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2006/12/16

『ワルキューレ』(バイロイト音楽祭)

Dvdwalkure1980 DVDライブラリーより。

日頃親しくさせていただいているeuridiceさんに対して私がかねがね申し訳なく思っていたのは、彼女の大のお気に入り、ペーター・ホフマンが登場してくるオペラ映像を、これまでこの場で紹介することが全く出来なかったことです。だいたい、このOrfeoを差し置いて、他の男性の後を追いかけるとは何事ぞ!(爆)・・・ということでもないんですが、本当、ウチにはこれまで不思議と縁がなかった。そのホフマンが、ついに、とうとう、やっと、アトラスト、アンファン(くどいw)、登場です。

う~ん、さすがにカッコイイ!まるでオペラ歌手らしからぬスリムな体形、甘いマスク、なびく金髪。勿論、歌手としての力量もしっかり備わっていて、まさに鬼に金棒、彼にはノートゥンク、だなあ。こりゃ大騒ぎになる筈だ・・・(笑)。こういう歌手が出てしまうと、後に続く世代はさぞや大変だったことでしょうねえ。ご同情申し上げます。

というわけで(?)、すっかりホフマンに魅入ってしまい、シェローの演出がどうだとか、ブーレーズの指揮がどうだとか、語る気がまったく失せてしまいました。一言だけ付け加えるならば、ギネス・ジョーンズの力みっぱなしの土俵入りみたいなハヤトホーはあんまりだと思います。(以下の項へ続く。)

★★★★

ジークムント:ペーター・ホフマン
ジークリンデ:ジャニーヌ・アルトマイアー
ヴォータン:ドナルド・マッキンタイヤー
ブリュンヒルデ:ギネス・ジョーンズ
フンディング:マッティ・サルミネン
フリッカ:ハンナ・シュヴァルツ
ゲルヒルデ:カルメン・レッペル
オルトリンデ:カレン・ミドルトン
ヴァルトラウテ:ガブリエレ・シュナウト
シュヴェルトライテ:グウェンドリン・キレブリュー
ヘルムヴィーゲ:ケイティ・クラーク
ジークルーネ:マルガ・シムル
グリムゲルデ:イルゼ・グラマツキ
ロスヴァイゼ:エリザベス・グローサー

管弦楽:バイロイト祝祭管弦楽団
指  揮:ピエール・ブーレーズ
装    置:リシャール・ペドゥッツィ
衣  裳:ジャック・シュミット
演  出:パトリス・シェロー

[  収録:1980年、バイロイト祝祭劇場  ]

【関連記事】

『ラインの黄金』(バイロイト音楽祭、1980年)
『ジークフリート』(バイロイト音楽祭、1980年)
『神々の黄昏』(バイロイト音楽祭、1980年)

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コメント

Orfeoさん、リンク&TB、ありがとうございます。ついに(やっと あるいは とうとう)登場。素直に喜びましょう^^!

「正統派オペラ狂」に限らず、普通のオペラファンの中にも、こういうのに根源的嫌悪感、拒絶反応を示す向きが皆無ではないと感じています。人それぞれの感性の問題ですけど、先入観、つまり偏見に捕われているのだとしたら、残念なことだと思います。

結局オペラがこの路線を継承することがなかった、あるいはできなかったように思うのは、やはりそういう歌手を得られないことにあるのでしょう・・・

>ギネス・ジョーンズの力みっぱなしの土俵入りみたいなハヤトホーはあんまりだと思います。
ははは^^l 確かに内心同じように思いましたけど・・ 気にしない、気にしない・・ ^^::

投稿: edc | 2006/12/16 09:17


edcさん、長らくお待たせしました!(爆)

まあ、ネトレプコやアーノンクールを激しく拒絶してしまう私のことですから、人様のことをとやかく言う気にはなれませんが、ペーター・ホフマンはすんなりと受け入れられましたよ。これのどこがいけないのか、教えてもらいたいものです^_^;;

