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2006/09/17

ストレーレル・オペラ演出総覧

▼Giorgio Strehler - operagrafia

20世紀屈指の名演出家、イタリアのジョルジョ・ストレーレル(1921~1997年)がオペラの分野で手掛けたプロダクションの全リストです。再演の記述の中でとくに地名を表記していないものは、初演と同じ場所での公演を意味します。

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1946年3月:オネゲル=ポール・クローデル《火刑台上のジャンヌ・ダルク》、(指)パウル・ザッハー、ミラノ・リリコ劇場
1947年3月:ヴェルディ《椿姫》、(指)ヨネル・ペルレア、(美)ジャンニ・ラット、ミラノ・スカラ座(+1947年、1948年再演)
1947年12月:プロコフィエフ《三つのオレンヂの恋》、(指)アンジェロ・クエスタ、(美)ジャンニ・ラット、ミラノ・スカラ座
1949年3月:チマローザ《秘密の結婚》、(指)ニーノ・サンゾーニョ、(美)ジャンニ・ラット、ミラノ・スカラ座
1949年4月:ドビュッシー《ペレアスとメリザンド》、(指)ヴィクトル・デ・サバタ、ミラノ・スカラ座
1949年5月:