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2006/09/09

『フィガロの結婚』(パリ・オペラ座)

Dvdnozzedifigarooperadeparis_1 DVDライブラリーより。

1980年7月14日に行なわれたパリ・オペラ座公演のテレビ放送用ライブ映像。ということで、音声、映像ともちょっと古めかしいが、この2年前の『シモン・ボッカネグラ』に較べれば、まだ鑑賞し易い(ただし、途中異音が混入している部分がある)。

幕が開くと、中央に椅子が置かれただけのがらんとした部屋(第1幕)。くすんだ茶系統の色合いの高い壁が三方からそこを取り囲み、下手最上部には陽の光が差し込んでいる。まるで一幅の絵画を見るような美しい構図の舞台だ(事実、第4幕の夜の庭園はタブローで表現される)。光の按配によって人物たちの影まで美しく浮き上がらせるストレーレルの演出は音楽やテキストにかなり敏感に対応しているが、それで油断していると一瞬にして感情の発露や革命的カオスが出現して、覚醒させられることになるから気を置けない。ショルティが付ける音楽は、彼らしく快活で歯切れよいものだが、流れは自然で、しっとりと歌い上げる部分では思いのほかゆったりとしたテンポを取っている。歌手陣も配役表を見れば一目瞭然、凄い面々が集結していて、当然聴き応え十分。若々しく覇気のあるヴァン・ダムのフィガロ、風格あるバキエのアルマヴィーヴァ伯爵、微かに哀感を漂わせながらも不思議な色香を醸し出すフォン・シュターデのケルビーノ、あるいはモル、ベルビエ、ペリエなどなど、主役から脇役に至るまでみんないいんだけど、清廉なポップのスザンナ、凛とした中にも憂いを帯びたヤノヴィッツの伯爵夫人がとりわけ気に入りました(最近、変なスザンナと伯爵夫人を聴いたばかりだしねw)。ただしこの映像、美しい舞台にあまりにくだけた日本語字幕が付いているのは問題かもしれません。

尚、このプロダクションをめぐっては、1973年の初演の際に指揮者ショルティと演出家ストレーレルとの間で衝突が発生しています。入念に時間、日数をかけて稽古を行っていたストレーレルが、後に大幅に遅れてリハーサルの場に現れたショルティとやりあった、というわけ(このプロダクション自体は大いに人気を博し、その後、74年、76年、78年、79年とパリ・オペラ座で再演を重ねています)。有名な出来事なので、それぞれ自伝や対談の中でこのときのことについて自ら述べています。そこで、ちょうど先月扱った黒澤明監督の《羅生門》よろしく、両者の言い分を聞いて比較してみることにしましょう(笑)。《ショルティ×ストレーレル版・羅生門》はかくのごとし。

▼ショルティの証言:
1970年にパリ管弦楽団の仕事を引き受けたころ、ロルフ・リーバーマンはパリ・オペラ座の総責任者に指名され、私を芸術顧問に招いた。私はオペラ指揮を完全に諦めたくなかったし、埃をかぶったオペラ座を一新する仕事は魅力的でもあったので、招きに応じた。
(中略)
私たちはまず最初に「フィガロの結婚」を、初日はヴェルサイユ宮殿で、つぎに新装なったパリのオペラ座で公演した。ミラノのピッコロ・テアトロの創設者で総監督、そしてオペラのベテラン演出家であるジョルジオ・ストレーレルが演出にあたり、美しい舞台を作りあげた。だが私は彼とは個人的には不幸な行き違いがあった。ステージ・リハーサルが始まる直前に、私はシカゴからロンドンに一日がかりの飛行機で到着した。着いたときにはヴァレリーもガブリエルも私も耳が聞こえなくなっていた。二、三日でヴァレリーとガブリエルは回復したが、私は完全に回復するまで三週間かかった。パリに行ける状態になったころには、ステージ・リハーサルは終わり、アンサンブル・リハーサルが始まっていた。そのリハーサルのあいだに、私はストレーレルにある場面で小さな変更を頼んだ。「いまになって、変更だって?」彼はいきり立った。「それならなぜこれまでリハーサルにこなかったんだ!」そしてぷいと出ていってしまった。それ以来、彼とは二度と顔を合わせなかった。彼は私をステージ・リハーサルをすっぽかす怠惰な指揮者のひとりと思ったのだろう。私の病気を言い訳としか考えなかったのだ。素晴らしい演出家である彼と、その後仕事ができなかったのは残念だ。

→「ショルティ自伝」(訳:木村博江、草思社、1998年/原書=1997年)より。

▼ストレーレルの証言:
(オペラ演出で指揮者とうまくいかなかった例としては)モーツァルトの『フィガロの結婚』を指揮したゲオルク・ショルティがそうだった。私の演出で、73年にヴェルサイユ宮廷劇場で、次いでパリ・オペラ座で上演された。大成功を収めた重要な舞台だ。しかし、その裏には、私とショルティの根本的な意見の対立があった。私は初日にすでに荷物をまとめて帰ろうとしたぐらいだ。
まず、私はこのモーツァルトの最初の演出に入念な準備をして臨んだ。私の考えでは、『フィガロ』はまさに珠玉の名作であり、表向きは単純だが、実際には驚くほど密度の濃い作品だ。これを革命的な風刺劇と考えるのは誤りだろう。むろん、ボーマルシェの"自由奔放な空気"が全体を貫いているものの、それを単に老いた伯爵と女中との間の卑しい恋愛遊戯に還元してしまうのは不当だ。そうした面が作品にあることは確かだが、決定的なものではない。重要なのは、他愛のない恋愛遊戯や人物たちの大言壮語ではなく、音楽によって表現される人間の感情や行動の永続性なのだ。モーツァルトはボーマルシェの主題をさらに深化させた。ボーマルシェの原作を脚色したダ・ポンテの作業、そしてダ・ポンテの台本をもとに作曲したモーツァルトの作業は、まさに傑出している。モーツァルトの音楽の豊かな響きは、『フィガロ』の物語ばかりか、あらゆる物語を超越している。
ショルティはかなりあとになって稽古に加わった。私はすでに演出の作業を終えていた。スザンナ役のミレッラ・フレーニをはじめとする最高の歌手たちとも、完全に打ち合わせを済ませていた。フリジェリオは、きわめて洗練された装置を完成していた。ワトーと十八世紀フランス絵画に想を得たもので、批評家たちに絶賛されたものだ。そこへショルティが到着し、見ると舞台はすでに出来上がっていた。彼はおそらく、自分がのけ者にされたと感じたのだろう。注文をつけたり、批判したり、テンポや位置を修正しようとした。オーケストラと歌手に大幅なテンポアップを要求した。歌手たちは、最初は戸惑っていたが、やがて反発し始めた。混乱が生じ、神経が張りつめた。私は言った。「失礼ですがマエストロ・ショルティ、私はあなたと連絡が取れなかった。だから、あなたが指示したテンポでピアノ伴奏者と作業を進めた。今、こうして別のテンポでオーケストラの指揮をされると、演出も何も台なしになってしまう」と。これを聞いて彼は言った。「心配するな、ストレーレル君。これは私の仕事だ、君には関係ない」と。それで私は諦めることにしたのだ。

→「ストレーレルは語る」(ウーゴ・ロンファーニ著、訳:高田和文、早川書房、1998年/原書=1986年)より。

というわけで、言い分はさすがに《羅生門》(?)、随分と異なる様相を呈しています。10歳近く年長とはいえ、分の悪いショルティの方はかなり単純化して話をし(逃げの一手?)、一方ストレーレルの方はより踏み込んで具体的に証言している感じがします。とはいえ、アーティスト同士の発言だから、これらをそのまま鵜呑みにするのも危険かと。とりあえず志村喬を見習って、「わかんねえ・・・」とでも言っておきますか(笑)。それにしてもこの二人、奇しくも揃って1997年にあの世に旅立ってしまったので、互いの言い分をめぐって天国でまたバトルになっちゃったかもしれません。

最後に、このプロダクションのことにも触れている、モーツァルトに関する非常に興味深い論説がありますので、ここでご紹介しておきます。

「物語から時間へ~演劇学から見たモーツァルト・オペラ論序説」http://magicdragon-hp.hp.infoseek.co.jp/KK/iwanmoz/iwanami_mozart.html

