお喋りでもないし、あんなに見事なお喋りもしません。…あれは映画だから(笑)…。
 この下に出た《冬物語》の方でも、いくら図書館司書で大学の哲学科の学士号を取ってるらしいロイックが彼女を仕込んだらしいとしたって、たいして教養もなさそうな美容師の女の子が、相当のインテリらしいロイックを向こうに回してあんな議論なんて普通できないですよ。
CineKen2

投稿: CineKen2 | 2007/03/29 09:07


・・・フランス生活が長いCineKen2さんは麻痺されているのかもしれませんが、みんなそう思っているんですよ。それが証拠に、《冬物語》のところのedcさんのコメントを読んでみて下さい^_^;;

投稿: Orfeo | 2007/03/29 10:36

>Orfeoさん:

>・・・フランス生活が長いCineKen2さんは麻痺されているのかもしれませんが、みんなそう思っているんですよ。

 当たり前です!ワタシは日本人じゃありませんから(笑)。ワタシがフランス常住していたのは、正確には 1971年7月14日から2006年10月24日までですから、日本常住期間を優に凌駕してます。ただ、ワタシのような宇宙人から見ると、最近の日本人がいかにアメリカ人…それも田舎者のアメリカ人に酷似してきているかが、如実に見えてきて愕然とさせられます。つまり、自分たちの常識がすべからく世界に通用していると考えはじめているんですわ。「麻痺」しはじめているのは日本人の方なんで、宇宙人の方ではありません。面白い話を一つしてあげましょう。
 10年くらい前でしょうか、家に帰る地下鉄の中で、近くに住む友人とその女友達と一緒になったんですが、その彼女が自慢気に、さかんに「フランス人は何々」という話をしかけてくるんですわ。それも、その「何々」というのが、もう耳にタコができるくらい聞き飽きたような一般通念というか常識の羅列なんだよね。その中に「お喋り」というのも入っていたよう記憶しますが(笑)、そういうのを、まるで鬼の首でもとったように勿体ぶって、ワタシこそ比較文化の専門家でございってな具合に滔々とやられちゃうんだから、こちらもちょいと辟易しまして、この彼女が目くじらを立てて「フランス人は個人主義である」とおっしゃったところで、こっちも、ヘーエそうですかい?…僕は日本人の方がよっぽど個人主義的じゃないかと思うんですが…なんて、ちょっとからかいつつ、パリに較べ、東京はあんなに個人の家が多いじゃないですか、あれは個人主義の現れじゃないんですね…とかの、ごくつまらぬ例を幾つか掲げて反論したわけよ。そしたら、その女が突然目の色を変え、こちらの反論への反論はどこへやら〜この辺り Orfeoさんに酷似!(爆)〜、のっけから「それは貴方にフランスでの生活経験がロクにないからです。フランスにちょっと長く住んでみれば、そんなことはすぐ判ります」ときやがったんだね。いやはや、おフランスにちょいと長く住んでることがこれほど自慢のタネになるとは、それまで思ってもみなかったことで唖然としましたが、「ほーぉ、それでは貴女は、いったいパリに何年お住まいですか?」と訊いたわけよ。彼女「ワタシはパリに5年も住んでいるんですよ!、貴方もそのくらい長いこと住んでみれば、ワタシの言うことが判ります!」なんてのたまうわけ。…と、ここまできまして、同席していた友人がゲラゲラ笑い出しちゃって、「ねえねえ、Xさん、この方は、パリにもう30年近くお住まいなのよ」と口を挟みました…というわけだ。
 さすがに彼女、これはちょいとフライングしちゃったわ、と思ったらしく、ホーォとか言って黙っちゃったんだけど、やれフランス人は何々、アメリカ人は何々、イギリス人は何々…とか決めつけてる程度の比較文化論というのは大抵はこの程度の床屋談義レベルのもんです。友人、知人の数が増えるに従い、そんな一般論、常識がまるで通用せんことをイヤというほど知らされる…。だから、そういうのを平然と公表している恥知らずな輩に出っくわすと、他人事とはいえ、こちらが赤面するような羞恥心に駆られるんですよねえ(笑)…。そうそう、僕がパリに住みはじめた最初の頃、よくいましたねえ。大学の先生がたかだか2年ばかり留学してきてて、うち1年ちょっとは大学都市の日本館で日本人共同体の中に閉じこもって暮らしてて、帰国するやいなや、自分の専門の仕事は放ったらかしで、その手の比較文化論とやらを本にして出しちゃうわけよ。当時はこういう観光案内がよく売れたんでしょうか?…曰く、「パリ何々街何番地」、曰く「パリの芝居小屋から」…。ああいうのを見てて、金輪際オレはああいう真似はせん!…と固く誓ったものでした(爆)。
きのけん

