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2006/12/22

『ジークフリート』(バイロイト音楽祭)

Dvdsiegfried1980 DVDライブラリーより。

このシリーズ、『ワルキューレ』でジークムントを歌ったペーター・ホフマンが元ロック歌手なら、ここでジークフリートをやっているマンフレート・ユングは元電気技師。それもバイロイト音楽祭で照明係をやったことがきっかけで歌手になることを決意。転職してしまったという変り種です。ルネ・コロがこの映像収録の前年、ヴォルフガング・ワーグナーと衝突してジークフリート役を降りたため、お鉢が回ってきました(ただし、『神々の黄昏』の方では77年から出演)。容姿ではとてもホフマンに太刀打ちできるものではありませんが(ただし、金髪。これ、地毛だよね?w)、歌の方はミーメ役のツェドニクには及ばないものの、そこそこ健闘しています。まあ、映像で聴く分には、ですが・・・。

その映像に関して、やはりどうしても言っておかなければならないのは、この記念碑的プロダクション全編を撮影したのが、こともあろうに、あのコマ切れカット、アップ多用でおなじみのブライアン・ラージであるということ。《リング》の中でとりわけ動きが多いこの『ジークフリート』では、もうそれはそれは無残な状態です。この人は、映画は論外、ドキュメンタリーも無理っぽいし、適性があるとすれば、テレビ・ドラマぐらいでしょうか。絶対的に舞台撮影には不向きな人だと思います。バイロイトは、なんという取り返しのつかない過ちを犯したことか!(以下の項へ続く。)

★★★☆

さすらい人:ドナルド・マッキンタイヤー
ジークフリート:マンフレート・ユング
ミーメ:ハインツ・ツェドニク
アルベリヒ:ヘルマン・ベヒト
ファフナー:フリッツ・ヒュブナー
ブリュンヒルデ:ギネス・ジョーンズ
エルダ:オルトルン・ヴェンケル
鳥の声:ノーマ・シャープ

管弦楽:バイロイト祝祭管弦楽団
指  揮:ピエール・ブーレーズ
装   置:リシャール・ペドゥッツィ
衣  裳:ジャック・シュミット
演  出:パトリス・シェロー

[  収録:1980年、バイロイト祝祭劇場  ]

【関連記事】

『ラインの黄金』(バイロイト音楽祭、1980年)
『ワルキューレ』(バイロイト音楽祭、1980年)
『神々の黄昏』(バイロイト音楽祭、1980年)

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コメント

Orfeoさん、リンク&TB、ありがとうございます。リンクしてくださってますが、私のほうからも一応TBしました。

映像制作者がブライアン・ラージじゃなかったら、一連の映像、もっともっと、凄〜〜くおもしろかったのかもしれないと思うと、とっても残念です^^;

>マンフレート・ユングは元電気技師
ユングのHPをざっと眺めたところによると、元電気技師と言えるかもしれませんが、元電気技師と言えるほどでもないような気もします。元○○という表現にどういうイメージを持つかは、もしかしたら人によってかなり違うのかもしれません。

ユングの場合、高圧電流-電気技術者としての職業教育を、多分高校レベルで受けており、エッセン州の劇場で照明係をしたのが劇場と関わった最初だそうです。そのころからエッセン芸術大学で声楽を学び始めたということです。1968年卒業後、各地の劇場でオペラ歌手として契約。

バイロイト音楽祭にはこだわりが強かったようで、学生時代の1963年の夏バイロイト音楽祭に照明係として参加。1967年にはバイロイトの若者を対象とした講習会に参加。バイロイト市のホールで、「妖精」の主役、王子アリンダル役を演じ、1970年〜1973年 合唱団員としてバイロイト音楽祭に参加

>ペーター・ホフマンが元ロック歌手
高校時代に仲間とバンド活動をした程度では、普通は元ロック歌手とは認めてもらえないんじゃないかと思いますが、こう言われたら、ホフマン自身はたぶん喜ぶんじゃないかしらと思います^^! 