筆者は、ハテ?どこかで聞いたようなお名前ですが・・・(爆)。

★★★★

フィガロ:ジョゼ・ヴァン・ダム
スザンナ:ルチア・ポップ
伯爵夫人:グンドゥラ・ヤノヴィッツ
アルマヴィーヴァ伯爵:ガブリエル・バキエ
ケルビーノ:フレデリカ・フォン・シュターデ
バルトロ:クルト・モル
マルチェリーナ:ジャーヌ・ベルビエ
バルバリーナ:ダニエル・ペリエ
アントーニオ:ジュール・バスタン
バジーリオ:ミシェル・セネシャル
ドン・クルツィオ:ジャック・ロロー

合  唱:パリ国立歌劇場合唱団
管弦楽:パリ国立歌劇場管弦楽団
指  揮:ゲオルク・ショルティ
装置・衣裳:エツィオ・フリジェリオ
映像監督:ピエール・バベル
演  出:ジョルジョ・ストレーレル

[  収録:1980年7月14日、パリ・オペラ座  ]

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コメント

また、あそこですよね。大手レーベルが出してくれないかな。いくらいいものでも、これではね。DVDになっても、元がダメなので、LDよりましになっているとは思えないですけど。テレビ録画をダビングしているとしかおもえませんね。これも字幕は消せないんじゃないかな。このへんに秘密がありそう。

ストレーレルとショルティのいい分、面白い、で、結局テンポはどうしたのかしら。

投稿: keyaki | 2006/09/09 16:39


keyakiさん、どうも。
字幕の方は、DVDでは英語、イタリア語、日本語、字幕オフの選択が出来るようになっていますよ。これはとりあえず朗報?(笑)

投稿: Orfeo | 2006/09/09 19:34

 なんか、懐かしいヤツが出ましたねえ…。これって、何度見たか判らないくらい。このシーズンだけだって6回か7回は行ってるよね。最初がクリストフ・フォン・ドホナーニでスタートして、次がジョン・プリチャード、最後の2回がショルティ。そうそう、当時、僕の行きつけの1階席アヴァン・セーヌのロージュの立ち見席(2番か4番)はたった5フラン(つまり1ユーロ以下)だったんです。
 1970年代のパリ・オペラ座でいちばん沢山見たのがこれと《バラの騎士》なんですわ。…というのも、リバーマンが、ほぼ毎回《フィガロの結婚》と《バラの騎士》をカップルにして組んでいたから。両方共エツィオ・フリジェリオの美術…。リバーマンはこれに《マイスタジンガー》を加えて三部作にするつもりだったんですが、ショルティ指揮、ヴァン・ダムまで決まっていながら、遂にワーグナーはできなかった。
 …でも、これって、プロジェクトが立ち上がった時点からして問題山積みで、いちばん最初の予定ではルキノ・ヴィスコンティ演出でリッカルド・ムーティ指揮だったんです。ところが、ヴィスコンティが病気で来れなくなったもんで、リバーマンが事前にムーティに断らずにストレーレルに代えちゃったんです(ムーティは当時ニュー・フィルハーモニアの音楽監督でもなかった)。そしたら、生意気盛りの若きムーティが怒り出してキャンセルしちゃった。だから、初演時はストレーレル側もショルティ側も相当の無理を割いてやって来たわけよ。そうそう、ショルティは自分でコレペをやるから、オペラの場合は、随分早くからやって来てリハーサルに付き合ってましたね…。
 なーるほど、あの時録画していたんですねえ…。1980年7月14日というのはリバーマンが引退した、まさにその晩なんです(おまけに、革命記念日7月14日というのはフランスでは公共劇場は全部無料)。その記念公演ということで、1973年のオリジナル・キャストが特に集められたわけ。唯一、自分はもうモーツァルトを歌っていないから…と断ってきたのがミレッラ・フレーニでした。だから、クルト・モルなんかがバルトロなんかやってるでしょ。
 ストレーレルの大喧嘩は有名で、自伝…というか演劇論集『人間の演劇』の方ではザルツブルクでカラヤンと喧嘩した話が出てくるし、後にアバドとも大喧嘩。シャトレ座ではリスネルと大喧嘩…(笑)。その後、後にパリ国立歌劇場の音楽監督になるジェイムズ・コンロンを叩き出しちゃったこともあったよ(《後宮》の時)。
 なにせ、ヨーロッパ演劇界の帝王みたいな人だから、皆さん、なんか腫れ物に触るみたいに気を遣ってましたよね。
 そういや、僕は1度だけ彼にブー!を放ったことがあります。ヨーロッパ劇場に《私、ベルトルト・ブレヒト》というショウを持って来た時。ミルヴァと一緒に、御大がブレヒト=クルト・ワイルの歌を歌って踊るのよねえ…。それがまあ、下っ手糞なこと!ミルヴァさんはすごくいいのに、御大がしゃしゃり出てきてぶち壊して廻ってるんだよねえ…、おおい、いくらストレーレル様でも、いい加減にしてくれ〜い!、なんて(笑)。
 あっ、それから Jules Bastinはベルギー人で「ジュール・バスタン」。カラヤンお気に入りのバスでしたね。
きのけん

投稿: きのけん | 2006/09/10 07:20


きのけんさん、どうも。
「ジュール・バスタン」、訂正しておきました。

それにしても、ストレーレルが歌って踊る、ねえ。そりゃ見ものだな!(笑)かってオデオン座でたまたま隣の席に座ったことがあったんですが、御大、結構大柄でしたよねえ。なんか、その舞台上の姿を想像するだけで、吹き出しそうですわ^_^;;

投稿: Orfeo | 2006/09/10 12:27

字幕の件ありがとうございます。なんだったか忘れましたが、DVDのくせに字幕が貼付いているのがあったんです。先入観で、ものを言ってはいけませんですね。

ストレーレルって、俳優修行していた頃に、体格もいいし、声もしっかりしているから、いい役者になる、、とか言われたようですね。

投稿: keyaki | 2006/09/10 18:24


keyakiさん、どうもです。
うん、威風堂々という感じでした、ストレーレルは・・・。

で、テンポはどうなったのか、気になりますよね。この80年の再演を聴くかぎり、歌手たちが焦るほどテンポアップするような場面はないと思うんですけど・・・。

投稿: Orfeo | 2006/09/10 19:27

これ、昔テレビで見てかなり気に入ったんですけど、何故かビデオにとってないんですよね~。舞台と衣装の色彩やデザインが大好きです。

この公演ではないですが、再演と言えなくも無い公演について書いた記事をTBさせていただきました。ちょっと面白いことに、ムーティー指揮です(笑)

きのけんさん>
>生意気盛りの若きムーティが怒り出してキャンセル
したのに、ストレーレルの最晩年に掘り起こして再演してるということは…気になっていたけれどキャンセルした手前「振らせてくれ」と言いだし難かったとか?(^^)この辺りの事情は何かご存知ですか?ちなみに、ムーティー指揮での初演は1996年のスカラ座公演です。

投稿: Sardanapalus | 2006/09/10 21:32

Sardanapalusさん、
横からちょっと失礼します。

>ムーティー指揮での初演は1996年のスカラ座公演です

んとですね、ムー帝は、スカラ座では、1981年5月にストレーレル新演出の「フィガロの結婚」を振ってます。
パリ・オペラ座のプロダクションに似てますが、一応、新演出ってことのようです。
ですから、ウィーンの再演は、このスカラ座のプロダクションのはずですよね。

ストレーレル演出って、舞台のセンスもいいし、とにかく衣裳は豪華で、ボロ系、チープ系じゃないのが嬉しいですね。

投稿: keyaki | 2006/09/10 23:16

>ムー帝は、スカラ座では、1981年5月にストレーレル新演出の「フィガロの結婚」
へえ、そうだったんですか?あれれ?でも、凄く似てると思いますよ。記憶の中のパリ版とスカラ座版、演出プランは本当に瓜二つ…。まさかムーティーが「同じものを演出しなおしてくれ!」と言った訳は無いでしょうね?