投稿: きのけん | 2007/03/31 08:54

 もう一つ、Orfeoさんの記事中で反論し忘れていた点ががあるので反論です。

>過去の数々の映画にインスパイアされた「ギャグ」である、
>とはっきりおっしゃっています。ところがですね、私のよ
>うな非シネフィル、それどころか非映画ゴアの人間がこれ
>を見てしまうと、とてもその場面で笑うことなんか出来ない.

 まあ「私」はさておくとして…ほう、そうですか!僕は、1度目はともかく、2度目の場面で、ユーグ・ケステルの背後を、バス・タオルを体に巻き付けたアンヌ・テイセードルがちょこまかとした足取りで行き来する場面、のっけからなにも考えず大爆笑でした。それに、あの場面では彼女のパタパタという足音まで入れちゃって…ねえ。あのブッとぼけた絶妙のリズム感を感ずることができるか、できないか、はシネフィル云々とは全然関係ありません。見る者の音楽性の問題なんで、ロメールというのはシネフィル云々よりも、なによりもまづきわめて音楽的な人なんです。その絶妙なリズム感。ほんのちょっとしたズレ…。まさにそこなんだよね。僕の感じでは、このフィルムだって、発想源は音楽にあると思うんだよね。ベートーヴェンの《ヴァイオリン・ソナタ「春」》の古典的な世界に、一抹シューマンの不協和音を挿入してやれ…というのが発想源だと思う。そういう発想で映画を撮る人なんだ、あいつ…。…逆説的にも、ちっともシネフィル的じゃない!…。
 ロメールを真似する人は本国だけでなく、世界にも、驚くほど多いんですが、どうしても野暮ったく、泥臭くなっちゃうのは、まさにその点に起因することが多い。僕は、あれは一種生理的なリズム感に因るものだと思ってます。だから、シネフィル的にでは決してなく、生理的にリズムが合わない人には笑えない…のかも?…。
 だから…

>「引用」、もしくは「パロディ」

…でさえない。もっと言えば、Orfeoさんが考えているような文化教養的なものでさえないんです。まさに「引用」、もしくは「パロディ」ではないところが見事なんですよ。逆に、まさに「引用」、もしくは「パロディ」であっちゃ、ちっとも面白くないのが Orfeoさんには判らんかねえ!…。じゃあ、居直って「シネフィル的」にいきましょうか。そんなこと、ヌーヴェル・ヴァーグの他の連中に較べれば一目瞭然じゃあありませんか!ゴダール、シャブロル、トリュフォー、ロメール、リヴェットのうちで、最も「引用」、もしくは「パロディ」の少ない…というかモロにそういうのを出さないのがロメールじゃありませんか!…。ゴダールのどスケベに対し、ロメールはむっつりスケベなんだよねえ…。大抵は知らん顔して引用してる。だからそんなもんは知らなくても、無声映画時代の二重ギャグという定型なんか全然知らなくたって一向に構わない。それでも、あすこで笑える人は笑うし、笑えない人は笑えない。ただそれだけよ。あの「四季」連作は、小津安二郎を下敷きにしてるらしいんだけど、そんなこと彼はオクビにも出さない。最後の《秋物語》まで来て、小津をよく知っている人なら、ああそうか!…となるわけよ。それだって、結婚話は結婚話だけれど、こっちはワイナリーのおかみさんの結婚話なんだから、小津なんて見てなくたってかまわない…。
 ただ、CineKenさんが、あすこで強調している点は、一見そうは見えないけど。ロメールだってすごいシネフィルなんだぜ…ということが言いたいわけよ。あいつだって、ダテで泣く子も黙るヌーヴェル・ヴァーグ期の『カイエ・デュ・シネマ』誌の編集長だったわけじゃないんだぜ。そのことは彼自身のフィルムにだって、ちゃんと出てるじゃないの!…というのが、CineKenさんの文章の真意なんで、それを