投稿: edc | 2006/12/22 20:47


edcさん、詳細な補足説明、ありがとうございます。
助かります^_^;;

1940年生まれのマンフレート・ユングに関しては、こちらにある資料では、63年バイロイトで照明係をやる以前に、すでに電気技師の職に就いていたと記されています。で、そのバイロイト体験の後、エッセンで声楽を学んだという流れになっています。edcさんのお話だと、63年の時点では彼はまだ学生だったんですかね?その学校って、なんの学校でしょうか?

ペーター・ホフマンに関しては、高校時代にオーボエを吹いていた私も立派な(?)元オーボエ奏者ですので、ホフマンも絶対元ロック歌手!これで決まりです(爆)。

投稿: Orfeo | 2006/12/22 21:36

>63年の時点では彼はまだ学生だったんですかね?
これはちょっと口が、じゃなくて、手がすべったかもm(_ _)m

1968年(28歳)にエッセンの大学(Folkwang-Hochschule Essen)を卒業したと本人がHPに書いてますが、この学校で声楽を始めたのがエッセンの劇場で照明係をしていたころという話です。
この学校で何年勉強したのかわからないので、1963年に学生だったかどうかわかりませんね..... エッセンの照明係だったのかも。

>なんの学校
Folkwang-Hochschule Essen 芸術関係の大学みたいです。

職業選択にも紆余曲折、いろんな寄り道や道筋がありますね。

>元オーボエ奏者
あら、そうなんですか。うちの息子は元ヴァイオリニストの元チェリストでございますわ。もうひとりはホルン奏者(^。^

投稿: edc | 2006/12/22 22:13


こっちの記事を参照のこと。

http://orfeo.cocolog-nifty.com/orfeoblog/2006/11/post_8627.html

投稿: Orfeo | 2006/12/23 09:14

 ジークフリートは最初の年がジェス・トーマスで、次の年からルネ・コロだったですか?…。実演を見た限りでは、やっぱりシェローはコロを想定して演出を組み立てていたみたい。だから、途中で彼が下りちゃったのは、やっぱり残念なんだよね。ペーター・ホフマンのジークムントとコロのジークフリートというコンビは当時としては最上のものだったんじゃないかな?…。ただ、コロは怪我や病気がやたら多い人なの。一度、オートバイで転んだとかで、歌は大丈夫だから、コロがピット内で座って歌い、舞台上ではシェロー自身が演技を担当した回があったでしょ。僕の時(1978年第2ツィクルス)でも、風邪をひいて声の出なくなったコロが演技を担当、歌はピットでジーン・コックスが担当してました。…でも、あんなにキャンセルの多い人を使ってながら、予備のジークフリートを用意していなかったんだねえ…。
 あっ!それから、この制作でもう一つ、僕がすごく残念に思ったのがアルベリヒで、途中からゾルタン・ケレメンが下りちゃった(死んじゃったんだっけ?…)こと。これはいい悪いという問題じゃなくて、元々ケレメンを想定してるから、他の人がに代わると、なんかとって付けたような感じがどうしても残っちゃうんだ。そうそう、フリッツ・ヒューブナーも途中から入ってきた人だよね。
 シェローは芝居の演出家だから、なによりもまづ役者個人を想定して、演出を組み立てるから、途中でキャストが変わっちゃうと、相当大きなダメージがあるんだ。例えば、次に出る《神々…》のブリュンヒルデとヴァルトラウテの対話の箇所。あれは最初の数年はイヴォンヌ・ミントンのヴァルトラウテだったの。それで、まったく同じ衣裳を着せて、瓜二つの金髪姉妹が並んでる…という演出だったんですわ。
きのけん

投稿: きのけん | 2006/12/23 18:17


ルネ・コロは最初の76年から『ジークフリート』限定のジークフリート役、『神々の黄昏』のジークフリート役は最初がジェス・トーマスで、2年目からマンフレート・ユング、だったようです。シェローにとっては、ジェス・トーマスの存在はかなり大きかったようですね。

投稿: Orfeo | 2006/12/23 19:19

Orfeoさん、「参照」してきました。そうでしたね、「元天才オーボエ奏者」となると、うちの愚息共は「元」とは言えませんわ^^; 失礼しました。

きのけんさん、こんにちは。
>ゾルタン・ケレメン
>死んじゃったんだっけ?