ということでよく調べてみたら、ムーティ(スカラ座)の方は舞台デザインは同じくフリジェリオですが、衣装はFranca Squarciapinoという方が担当されているようなので、セットや衣装の基本は同じで、色合いとか大きさが微妙~に違うのでしょう。スカラ座のプロダクションはネット上で舞台写真を見れます。
http://www.teatroallascala.org/public/LaScala/EN/stagioni/stagione2/opera-e-balletto/Nozze/fotografie/index.html

投稿: Sardanapalus | 2006/09/11 00:50


Sardanapalusさん、TBありがとうございました。

パリ・オペラ座でのストレーレルとの仕事を不躾にキャンセルしてしまったムーティは、その後ミラノでストレーレルに擦り寄ってますよね。やはり相当批判があったんではないでしょうか。で、こりゃマズイと・・・(笑)。81年『フィガロの結婚』、87年『ドン・ジョヴァンニ』と続きますね。

そういや、95年の春先にミラノでムーティ指揮、ストレーレル演出の『ファルスタッフ』を観ましたよ。これは80年にロリン・マゼールと組んで初演したプロダクションだったはずですけど(・・・でいいんですよね、keyakiさん?)、来日公演に持っていくんでその予行演習だったみたい。あの舞台も綺麗でした。

投稿: Orfeo | 2006/09/11 07:22

多分、ムーティがはじめてスカラでオペラを振ったのが1981年の『フィガロの結婚』のようです。芸術監督は辞任してましたが、まだアバドが音楽監督でしたよね、だからなに、って、ただそれだけですけど。

そうです、1980年の『ファルスタッフ』は、ストレーレルが、ライモンディに声をかけたのに、断っちゃったんですよね。マゼール指揮でもあるし、ストレーレルにしてみれば、自分のことが気に入らないのかと思って、カチン!ときたんでしょうね。数年後カンヌ映画祭かなにかで出会った時に、「なんで断ったの」と聞かれたそうです。それで、「自分にとっては、時期尚早だった」と説明したら納得してくれたとか、、、ポンスがファルスタッフでしたけど、彼の方が5歳くらい若いんですよね、まあ、いろいろ考えがありますね。
それで、ライモンディはやっと1986年にれいのウーゴ・ガルの下、ファルスタッフをやりますが、また、早すぎたとかで封印しちゃうわけです。
ライモンディにとっては、ヤーゴと同じで、50歳過ぎてからの役で、若々しい美しい声で歌いたくないということなんでしょうかね。
ということで、65歳で歌うファルスタッフ、いよいよです。

投稿: keyaki | 2006/09/11 09:10

 …というわけで、これは非常に数奇な運命を辿った制作なんです。スカラ座のムーティ版はパリ版の焼き直しです。
 初演時はヴェルサイユ宮殿内の王室歌劇場で上演され、同年ガルニエ宮に移され、以後つい数年前まで上演され続けられていました。
 ヴェルサイユ宮殿内の王室歌劇場ってのは、ソフィア・コッポラの最新作《マリ=アントワネット》(1)に出てきまして、実家のオーストリア宮廷で音楽教育を受けていたマリ=アントワネット様が自らオペラに出演して下手糞な歌を歌ったりしてますが(…といったって演奏はウィリアム・クリスティー指揮レ・ザール・フロリサンだぜ)、元はと言えば、ルイ十四世が自分独りの楽しみのために作った劇場なんで、規模も個人劇場程度に小さいものですので、ストレーレルとフリジェリオは予めガルニエ宮での上演を想定して作ったと思います。

(1) : http://perso.orange.fr/kinoken2/cineken2/cineken2_cont/cineken2_archive/forum0604.html#971

 ちなみにリバーマン時代のパリ国立歌劇場の目玉制作で、日本以外、ほぼ世界各国で引っ越し公演にはこれを持っていってますね。有名なのがメトへの客演で、興奮しまくったショルティが指揮棒で自分の額を傷つけちゃって、血がダラダラ!…なんてこともあったんです。
 リバーマン引退後も歴代総監督はこの制作だけには手を着けられず、なんと昨シーズンまでパリ国立歌劇場では《フィガロの結婚》の新制作はなし。その間、シャンゼリゼ劇場のパリ管モーツァルト・フェスティヴァルでバレンボイム指揮=ポネル演出版、シャトレ座でガーディナー版、再びシャンゼリゼ劇場で、今度はルネ・ヤーコプス版がありました。
 このストレーレル演出版をバスチーユに移した時、一悶着ありまして、あの制作はあくまでガルニエ宮のイタリア式劇場建築を想定して作られた演出ということで、ストレーレルとフリジェリオ・チームがこれに猛反対したんです。それでも時のピエール・ベルジェ総監督が、装置を拡大してバスチーユに入れちゃったもんで、ストレーレルとフリジェリオは自分たちの名前をこの制作から削ってしまったんです。だから、この制作はバスチーユ移行後数シーズンの間、演出&美術:無名氏で再演を続けてました。さすがに、ストレーレル没後は、両者の名前が戻されましたが…。
 ただ、このバスチーユ移転の際、見本として参照されたのがスカラ座での新版だったんです。つまり、ムーティ指揮版の時新たに加えられたアイデアがバスチーユ版に改めて組み込まれたというわけ。
 keyakiさんがお訊ね↑のテンポについては、やはり、この制作を振った歴代指揮者のうちで最も見事に演出に反応していたのがショルティでした。この人は、ペーター・シュタインやクラウス=ミヒャエル・グリューバーそしてテリー・ハンズの舞台なんかにも、ものの見事に反応したし…根っからの劇場指揮者ですね。だから、彼がバイロイトの《指輪》を初年次だけで止してしまったのは、多分ピーター・ホールの演出がナマクラだったためだと僕は思ってます。パリでのペーター・シュタイン&グリューバーに較べて、エライ違いだと思ったはづだよ!…。実際、僕自身、一度見ただけで、二度目はもういいや!…ってなっちゃったし…。
 この録画でも、ちゃんと確認できると思うんですが、第一幕を超急速調で飛ばして、第二幕冒頭の伯爵夫人のアリアで、突然ぐっとテンポを落としているところ。第三幕末で舞台に紙吹雪が舞う箇所での猛烈なアッチェレランド。この箇所で実質上音楽的に革命が起こってしまったのはショルティ指揮の時だけです。
 それから、注目していただきたいのが衣裳で、これが微妙なんだね。ストレーレル=フリジェリオのチームは、古い世代の登場人物(伯爵、伯爵夫人、バルトロ、マルチェリーナ、バジリオ)に17世紀のモリエールの時代の衣裳を着せ、新世代のフィガロ、スザンナ、ケルビーノに18世紀マリヴォー、ゴルドーニ時代の衣裳を着せてる。だから、ポネルみたいに、ことさら階級対立だの、男女の対立だの、これ見よがしに強調しなくとも、ちゃんと言いたいことが言えてる。三幕末でも、ことさら労働者服の登場人物なんか出さずとも、衣裳を現代化なんぞせずとも、見事に舞台上に革命を起こしちゃう。これがストレーレルってもんで、そういう演出を物欲し気には絶対にやらないんだよね。だから、その辺りを見誤ると、あれが因習的な舞台に見えちゃうわけよ。その極めつけがケルビーノの作りなんだよね。両性具備のものすごくエロティックな形象に作られてるんだ。逆説的にも、ストレーレルの意図を最も見事に体現していたのは、実際にストレーレルと一緒に仕事をしたフォン・シュターデの方ではなくて、再演でのテレサ・ベルガンサでした。だからロージーの《ドン・ジョヴァンニ》にミス・キャストとも思えるベルガンサを起用したのは、この《フィガロ》でのケルビーノを見ていると、すごくよく理解できるんだよ。
きのけん

投稿: きのけん | 2006/09/11 11:14


keyakiさん、どうも。

ふ~む、なるほど。80年の『ファルスタッフ』にはそんな経緯があったんですね。
ちなみに、前述「ストレーレルは語る」にはこう出ています。

>(前略)大切なのは相手への尊敬、知的・精神的な共感だ。
>私は、クラウディオ・アバドやリッカルド・ムーティとは
>素晴らしい仕事をすることができたと思っている。彼らとは、
>この十年間に最も重要なオペラを上演した。『ファルスタッフ』で
>協力したロリン・マゼールに対しても、尊敬と感謝の念に
>耐えない。やむを得ない事情により、私が舞台の大部分を
>作り上げた時点で到着したが、客席に座り、黙って稽古に
>立ち会った。そして最後に、こう言って私の不安を一掃した。
>「いいね。君といっしょに『ファルスタッフ』をやれて大いに満足だ」
>と。

この後、ショルティの話になります(笑)。

ところで、ライモンディのファルスタッフ、楽しみですね^_^;;

投稿: Orfeo | 2006/09/11 12:25


きのけんさん、どうも。

うん、バスチーユで見たいとは思いませんね、このプロダクション・・・。

余談ですが、この映像、その第3幕末の紙吹雪が舞う場面で、ブライアン・ラージ並みにキャメラを寄せてしまうので、思いっきり閉口します。なんで引いて全景を撮らんかな・・・。

もう一つついでに言っておくと、日本語字幕がまさにその「労働者」階級の野卑な言葉遣い。センスがないよね・・・(笑)。

投稿: Orfeo | 2006/09/11 12:37

Orfeoさん>
>こりゃマズイと・・・(笑)。
(^^)かなりムーティが好きなタイプの演出家だと思うので、仲直り(?)してくれて良かったです。お陰で素敵な作品がいっぱい残りましたものね。

きのけんさん>
>スカラ座のムーティ版はパリ版の焼き直し
この一言ですっきりしました!ありがとうございます。

keyakiさん>
Orfeoさんとこで言うことじゃないかも、ですが、「ファルスタッフ」のレポート待ってます!