>シネフィル的鑑賞法を押し付け

…というのはお門違いもいいとこなんで、だいたい CineKen2さんは映画を「鑑賞」なんかしていません。「鑑賞」してるのは Orfeoさんで、僕の方じゃありません。お気づきになられませんでした?…僕のヴォキャビュラリーには「鑑賞」という言葉は存在せんのです。「鑑賞」という言葉は骨董品に対して使えばいいんで、僕は映画も演劇も骨董品だとは思ってないんですわ。これだけは、僕の書いた物、全部調べてくれてもいいです。一度も使った記憶ありません(笑)。
CineKen2=きのけん

投稿: CineKen2=きのけん | 2007/03/31 10:31


やはり、きのけんさんはフランス人なんですよ。日本人的感性が不足しすぎているし、そんなに饒舌なのは、まさにおフランス的(ロメール的?w)ですな!

今日は午後から地方出張があるので、せわしないので、手短かに。

まず、「日本人の個人主義」の問題。きのけんさんがおっしゃっている「個人の家」というのは、どうやら一戸建ての家のことを指しているようですが、それはやはり一部でしかない。今、首都圏の、とりわけベッドタウンで隆盛なのは、大型高層マンションの乱立です。そりゃすさまじいものがある。一戸建てなんか、それに較べりゃ、少ない、少ない!あの高層マンションは「個人の家」なんでしょうか?きのけんさんの文脈から言えば、違うでしょ?とすれば、日本人は決して「個人主義」なんていえやしない。やはり「むら意識」、「集団意識」の強い社会なんです。そこで個を主張しようとするのは、悲しいかな稀です。

先日の警察の話を覚えてるでしょ?僕が110番通報したとき、向こうのあまりにズボラな対応に呆れ果て、「名前をいただけますか?」と僕が丁重に尋ねたら、「名乗るほどの者ではありません」、だって。笑止千万!!そういうのは、何かいいことをしたときに言ってくれ!(爆)そんな時に「個」を隠して、警察機構という集団の中に隠れてしまおうというのが日本の社会です。こんなのが警察官やってるんだから、信用できないのは当たり前でしょ!これのどこが個人主義なのよ!

というわけで、日本人が個人主義だというのは、きのけんさんがフランス人だから言えることです(笑)。逆に言えば、日本のこと、日本人のこと、日本社会のことを知らなさすぎ、なんじゃない?

「ギャグ」、あるいは「鑑賞」に関して言うならば、これまたきのけんさんはその日本語の感覚がずれているとしかいいようがない。音楽的だと捉えるのは、まさにきのけんさんが元音楽評論家であるからこそ言えることだと思います。敬虔なクリスチャンである私には、とてもそこまで冷静、気楽にあのシーンを見ることは出来ません。そして、私はそこまで「鑑賞」という言葉が避けて通らねばならない言葉であるとはちっとも思わない。オペラDVDを「鑑賞」し、映画のヴィデオを「鑑賞」する。この表現のどこがいけないのか、ちっとも分かりません。

さて、昼飯食って、出張に行くとするか!(これは個人主義w)

投稿: Orfeo | 2007/03/31 11:06

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