>確かに内心同じように思いましたけど・・ 気にしない、気にしない・・

気になってしょうがありません!修行が足りないなあ、わたしゃ・・・(笑)。

投稿: Orfeo | 2006/12/16 17:27

Orfeoさん:
>すっかりホフマンに魅入ってしまい、

うん、僕は1978年の第二ツィクルス一度っきり見ただけですが、確かにペーター・ホフマンには唸らされました。この年のジークリンデは、アルトマイヤーみたいな既にブリュンヒルデを歌い始めている大型のソプラノではなく、よりリリークで繊細なハンナローレ・ボーデだったんで、ホフマンの持ち味がより鮮明に活かされていたと思います(フンディンクのホルンに怯えるジークリンデを慰め、寝かしつける場面とか)。
 そしてシェロー版《指輪》全体を通じて気付いた点は、シェローがこのジークムントという形象に対し、それこそ破格の思い入れを抱いていたらしい点。ジークフリートの作り方に較べ、もう比較を絶してジークムントが生き生きとしてるんだよね。そして彼はペーター・ホフマンにある種その理想像を見い出していた感があります。ジークムントがフンディンクに殺される場面、ジークムントが息絶えるまでフンディンクが何度も槍を突き刺しているでしょ。あすこなんかに僕はシェローの並々ならぬ思い入れを見てしまうんだよね…。普通あんなことをやる人じゃないから。
 実は、これには続きがありまして、1980年にシェローがバイロイトの仕事を終え、演劇に戻って作った最初の1本が国立民衆劇場制作になるイプセンの《ペール・ギュント》完全版(2晩に分けて上演)だったんですが、ジェラール・ドゥサルトが演じたこの主役ペールには確実にジーグムントのなにがしかが投影されていました。…というかペーター・ホフマンのジークムントを基調としてハインツ・ツェートニクのローゲ(とミーメ)の動きが混じってきているというペールの動きだったんだよね。
きのけん
 

投稿: きのけん | 2006/12/18 11:46


・・・うん、シェローがここで、ジークフリートなんかより、むしろジークムントのほうに強い思い入れがあったというのはその通りでしょうねえ。芝居屋の嗅覚のなせるワザ、でしょうか?(笑)

投稿: Orfeo | 2006/12/18 13:20

きのけんさんのおっしゃる、
>シェロー版《指輪》全体を通じて気付いた点は、シェローがこのジークムントという形象に対し、それこそ破格の思い入れを抱いていたらしい点

この映像を見たあと、過去の音楽雑誌などのレビューなどを読みましたが、こういうことを述べている評者に出会えませんでした。

ずっと後になって伝記を読んで、あのジークムントが、演出家にとっても、歌手本人にとっても非常に大きな、特別の意味を持つものだったことを確認して、なるほどと納得したものです。

ジークムントという存在については、脇役にすぎないという扱いをするのが、一般的なのかもしれないと、その後の「リング」体験(ごくごく乏しいものですが)やレビュー、批評から思ったりしたものです。ワルキューレに関しても、三幕こそが鑑賞の中心で、前の二幕は、いわば副次的なものという考えもあるみたいですし。

投稿: edc | 2006/12/20 08:11


う~ん、そんなもんですかね?もしも今、仮に《ニーベルングの指環》の登場人物たちで人気投票なんてものを行ったら、ジークフリートよりジークムントの方が断然上に行くような気がするんですが・・・。そんなことない?(笑)

投稿: Orfeo | 2006/12/20 12:03

edcさん:
>この映像を見たあと、過去の音楽雑誌などのレビュー
>などを読みましたが、こういうことを述べている評者
>に出会えませんでした。

 そりゃ、当たり前だよ。バイロイトで《指輪》を見てるオペラ評論家たちはシェローの演劇部門の制作なんて見てないし、演劇評論家の方はバイロイトなんかに行かんもんね(笑)。…でも、渡邊守章さんは両方見てたぜ。