投稿: Sardanapalus | 2006/09/11 22:54


Sardanapalusさん、どうも。

>仲直り(?)してくれて良かったです
まったくですね。できれば、もっと映像が残っていると尚いいんですが・・・。

投稿: Orfeo | 2006/09/12 08:57

 ちょっと誤解があると思われるのでもう一言。

>Sardanapalusさん

>かなりムーティが好きなタイプの演出家だと思うので、仲直り(?)して
>くれて良かったです。

 かつてムーティが喧嘩したのはストレーレルとではなくて、あくまでリバーマンとです。つまり、リバーマンが彼に一言も断りなく勝手に演出家を代えてしまったのが気に食わなかったわけで、ストレーレル自身と問題を起こしたわけでは決してないのです(ムーティはパリに来もしなかったんだからストレーレルと面通しさえしてないでしょ)。ちなみに、1970年代後半、アバドほどではなくとも定期的にパリに来演していたムーティは、リバーマン総監督下のパリ国立歌劇場にはだだの一度も登場していません。…と同時に、ムーティはフランス国立管と専属招待指揮者契約を結び、このコンビが結構欧州ツアーなんかをやってるんですね。かなり相性のいいコンビなんで、フランス国立管を日本に呼ぶ時、指揮者をムーティにするといいよ!…。
 面白かったのは、ムーティというのは、それほどフランスの近代物が得意でないんで、一度などムーティとのドイツ=オーストリア・ツアーにラヴェルとかフォーレを持っていく直前に音楽監督のデュトワがやって来て、ツアーに持っていくムーティのプロを予行演習してやってんの!…。その時はデュトワの奴め、忙しいもんで、ぶっつけ本番でできるラヴェルやフォーレのチューブを組みやがって!…なんて思ってたら、そうじゃなくって、その数日後からウィーンやミュンヒェンを巡演するムーティ指揮ツアーのリハーサルをパリの定期に組んでいたというわけだったんだ。…というわけで、あのツアーを聴いたファンはデュトワがリハーサルをやって、本番をムーティが振ったのを聴かされたというわけ。
 僕のインタビューの余白(収録していない雑談:>「きのけん」下線リンク↓)で、デュトワに直接訊ねたら、わっはっは、そんなことはないけどね。でもフランス国立は僕のオケだしね!…という答が返ってきました。
 ミュンヒェンでも、そういうのがあったよ。クライバーの《オテロ》。ドミンゴがパリでバレンボイムと《サンソンとダリラ》(実演はオランジュ)を録音してて、予定が長引いちゃって来れないと判った時点でクライバーが下りちゃった。フェスティヴァル期間中だったもんで(つまり切符の値段が倍くらいになってる)、やたらな奴を使えなかったから、マゼールに代演を頼んだら、マゼールが、リハーサルは誰がやった?と訊いてきたわけよ。クライバーさんだと答ると、あっ、それなら!と二つ返事でOK。すっ飛んできてぶっつけ本番で《オテロ》を振ったんだ。

Orfeoさん( 2006/09/11 12:25:04)
>『ファルスタッフ』で協力したロリン・マゼールに対しても、尊敬と感謝
>の念に耐えない。

 ストレーレルもよっく言うよなあ!。シャトレ座での《フィデリオ》の時は、あんなにクサしてたくせに!(笑)…。
 そういや思い出したぞ!。この時期方々で《ファルスタッフ》ばっかりやってまして、全部同時期のプロダクションだから較べてみると面白いですよ。どなたか較べてみる人いない?…。
 カルロ=マリア・ジュリーニが例外的に振ったもの(確か、ロス・アンジェルス=フィレンツェ)、ザルツブルク=ウィーンのカラヤン、パリの小澤征爾、スカラ座のマゼール。確か、サヴァリッシュがフィッシャー=ディスカウ主役でやったのも同じ時期だったと思ったけど…(ミュンヒェン)。僕は小澤のを見ただけですけど、あの時期の小澤の名演の一つでした。
きのけん

投稿: きのけん | 2006/09/12 16:00


>きのけんさん

Sardanapalusさんのせいではありません。すべて私のせいです^_^;;

さてさて、シャトレ座の『フィデリオ』って、89年ですよね。だったらこの本が出た後だから、しょうがない(?)。

ジュリーニが82年にコヴェントガーデンの方でやった『ファルスタッフ』だったら、ここですでに扱っています。
http://orfeo.cocolog-nifty.com/orfeoblog/2005/08/post_cc2a.html
あと、やはり82年にカラヤンがザルツブルク音楽祭でやったやつは現在待機中。そのうち出します。
そんでもって、スカラ座のは・・・忘れた(爆)。ウソ、ウソ、でも、これ、映像が出て来ないもんかなあ・・・。

投稿: Orfeo | 2006/09/12 17:46

orfeoさん、きのけんさんこんばんは

このプロダクションって73年が初演だったのですか。クラウゼの伯爵で海賊盤が出ていた演奏ですね。私はスザンナはフレーニよりもポップの方が好きなので良かった。この73年のキャストは74年にカラヤンがザルツでやった演奏とものすごく似てますよね。クラウゼ、フレーニ、ファンダムだけでなくベルビエ、セネシャルまで同じ。カラヤンはアバドがドンカルロで似たようなキャストを組んだらテレビ中継の邪魔をしたほどなのに自分はいいのでしょうか?
それからヤノビッツとポップはこのDVDの年に日本でもベーム指揮で歌っていますね。ぜひDVD化してほしいものです。

投稿: たか | 2006/09/13 00:34


たかさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

トム・クラウゼの伯爵はリバーマン治下のハンブルクでの映像が出ていますね。ちなみにスザンナはエディット・マティス。私はまだ未見ですが、そちらはご覧になったでしょうか?

>私はスザンナはフレーニよりもポップの方が好き
私も同感^_^;;

>カラヤンはアバドがドンカルロで似たようなキャストを組んだら
>テレビ中継の邪魔をしたほどなのに自分はいいのでしょうか?
いいんでしょう。そういう男だから、カラヤンは・・・(笑)。

投稿: Orfeo | 2006/09/13 08:49

カラヤンのザルツのフィガロ(演出ポネル)は72年に始まっていますね。ということは真似したのはひょっとしてショルティの方かも? 72年のキャストを調べてみる必要がありそうです。結局クラウゼ/ファンダムで録音したのもカラヤンの方で、ショルティ盤はアレン/レイミーですからね。

ハンブルクの映像は大変そそるのですがドイツ語なのがちょっと.....実は私はフィガロを自分で歌うのでイタリア語以外の演奏を聞くのはかなり厳しいです。

投稿: たか | 2006/09/13 23:38

>たかさん:
 ふーん、あれって、そんなに古い制作でしたか!…。僕は2度ほど見る機会があったんですが、その時の舞台から受けた印象では、あのフィガロはヘルマン・プライ用に考えられたものという印象を持ったんです。まづ衣裳が、それ以前に、確かミュンヒェンで見たプライの時のものとほとんど同じで、動きも、なんとなくヴァン・ダムがプライみたいに動いてるんですよね。1972年といえば、カラヤンがヴァン・ダムを抜擢した翌年ですが、まあ、カラヤンのことだから、即座に主役に起用ということもおおいに考えられますが…どうも、僕にはプライが初演をやったような?…。でも、カラヤンとプライの共演って珍しくない?…。

>私はスザンナはフレーニよりもポップの方が好き

 僕自身はフレーニには間に合わなかったんですが、あの制作に出てきた数多くのスザンナのうち、いちばんよかったのは誰だったかな?…。僕自身はいちばん最初に聴いたテレサ・ストラータスの印象が強いんですが…、あれはほんとに《フィガロの結婚》の初体験だったから…。面白いところで、イレアナ・コトルバシュが結構よかったんですね。エディット・マティスもよかったし…うーん、ポップと甲乙つけ難しですねえ…。いちばん純粋に音楽的だったのがポップ、コトルバシュはちょっと可愛らしい、ミミみたいなスザンナ、役と一体化してすごかったのがマティスかな?…。そうそう、エディット・マティスってのがすごく見事な役者なんだよね。ほんと、「舞台の虫」ってな感じで。パミーナもキリなんかより全然よかった。
 伯爵夫人はもう圧倒的に他を引き離してマーガレット・プライス。この年も、この直前までマーガレット・プライスだったんです。
きのけん

投稿: きのけん | 2006/09/14 07:34


>たかさん
なるほど、ハンブルクのやつはドイツ語公演なんですね。それではちょっと、聴く気が失せますわね。私は買う気が失せました^_^;;

投稿: Orfeo | 2006/09/14 09:00

>きのけんさん
なるほど。プライとカラヤンはモノラルのアリアドネの録音から共演していますが確かにそれほど多くはないようですね。私が知っているのは最近CD化された天地創造と74年のザルツの魔笛ぐらいです。74年は魔笛がプレミエだったのでプライをパパゲーノに回してファンダムをフィガロに呼んだということも考えられそうですね。ザルツの過去の演目名のページはすぐに出てきたのですが過去のキャストのページがなかなか見あたらない......