調べたら、1933.03.12-1979.05.09 ということですから、亡くなっちゃったんですねぇ・・・ 

>最初の数年はイヴォンヌ・ミントンのヴァルトラウテ
>瓜二つの金髪姉妹
で見たかったです。映像の歌手さん、あんまりぱっとしませんもの・・・

コロの話も、きのけんさんの文を読むのは、なんだか楽しいですが、演出家にとってはほんとうにいろいろあって大変だったんですねぇ・・

ホフマンも二年目1977年には、、死んでもおかしくなかったような交通事故で出演できなくなっちゃうし。死ななかっただけじゃなくて、翌年には復帰できたからよかったけど・・・

投稿: edc | 2006/12/23 21:18


・・・イ、イカン。参照取り消し(笑)。

投稿: Orfeo | 2006/12/23 22:46

edcさん:
>イヴォンヌ・ミントンのヴァルトラウテ瓜二つの金髪
>姉妹で見たかったです。

 う〜懐かし!イヴォンヌ・ミントンさん…。彼女、オーストラリア人だから英国人なんかと違って、ちっとも気取ってないの。いい人だったよ。だから、しょっちゅう楽屋に入り浸ってまして(笑)、ある晩、《バラの騎士》終演後、その晩はお客さんもファンも誰もいなくて…。ね、一緒に帰ろ!…なんて、ガルニエの楽屋から、スクリーブ通り、未だお客さんの残ってるオペラ広場を迂回して、マドレーヌ大通り、ヴァンドーム広場を突っ切って、宿泊先のインター・コンチネンタルの門まで二人だけで一緒に歩いちゃったんですね。何を喋りながら帰ったのかすっかり忘れちゃったですが、なんか独りぼっちでパリに客演に来てて寂しそうなんだよね。いいなあ〜…なんて(笑)。
きのけん

投稿: きのけん | 2006/12/24 03:32

>オーストラリア人
>う〜懐かし!

ほんとに性格がいいというか、おおらかな方が多いですね。
>イヴォンヌ・ミントンさん
オーストラリアなまりの英語でした? あ、フランス語でしゃべったんですよね...^^;;

投稿: edc | 2006/12/24 07:19

edcさん:
>あ、フランス語でしゃべった

 …そう、僕は英語はたいしてできないし(笑>ハンナ・チャン・インタビューを参照>リンク↓)、ましてやオーストラリア訛りなんてわかるわけがない。彼女、フランス語がかなりできる。それでベルリオーズなんかを得意にしてたんだよね。
http://perso.orange.fr/kinoken2/intv/intv_contents/intv_chang.html

きのけん

投稿: きのけん | 2006/12/25 10:43

>僕は英語はたいしてできないし
ウッソー! フランス語よりは、ってことですね。

>オーストラリア訛り
これは強烈だからすぐわかります。私は英語もろくにできないのですが、オーストラリア英語はもっとお手あげ。発音だけでなく、なかなかけっさくな言い回しもいっぱい教えてもらいましたが、全部忘れました。

I came to die. は有名ですが、あんまりおもしろくない間違い体験を、ひとつ。

某オーストラリア人「きょうはこれからYW試合に行きます」
私「何の試合?」

>リンク↓
可愛いチェリストさんですね。お初でした。

投稿: edc | 2006/12/26 07:55

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「ジークフリート」(パトリス・シェロー演出、ピエール・ブーレーズ指揮、バイロイト音楽祭1980年収録)、ジークフリート役が、ルネ・コロだったらと言われています。確かにそうだったら、この映像ももっと売れただろうし、評価も高まったかもしれません。ビデオクリップ追加 コロが1976年から1980年まで上演されたこのプロダクションを、半ばで降りた経緯についてはこちら、ルネ・コロの自伝をどうぞ。 -->それはともかく、舞台はごちゃごちゃとした物がなくて、すっきりとしていて、わかりやすい。ミーメは陰険な... [続きを読む]

受信: 2006/12/22 20:24

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