>ワルキューレに関しても、三幕こそが鑑賞の中心で、
>前の二幕は、いわば副次的なものという考えもあるみ
>たいですし。

 そうなんですよね。ただ、《ワルキューレ》の第二幕では《指輪》全編中でも最も重要なことが起こってる。まづ、フリッカに決定的に痛いところを衝かれ、ヴォータンが自らの神としての終焉を自覚する幕でしょう。つまり、神々の意思から自由な人間として登場したはづのジークムントでさえ、未だ彼の庇護下にあるわけで、神々の意思から自由ではあり得ない。そこをフリッカに衝かれ、続くブリュンヒルデとの対話で、そのことをはっきり自覚したヴォータンは、自らそしてひいては神々の世界がアルベリヒの呪いから最早解放され得ないことを悟らざるを得ない。だから、ヴォータンがジークムントを諦めたことは、彼にとっての自殺行為であるわけですね。そして、ブリュンヒルデがこれに反抗し、子供を宿したジークリンデを救っちゃったことで、後半の展開が可能になる。だからこそジークフリートは最早、ヴォータンのマリオネットじゃないわけですね。
 うん、これはやっぱりすごい幕ですよ。僕の友人の相当ハードなワグネリアンで《ワルキューレ》は一幕、三幕だけ聴けばいいんで、第二幕中はいつも寝て休んでるという奴がいましたが、僕はあすこで退屈したことがほとんどないんですね。特にちゃんとした演出家、指揮者のやったものでは、必ずあすこが《指輪》最大の山場の一つになっている気がするんですね。
 シェローの場合も、彼としてはきわめて珍しいことに〜…否、全キャリア中唯一かもよ、ああいう所謂「象徴的」で思わせぶりな表現が死ぬほど嫌いな男だから(笑)…〜、あの天井から吊るした球状のオブジェがくるくる回っているのが、ヴォータンが「自分の望んでいるのは、ただ、終焉、終焉だ!」と言う瞬間にピタっと動きを止めるでしょ。シェローという人は、ああいう見え透いた演出なんかする人じゃないのに、どういうわけか、あすこだけ異例の演出になってる。逆に、これぞ!シェローという演出が、遠くから聴こえてくるフンディンクのホルンに怯えたジークリンデが半狂乱になってギャーっと叫ぶ箇所。それから、死の告知の場でブリュンヒルデがジークムントの衣裳を脱がせ、白装束に着替えさせる箇所。う〜ん、冴えてるなあ!
 そうそう、ここ orfeo.blogに下書きを書き、今年版日本R・シュトラウス協会年報に出したビルギット・ニルソン追悼を書いたとき、カール・ベーム版でこの箇所を聴き直したんですが、テオ・アダムとニルソンの対話の部分、すごいですよ!ショルティのスタジオ録音と較べると明らかなんだけど、ニルソンというのはやっぱりあくまでライヴの人なんだね。それにヴィーラント・ワーグナーの手も加わっていたでしょうし…。「お父様、なんでそんなことを言うのです」、ジークムントを諦めたヴォータンがブリュンヒルデにジークムント殺害の命令を下す箇所、ニルソンが「わたしはあなたの隠された欲望を体現する娘じゃありませんか!」と反論する一言、あすこなんか涙なしには聴けませんよ(笑)。
きのけん

PS:以下でも覗いて見て
▼クプファー=バレンボイム版(1991、バイロイト)
http://perso.orange.fr/kinoken2/intv/intv_contents/bayreuth_91/bayreuth_91.html#wk2

▼ピエールオーディ版(1999、アムステルダム)
http://perso.orange.fr/kinoken2/k2_archive/arch_wagner/ring_ams99/ring_ams99_html/ring_ams99_wk.html

投稿: きのけん | 2006/12/20 21:06


う~む、そろそろきのけんさん、完全復活ですかね?(笑)

なるほど。《リング》のドラマトゥルギーの要諦、かつ重要な転回点は、『ワルキューレ』第2幕にこそある、ということですね。納得いたしました^_^;;

投稿: Orfeo | 2006/12/21 16:41

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» ワーグナー「ワルキューレ」バイロイト1980年 [雑記帳]
この「ワルキューレ」(パトリス・シェロー演出、ピエール・ブーレーズ指揮、バイロイト音楽祭1980年収録)は何度も取り上げていますが、再び。1976年から1980年までの上演。最後の年の公演前に観客を入れずに特別上演してテレビ用に収録されたものです。 はじめて見たとき、この映像は衝撃的でした。何と言っても登場人物が物語のイメージそのものなのが驚きでした。オペラというものは、登場人物のイメージずれが当たり前のようだったからです。物語のイメージを裏切らないレベルの映像も皆無というわけではなかったので... [続きを読む]

受信: 2006/12/16 09:10

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