>orfeoさん
60年代のドイツでは珍しくなかったことではありますがやはり今となっては.......

投稿: たか | 2006/09/14 23:31


>たかさん
・・・ですね。噂には聞く、いろんな言語が飛び交う公演ってのも、一度は聴いてみたいものですが・・・(笑)。

投稿: Orfeo | 2006/09/15 07:44

たかさん、見つかりましたか?

下記URLでキャストもリンクされています。
http://www.salzburgfestival.at/spielplan.php?archivid=31&lang=1

投稿: keyaki | 2006/09/15 09:51


おおっ!こういう風にデータがアーカイヴ化されていると、便利でいいですねえ。
他も見習ってほしいです。

投稿: Orfeo | 2006/09/15 12:19

>keyakiさん
フォローありがとうございます!

カラヤン/ポネルのフィガロの72年のオリジナルキャストはクラウゼ、ハーウッド、ベリー/ファンダム、マティス/ストラータス、ベルガンサ、メイヤー、セネシャルでした。73年はクラウゼ、ハーウッド、ベリー、ストラータス、ベルガンサ、ベルビエ、セネシャル、74年はクラウゼ、ハーウッド、ファンダム、フレーニ、シュターデ、ベルビエ、セネシャルです。ちなみにいずれもバルトロは(keyakiさん情報によると)先日なくなったモンタルソロです。

ショルティと共通のキャストはどちらが先だったかは微妙ですが、パリの73年のプレミエは恐らく73年のザルツの後だと思うのでフレーニのスザンナ以外はカラヤンの方が先だったのかな? 

いずれにしてもこの時期これらの歌手達はザルツとパリのフィガロで引っ張りだこだったということですね。個人的にはハーウッドの伯爵夫人だけは疑問ですが、後は素晴らしい顔ぶれだと思います。

特に72年のファンダムは大抜擢だったのでしょうね。ザルツ初登場かも? カラヤンは最後のフィガロになった80年までベリーとファンダム以外は使っていません。クラウゼとセネシャルも不動のメンバーです。よほどお気に入りだったのでしょう。

プライがザルツでフィガロを歌わなかったのは意外ですね。ベームが66年からレンネルト演出のフィガロを振っていて、プライは71年に伯爵で出てますね。プライは録音ではフィガロを歌っていましたが舞台で歌うようになったのは70年代の中頃からだったと思います。伯爵の写真が載っていますがちょっと雰囲気おかしいかも?
http://www.salzburgfestival.at/spielplan_werk.php?lang=1&id=2522&sommerflag=0

ポネルのフィガロは86年から89年までレバインが復活上演していて87年はライモンディがフィガロで出てますね。私は86年のフルラネットのフィガロをFMで聞きましたが87年の放送はあったかどうか? ライモンディも写真が載っていました。
http://www.salzburgfestival.at/spielplan_werk.php?lang=1&id=1493&sommerflag=0#

投稿: たか | 2006/09/15 18:49


>たかさん
え~と、たまたま今手元に詳細な日付まで入ったデータがないんですけど、73年のヴェルサイユ&パリでのプレミエは同年のザルツブルク音楽祭より先、のはず。春先、というか、春前の公演だったと思います。きのけんさんのところに資料があるかな?
まあ、公演の後先を言うんなら、ブッキングの後先まで考えなくちゃいけないかもしれませんが、さすがにそこまではね・・・(笑)。

投稿: Orfeo | 2006/09/15 20:37

>orfeoさん
73年のパリのプレミエが夏より前だとすると、クラウゼとファンダムとセネシャルは72年のカラヤンが早くてフレーニとベルビエは73年のショルティが早いということで、まあ引き分けというところでしょうか(^^;
73年のパリのケルビーノはロルーという人だったようですが、他の公演はベルガンサやシュターデですし、一方ザルツのスザンナもストラータスやマティスが歌っていますから、伯爵夫人とバルトロ以外はほとんどすべて同じ顔ぶれだということになります。単なる偶然とは思えません。
推測ですがどちらかといえばショルティの方が意識していたのではないかと思います。この時期ショルティは本当はカラヤンに決まっていたシカゴ響の仕事をとったり、カラヤンの後釜でパリ管の主席になったりしています。
カラヤンはドイツ・オーストリア以外では東京と並んでパリで特に人気が高かったそうですが(奥さんパリジェンヌだし)、カラヤンは亡くなる直前までショルティをザルツに呼ばなかったので、ショルティとしてはパリのオペラ座でカラヤンばりのキャストを組んで向こうを張るのはとても意味のあることだったと思われます。

投稿: たか | 2006/09/16 00:07

>たかさん

 なるほど、ここでもカラヤンはプライを使ってなかったですか!…。あの演出がヴァルター・ベリーを想定していたというならよく判る!…。
 うん、プライとカラヤンが相性悪かったというのは、なんとなく想像つきません?…。片方はアドリブの名手で、即興的演技&歌唱の天才。もう片方は、何から何まで全部自分自身でコントロールしないと気の済まないタイプの極端な例。やっぱし、カラヤンがなんとなくプライを敬遠していたというのは判るな…。
 だから逆に、プライが専らベームに重宝されたってのもよく判る。ベームもやたら即興性の強い人なんで、僕もミュンヒェンで何度かベームのリハーサルに付き合いましたが、リハーサルの時、やたらこ煩く細かい指示を出していたというのに(サヴァリッシュと違って、随分喧しい爺さんだなあ!…なんて)、それがいざ本番になると、本番の乗りで全然違ったことをやっちゃう…なんてしょっちゅうだったみたい。バイエルン州立管は慣れてますから、爺さん、また始まったよ!…なんて感じだったんですが、パリ・オペラ座管とかパリ管の連中がベームは厭だ…なんて言ってたのも、そんなところに原因があったのかもね?…。
 そうそう、だからプライという人はディスクではなかなか判らない人の典型だったですね(彼のディスクを聴く度にガッカリしてた)。彼がパリでリサイタルをやる時ほぼ欠かさず行ってましたが、僕が聴いたリーダーのリサイタルで最も素晴らしかったのが実は、この人のものだったんです。シュヴァルツコプでもフィッシャー=ディスカウでもない。ヘルマン・プライ。この人が乗った時はすごい!…。でも、それはただの1度だけ。ほんと、あの晩は、我が耳を疑うってな感じで、今夜自分は、なんてよく音楽がわかるの!…って感じなんだよねえ。あんなことって他の人ではまづなかったですよ。だから彼はだいたい何時も、そんなに上手くなくとも気心の知れてるレナード・ホカンソンが伴奏で、他の人とほとんど共演しなかった。僕の場合、ただの一度だけミュンヒェンでサヴァリッシュが伴奏したのを聴いたことがあったですが、これはもう、まるでダメ(笑)。あのきっかり教科書みたいな伴奏をするサヴァリッシュとじゃ、プライはどうしても窮屈なんだよね。サヴァリッシュとでさえそうなんだから、カラヤンとだったら何をか言わんやってとこでしょ。
 それはそうと、1972年の写真ではケルビーノがベルガンサなんですねえ!…。カラヤンとベルガンサの共演なんて、これまた珍しいよね。

