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2006/10/22

『カーテンコール』

Dvdcurtaincall ▼佐々部清《カーテンコール》(日本、2004年)

出版社で働く香織は、読者のハガキから、「幕間芸人」について下関へ取材に行く。そこは父が一人暮らしをしている香織の故郷でもあった。昭和30年代、みなと劇場で働く安川修平は、ある日フィルムが切れる事故が起きたことから、観客のイライラをおさえるため舞台に立った。まだテレビが普及する前の映画全盛時代から衰退期にかけて、日本映画の温かさと懐かしさの向こうに、悲しい父娘の物語があった・・・。

懐かしい邦画と歌謡曲の数々、そこに浮かび上がる昭和という時代。レトロ調でヒューマン・タッチな佳作だとは思いますが、いかんせん構成が弱い。作り手の思い入れが強すぎたんではないでしょうか。プロットの扱いがぞんざいで、話の展開にまるで説得力がない。泣かせようという意図だけは伝わりますが、メロドラマの域を脱していません。修平役の藤井隆はいい味を出しているし(老いた修平役の井上堯之も素晴らしい)、香織役の伊藤歩や修平の妻、良江役の奥貫薫、あるいはその娘、美里(鶴田真由)の夫役の津田寛治といった役者たちの演技にも惹かれますが、残念ながら存在感がない。描き足りないからですね。これでは泣けません。

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コメント


Orfeoさん、こんばんは。
あら、そうですか。少し中途半端な作品なのでしょうか。
公開時、小劇場系でよく予告を観ていて、良さそうだな、泣けそうだな、と思っていたのですが、結局観ておりませんでした。
その作品の「ウリたい部分」って、予告に出ますよね。確かに「泣かせたい」というのは、伝わってきたのですが^^;
予告編が一番良かった、という映画もときどきありますね・・・

投稿: hiyoko | 2006/10/24 22:46


ひよこさん、こんにちは。
そうですね、ストーリーの繋がりがゆるくて、状況説明をたったひとつのセリフだけで済ませたり、あるいはまったく無い場合もあります。だから、「どうしてそうなるの?」というところが分からない。おっしゃるとおり、予告編なら気にならないんでしょうけどねえ・・・。泣かせるなら、気持ちよく泣かせてほしいものです^_^;;

投稿: Orfeo | 2006/10/25 08:27

TBありがとう。
この映画は香織を水先案内人にしていますが、彼女をめぐるドラマは不要な気がしました。二組の親子の確執は必要あったのか。朝鮮人の差別の問題は、違う入り方もできたんじゃないかなと、思いました。

投稿: kimion20002000 | 2006/10/25 14:43


kimion20002000さん、どうもです。
そうですね、未消化のまま放り出された部分が多過ぎるんですよね、この映画。香織の仕事、彼女と父の問題、同級生だった在日朝鮮人の彼との絡み、などなど。そして、最後、老いた修平が韓国から久々に下関にやって来ても会おうとしなかった美里が、その後、突然韓国に修平を訪ねに行くって、いったいどういうこと?肝心な部分が抜け落ちているとしか思えませんでした。

投稿: Orfeo | 2006/10/25 16:36

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» NO.136「カーテンコール」(日本/佐々部清監督) [サーカスな日々]
30年のわだかまりの歳月も、 ひとつの歌が溶かしていく。 この映画だけは「座布団シネマ」ではなく、映画館で観たかった。もちろん小奇麗なロードショーのかかる映画館ではない。ちょうど、この「カーテンコール」の舞台となった下関に当時7館あった映画館のような場所で。(映画の「みなと劇場」は、北九州の現存する名画座を借用している) 下関だけで7館あったという。 そこで、僕は、三軒茶屋中央に出かけた。�... [続きを読む]

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