 上のサイトを見てみたら、僕が見たのは 1979年と1980年でした。1980年のページに載ってる写真を見てありありと思い出しちゃったけれど、トム・クラウゼがパリのストレーレル版の衣裳を持ち出してるのには笑っちゃいました。パリではガブリエル・バッキエ用とトム・クラウゼ用に最低2着は用意していたでしょうから、いつも着慣れていた自分用のを持ってちゃったらしいね。ポネルなんか再演の時は助手を送り込むだけだから、助手じゃあ、この制作用の衣裳を着てくれ、なんて歌手にクレーム付けられないしね(笑)。
 いづれにせよ、当時カラヤンとリバーマンは随分お互いの動向に目を光らせていたみたいね。パリでリバーマンがバルバリーナにクリスチーヌ・バルボーなんて、当時未だ学生だった人を抜擢したと思ったら、同年もうカラヤンがザルツブルクで使ってんのよ!…。《ペレアス》ではパリの主役二人を持って行っちゃったし(パリでの指揮はロリン・マゼール)、もう一つよく憶えてるのが、《トロヴァトーレ》で、なんで今頃、レオンタイン・プライスなの?、なんて思ったけど、そういえば、あの当時パリの《トロヴァトーレ》にレオンタイン・プライスが出るの、出ないの…といった話が確かにあったよ。リバーマンのパリが当時最高額のギャラを払っていたのがビルギット・ニルソンとジョン・ヴィッカーズだったんですが、 レオンタイン・プライスがリバーマンにあいつ等よりも1フランでいいから高額のギャラを払ってくれと要求してきたんで、リバーマンが、阿呆くさ!なんて言って、流れちゃった…というかリサイタルに代えちゃった(ちゃんとスケジュールは割いていたみたい…)。そしたら、ちゃっかりカラヤンが録音しちゃってやんの!(笑)。だから、僕なんか、もしや、ひょっとしてレオンタイン・プライス?…なんて期待して行ったらジルダ・クルス=ロモだった(笑)。
 あっ、それから、こないだシルヴィア・シャーシュのとこにも書いたけど、ショルティって人は意外と、レコード会社やオペラ座総監督の意向に従順なところがありまして、シャーシュもそうでしたけど、ウィーン盤《マイスタジンガー》でザックスをやってるノーマン・ベイリー。あれはデッカ側の意向で、案の定あのザックスが一人ですべてをぶち壊してるでしょ。もう一つの例はバイロイトの《指輪》。ショルティが、是非この人!とヴォルフガンクに強力に勧めたのがサイモン・エステスだったんです。もちろんヴォルフガンクだって彼のオランダ人を知ってるからOK。ところが、演出のピーター・ホールが、黒人のヴォータンはダメ!ってクギを刺しちゃった。結局ショルティが折れて、それであのヴォータンがジークムント・ニムスゲルンになっちゃったというわけよ。

きのけん

投稿: きのけん | 2006/09/16 03:11

Orfeoさん:
>きのけんさんのところに資料があるかな?

あります。
1973年4月7日ヴェルサイユで初演(3月30日に非公開初演)。指揮ショルティ
トム・クラウゼ、ガブリエル・バッキエ(伯爵)、ジョゼ・ヴァン・ダム(フィガロ)、クルト・モル(バルトロ)、ミシェル・セネシャル(バジリオ)、カール・シュルツ(アントニオ)、ジャック・ロロー(クルツィオ)、グンドゥラ・ヤノヴィッツ(伯爵夫人)、ミレッラ・フレーニ(スザンナ)、フレデリカ・フォン・シュターデ(ケルビーノ)、ジャーヌ・ベルビエ(マルチェリーナ)、ダニエル・ペリエ(バルバリーナ)

 ガルニエに移されたのが同年9月で指揮はレジナルド・ジョヴァニネッティ、同シーズンにチャールズ・マッケラス、ユリウス・ルデルも振ってます。キャスト変更は、ガブリエル・バッキエ(伯爵)、トム・クラウゼ(フィガロ)、ノエル・マンジン(バルトロ)、マーガレット・プライス(伯爵夫人)、ルチア・ポップ(スザンナ)、テレサ・ベルガンサ、アンナ・ランガール(ケルビーノ)、その他は同じ…です。

 なお、翌 1974年の再演がジャン=ピエール・ジャッキヤ指揮で伯爵夫人がエリザベート・セーダーストレームとまさにそのエリザベス・ハーウッド、ピラル・ローレンガー、イヴリン・リアー、イヴリン・ブルンナー。バッキエ(伯爵)にクラウゼ(フィガロ)、ポップ(スザンナ)、ケルビーノがベルガンサとアンヌ・ホーウェルズのダブル・キャスト。

 僕が初めて見たのが 1976年の再演時で、指揮はガリー・ベルティーニ、バッキエ(伯爵)、ヴァン・ダム(フィガロ)、マーガレット・プライス(伯爵夫人)、テレサ・ストラータス(スザンナ)、テレサ・ベルガンサ(ケルビーノ)、以下初演時と同じ…でした。
きのけん

投稿: きのけん | 2006/09/16 05:05


>たかさん
きのけんさんがキャスト付きの細かいデータを出してくれましたね。さすが!え~、ヴェルサイユが春先で、パリが秋、ですか・・・。まあ、引き分けということで^_^;;

>きのけんさん
データ提供、ありがとうございました。それにしても、ホントいろんな連中が振っているんですねえ!

投稿: Orfeo | 2006/09/16 08:50

 実は 1973年9月のやつが《フィガロの結婚》のガルニエ宮初演。それまでこのオペラはオペラ・コミック座の独占レパートリーでガルニエは上演する権利がなかったんです。リバーマン着任を機会に仏政府はガルニエ宮とオペラ・コミック座を「パリ国立歌劇場」の名称の下に統合したため、《ペレアス》、《カルメン》、《ラ・ボエーム》などオペラ・コミック座の独占レパートリーもガルニエで上演できるようになったというわけ。リバーマンはガルニエで《カルメン》はやってませんが、ポール・デュカ《アリアーヌと青髭》なんかをガルニエに持ってきていますね。
きのけん

投稿: きのけん | 2006/09/16 14:38


《フィガロ》がオペラ・コミック座の独占レパートリーだったとは、驚きですね^_^;;

さて、こっちのストレーレルの資料、出て来ました。《フィガロ》のヴェルサイユ初演は1973年3月30日になってますね。ガルニエのほうの日付はなし。

それから、この記事本文で紹介したストレーレルの発言でひとつ腑に落ちないところがありまして、ひょっとしたら誤訳かもしれませんが、
「このモーツァルトの最初の演出」
と言っているところ。ストレーレルは《フィガロ》の演出はこれが初めてっぽいですが、モーツァルト自体は初じゃない。

1966年7月28日《後宮》ベルンハルト・コンツ指揮、ザルツブルク祝祭小劇場
  (42回公演、67,70,71,72,73,74,75年ザルツブルクにて再演)
1969年5月23日《後宮》ズビン・メータ指揮フィレンツェ市立歌劇場
  (4回公演)
1972年5月15日《後宮》ベルンハルト・コンツ指揮、ミラノ・スカラ座
  (17回公演、78年スカラ座、ベルガモ、クレモーナ、ブレーシャにて再演) 

以上のとおり、《後宮》をやっていますから。

投稿: Orfeo | 2006/09/16 16:51

>きのけんさん、orfeoさん
情報ありがとうございます。私もプライはベームの方が合っていると思います。プライとベームはフィガロの映画だけでなくてコジの映画も作っているのですが(姉妹はヤノビッツとルートビッヒ)なかなか見ることができず残念です。LD時代にユニテルは制作したばかりのポネル/アーノンクールのコジの発売を優先したのでベームの方はお蔵入りしたままです。そろそろ発掘されていいように思います。きのけんさんはこの映画はごらんになられていますか?

ハーウッドはガルニエでも伯爵夫人を歌っているのですか。これだけキャストが似るとマネジメント側の意向がからんでいるようにも思います。カラヤンのマネジメントをしていたコロンビアアーティスツがリーバーマンやショルティとつながっていたということは考えられませんでしょうか?

投稿: たか | 2006/09/16 20:33

たかさん、横から失礼します。
>コジの映画
テレビで放送したのを見ました。コジの映像では一番好きかも^^;;

投稿: edc | 2006/09/16 20:39


>たかさん、edcさん
・・・うわあ、ベームの《コジ》の映像、見てみたいです。。。

投稿: Orfeo | 2006/09/16 22:26

>edcさん
それはすごい! NHKは放送していないと思いますが、クラシカジャパンですか? 
キャストはヤノビッツとルートビッヒとプライだと聞いているのですが、残りの3人は誰でしょう? 演出は?

投稿: たか | 2006/09/16 23:18

>きのけんさん
73年のプレミエでロローはクルチオでケルビーノはシュターデでしたか。多分私の手持ちのカタログが間違っているのだと思います。そうすると74年のザルツは主役では伯爵夫人がヤノビッツからハーウッドに変わっただけの本当に瓜二つですね。まあシュターデはグラインドボーンでもケルビーノを歌っていますからカラヤンが特にパリの公演を意識したかどうかはわかりませんが.....

余談になりますが、プライはこの時期まで舞台ではまだ伯爵を歌っていたようで、カタログによると74年にアバドがスカラで、プライ(伯爵)、フレーニ(伯爵夫人)、マッツカート(スザンナ)、ファンダム(フィガロ)、ベルガンサ(ケルビーノ)モンタルソロ(バルトロ)という公演をやったそうです。プライとファンダム、ベルガンサの共演も去ることながら、フレーニの伯爵夫人というのは初耳です。スザンナが無名ですし、このカタログたまに間違えているので本当かどうか確認したいのですが、スカラのキャストなんて調べようありますでしょうか? keyakiさんご存知ありませんでしょうか?

投稿: たか | 2006/09/17 00:37

>フレーニの伯爵夫人
あってます。
67〜92のスカラ座公演記録は手元にありますので、いつでもお尋ね下さい。

アバド絡みですと、アバド資料館という素晴しいサイトがありますが、信頼性は高いです。
http://www.ne.jp/asahi/claudio/abbado/

投稿: keyaki | 2006/09/17 01:43

>keyakiさん:
 ↑この資料館嫌い!…まるで嫌がらせみたいに、僕が1970年代に行ったコンサートが軒並み外されてて、行ってないやつだけ載ってやがる!…。1975-80年にかけて、僚友バレンボイム支援も兼ねて(メータと三人でシエナのフランコ・フェラーラ教室の同級生)毎シーズンパリ管に来てたのが一つも入ってないってのはどういうわけ?…。欧州ユース・オーケストラとの公演も全然入ってないよ(アバドは当時これにいちばん力を入れていて、ポリーニなんかもしょっちゅう出てた)。まあ、ああいう資料サイトは、今後どんどん充実していくでしょうが…。

>たかさん:
…いや、僕の手持ちの資料だって、どの程度アテになるやら…。ちゃんと3月30日の非公開初演の伯爵がバッキエで4月7日の公式初演がクラウゼだったというとこまでフォローしてたんで、いちおう信用しましたが、僕のソースは L'AVANT-SCENE-OPERA "LES NOCES DE FIGARO" (mai-juin 1979, ed. Avant-Scene, Paris)です。ただ、案の定ベルガンサがどたキャンで全回アンナ・ランガールに代わったのは全然フォローしてなかった!(笑)。
 同じ資料の《ドン・ジョヴァンニ》のやつではマゼットがジェイムズ・キングになってる箇所があるのよ。それで思い出したんだけど、そうそう、あの回はプログラムの写真のキャピュションが間違ってて、マルカム・キングがジェイムズ・キングになっていたんだ。ウィーンから来た友人が、休憩の時、ジェイムズ・キング出てませんね、なんて言うから、ばっかー!、ジェイムズ・キングが出てるわけねえだろ!って答えたら、ほらっ!ってプログラムを見せてくれたわけ。あの間違ってたやつをそのまま使っちゃってるわけよ。ああいう資料ってのは、だいたいそんなもんです。『小澤征爾大研究』(春秋社)のために小澤のパリ公演のリストを作った時、身に滲みて判った。ミシェル・グロツとか、国立放送局とか、国立歌劇場とかの公式資料がいちばんアテにならないんだよねえ…。どたキャンなんて全部抜けてる。アバドやブーレーズがピンチ・ヒッターで登場したのまで、全部小澤が振ったことになってるんだよねえ…。ほんと、あれには頭きたぜい!(笑)。1975年〜1990年辺りは全部行ってる自信があったから、結局自前の資料を使っちゃいました。『ONTOMO-MOOK』版のリスト(ソース:グロツ)と僕の春秋社版のを較べてみれば一目瞭然ですわ!(笑)…。

>これだけキャストが似るとマネジメント側の意向がからんでいるようにも思います。カラヤンのマネジメントをしていたコロンビアアーティスツ

 …そうそう、そいつを上のコメントで書き落としちゃったんですが、カラヤンの場合コロンビア・アーティスツはアメリカと欧州以外(+ザルツブルク:今日本はカジモト?…)で、欧州はミシェル・グロツです。リバーマンはコロンビア・アーティスツとは全然関係なかったみたいだけど(…弟子のモルチエもザルツブルクからコロンビア・アーティスツを追い出しちゃったでしょ!…)、確かに、ミシェル・グロツはリバーマン時代しょっちゅうオペラ座に来てました。
きのけん

投稿: きのけん | 2006/09/17 08:28

おまけ:
▼ジョルジョ・ストレーレル・オペラ演出全リスト(再演は含みません)
(*音楽には全然関心のない演劇専門学者が作ったリストのようで指揮者の明記がない!)
===============
1946年3月:オネゲル=ポール・クローデル《火刑台上のジャンヌ・ダルク》、ミラノ・リリコ劇場
1947年3月:ヴェルディ《椿姫》 、(美)ジャンニ・ラット、ミラノ・スカラ座
1947年12月:プロコフィエフ《三つのオレンヂの恋》、(美)ジャンニ・ラット、ミラノ・スカラ座
1949年3月:チマローザ《秘密の結婚》、(美)ジャンニ・ラット、ミラノ・スカラ座
1949年9月:ベルク《ルル》、ヴェネツィア・フェニーチェ座
1950年5月:フランコ・マリピエロ《陽気な連隊》、(美)ジャンニ・ラット、ミラノ・スカラ座
1950年5月:ドニゼッティ《ドン・パスクヮーレ》(美)ジャンニ・ラット、ミラノ・スカラ座
1950年5月:R・シュトラウス《ナクソス島のアリアドネ》、(美)ルートヴィヒ・ジーベルト、ミラノ・スカラ座
1950年5月:アルベルト・サヴィーニオ《アルチェステ・ディ・サムエーレ》(マイム=バレエ)、(美・衣)アルベルト・サヴィーニオ、ミラノ・ピッコロ劇場
1951年3月:ドニゼッティ《愛の妙薬》、(美)ジャンニ・ラット、ミラノ・スカラ座
1951年4月:マスネ《ウェルテル》、(美・衣)ニコラ・ブノワ、ミラノ・スカラ座
1951年12月:チマローザ《イル・クレドゥーロ》(美・衣)レオノール・フィニ、ミラノ・スカラ座
1952年3月:フアン=ホセ・カストロ《プロセルピーナと異邦人》、(美・衣)ホレイショ・バトラー、ミラノ・スカラ座
1952年9月:フランコ・マリピエロ《交換された息子のお気に入り娘》、ヴェネツィア・フェニーチェ座
1955年9月:プロコフィエフ《炎の天使》、(美)ルチアノ・ダミアニ、(衣)エツィオ・フリジェリオ、ヴェネツィア・フェニーチェ座(+12月:ミラノ・スカラ座)
1955年12月:チマローザ《秘密の結婚》、(美)ルチアノ・ダミアニ、(衣)エツィオ・フリジェリオ、ミラノ・スカラ座(+1963年3月)
1956年2月:ブレヒト=クルト・ヴァイル《三文オペラ》、(美)テオ・オットー、ルチアノ・ダミアニ、(衣)エツィオ・フリジェリオ、ミラノ・ピッコロ劇場
1957年5月: ギュスターヴ*・シャルパンチエ《ルイーズ》、(美・衣) エツィオ・フリジェリオ 、ミラノ・スカラ座
(*大抵の資料では「マルク=アントワーヌ」になってますが、もちろんギュスターヴの方)
1957年5月:ストラヴィンスキー《兵士の物語》、(振付)ジョン・クランコ、(美)ニコラ・ブノワ、ミラノ・スカラ座
1958年6月:ニーノ・ロータ《フィレンツェの麦藁帽子》、(美)ルチアノ・ダミアニ、(衣)エツィオ・フリジェリオ、ミラノ・ピッコロ劇場
1959-60年;プロコフィエフ《ピエリーノと泥棒》 、ミラノ・ピッコロ劇場
1964年2月:ブレヒト=クルト・ヴァイル《マハゴニー市の興亡》、(美)ルチアノ・ダミアニ、ミラノ・スカラ座(ピッコラ・スカラ)
1965年7月:モーツァルト《後宮からの逃走》、(美)ルチアノ・ダミアニ、ザルツブルク音楽祭(祝祭小ホール)(+ 1969年5月:フィレンツェ・ペルゴラ座+ 1972年5月&1994年7月:ミラノ・スカラ座)
1969年6月:ベートーヴェン《フィデリオ》、(美・衣) エツィオ・フリジェリオ 、フィレンツェ五月祭、フィレンツェ市立劇場
1971年12月:ヴェルディ《シモン・ボッカネグラ》、(美・衣) エツィオ・フリジェリオ 、ミラノ・スカラ座
1973年2月:ブレヒト=クルト・ヴァイル《三文オペラ》、(美・衣)エツィオ・フリジェリオ、プラト・メタスタジオ劇場
1973年3月:モーツァルト《フィガロの結婚》 、(美・衣)エツィオ・フリジェリオ、パリ国立歌劇場(ヴェルサイユ宮廷歌劇場)
1973年5月:ブレヒト=パウル・デッサウ《ルクルスの断罪》(演出)ストレーレル&ランベルト・プジェッリ、(美)パウロ・ブレーニ、(衣)ルイザ・スピナテッリ、ミラノ・スカラ座
1974年12月:プロコフィエフ《三つのオレンヂの恋》、(振付)マリオ・ピストーニ、(美)ルチアノ・ダミアニ 、ミラノ・スカラ座
1974年7月:モーツァルト《魔笛》、(美・衣)ルチアノ・ダミアニ 、ザルツブルク音楽祭(祝祭大ホール)
1975年12月:ヴェルディ《マクベス》 (振付)マリオ・ピストーニ 、(美・衣)ルチアノ・ダミアニ 、ミラノ・スカラ座
1980年12月:ヴェルディ《ファルスタッフ》 (美・衣) エツィオ・フリジェリオ 、ミラノ・スカラ座
1980年5月: 《フィガロの結婚》 、(美・衣)エツィオ・フリジェリオ、ミラノ・スカラ座
1981年12月:ワーグナー《ローエングリン》 、(美)エツィオ・フリジェリオ 、(衣)フランカ・スカルチャピーノ 、ミラノ・スカラ座
(ただし、アバドと大喧嘩して、公式には(演出)無名氏、(照明)ストレーレル)
1984年1月: モーツァルト《後宮からの逃走》、(美)ルチアノ・ダミアニ、パリ国立歌劇場(ガルニエ・オペラ)
1986年11月: ブレヒト=クルト・ヴァイル《三文オペラ》、(美)エツィオ・フリジェリオ 、(衣)フランカ・スカルチャピーノ 、パリ市立音楽劇場シャトレ座
1987年12月;モーツァルト《ドン・ジョヴァンニ》 (美)エツィオ・フリジェリオ 、(衣)フランカ・スカルチャピーノ 、ミラノ・スカラ座
1989年11月: ベートーヴェン《フィデリオ》、 (美)エツィオ・フリジェリオ 、(衣)フランカ・スカルチャピーノ 、パリ市立音楽劇場シャトレ座=ミラノ・スカラ座
1994年6月: モーツァルト《後宮からの逃走》、(美)ルチアノ・ダミアニ、 ミラノ・スカラ座
(以上)
ソース;Giovanni LISTA, LA SCENE MODERNE, ed. Acte Sud, Arles=ed. Carre, Paris, 1997)
きのけん

投稿: きのけん | 2006/09/17 08:51

きのけんさん、
こういうサイトは公開することで、正確な、より充実したものになって行くものですので、お知らせしてあげれば、喜ばれますよ。

たとえば、カラヤンの公式サイトにしても完璧なものではなくて、日本の公演なんかは、ずいぶん日本のカラヤンファンの方達がメールをして追加訂正してもらったようです。でもアイーダのライモンディが未だにジャンニ・ライモンディになっています。私も日本語サイトならすぐにメールをするんですけどね。

本当にオペラの場合は、急遽変更もあるし、苦労しますよね。プロの物書きの方は大変だと思います。
ブログには愚痴を書きましたが、DVDのリブレットなんか適当書いちゃえということなんでしょうけど、びっくりなのがいろいろあります。同業者としてのきのけんさんのご意見を伺ってみたいです。お時間のある時にぜひ、目を通していただきたいです。けっこう面白いですよ。
http://blog.so-net.ne.jp/keyaki/archive/c15559

オペラ歌手の紹介本にしても、ルチア・ポップをイェルザレムと結婚させちゃったり、まあ、言いたい放題。しかし、こういう本も単なるオペラオタクの教授とかが書いてたりするので、自分の好み丸出しで、笑い話にはなりますけどね。
活字になることの重みを真摯に受け止めて、責任を持って執筆してほしいです。
たとえば、一度貼られたレッテルって、お仲間の皆さんがなぜか使い回して、またそれを読んだ一般人が、さも知ったかぶりでBBSに書いたりするんですね。その例がこちら
http://blog.so-net.ne.jp/keyaki/2005-05-09

投稿: keyaki | 2006/09/17 10:02


>きのけんさん
詳細なストレーレルのデータ提供、ありがとうございました。これ、参照価値も高いと思うし、コメント欄に埋もれさせておくのはちょっと勿体無いので、新規記事としてアップします。こちらの資料に指揮者の名前も入っていますので、ちゃんと入れておきますね。あと、そちらで抜けている公演もあるようなので、それも付け加えさせていただきます。

上に私が載せた《後宮》のデータ、しっかり間違っていましたね。69年のフィレンツェでの公演は、たしかにベルゴラ座でした。これはたんなる私の写し間違いです。でも、94年のスカラ座での再演は上で7月、下で6月となっていますが、これはどちらが正解でしょうか?keyakiさん、分かる?

投稿: Orfeo | 2006/09/17 12:27

>keyakiさん、きのけんさん
情報提供ありがとうございます!

プライの伯爵とフレーニの伯爵夫人ということですとベームの映画とはまるっきり逆のキャスティングということになりますね.....
でも良く考えると、フレーニの声はモーツアルトにはスケールが少し大きいのでスザンナよりは伯爵夫人の方が合っているかもしれませんね。

>ミシェル・グロッツ
カラヤンが「私の耳を同じ耳をしている」とか言った人ですね。もともとEMIのプロデューサーだったようですが後にDGの録音もプロデュースするようになったようです。彼の関与した録音は継ぎ接ぎが多いような気がするのがちょっと気になりますが、むしろマネージャーとしての能力の方が評価できるのかもしれません。


投稿: たか | 2006/09/17 12:37

スカラ座の公演記録は92年までなんで、そちらからはわかりませんが、なぜかストレーレルのスカラ座での全公演記録を持ってます。オークションに出しても売れなかったので、未だに手元にあります。お役に立てるとは嬉しい!

えっとですね、giugnoですから6月
1994年6月27日(8) Mattia Testiの再演、指揮はサバリッシュです。
ということは、きのけんさんのリストと違いますね。
これは、1978年2月にスカラで、多分初演だとおもいます。

せっかくですからOrfeoさんの書式に従って書いておきます。
1978年2月:モーツァルト《後宮からの逃走》 、(指)レイフ・セーゲルスタム/リチャード・アムナー、(美・衣) ルチアーノ・フリジェリオ 、ミラノ・スカラ座(+1981年、199ム/,リチャードナー,リチャードムナー,リチャードムナー,リチャード再演、 + 1995年9月:東京にて再演)

投稿: keyaki | 2006/09/17 14:28

わぁ、途中で行っちゃいました。ごめんなさい。
今から出かけますので、またあとで、ちゃんと書きます。

>せっかくですからOrfeoさんの書式に従って書いておきます。
1978年2月:モーツァルト《後宮からの逃走》 、(指)レイフ・セーゲルスタム/リチャード・アムナー、(美・衣) ルチアーノ

ここまでは正しいですけど、あとは、またコメントします。

投稿: keyaki | 2006/09/17 14:32


keyakiさん、ありがとうございます。
なんだかまた素晴らしいものをお持ちなんですね^_^;;
こちらは台風が迫りつつあって、外出は無理っぽいです。
どうぞお気をつけて!(?)

投稿: Orfeo | 2006/09/17 15:09


>きのけんさん
リストの中の1984年ガルニエの《後宮》は、1965年のザルツブルクのプロダクションと一緒でしょうか?

それと、1955年のフェニーチェ座《炎の天使》のスカラ座での再演は、こちらの資料では同年12月ではなくて、翌56年12月になっていますが?これはkeyakiさんが分かるかな?

投稿: Orfeo | 2006/09/17 18:12

バキエつながりで、TBさせていただきます。それから記事の中でリンクはらせて頂きました。
ODBオペラというフランスのオペラのサイトを運営している方の企画の一般公開のインタビューのようです。

きのけんさんは、お引越しでお忙しそうですが、お時間があれば、ぜひ、ぜひ・・・・なんですけど・・・・まさか、帰国されたということではないですよね。

投稿: keyaki | 2006/11/02 15:17


keyakiさん、こんにちは。リンク&TB、ありがとうございます。
きのけんさんは、遠くへ旅立たれたようです(・・・って、オイオイ)。
そろそろ戻ってきてもいい頃なんだけど・・・。さて、いかに?

投稿: Orfeo | 2006/11/02 16:16

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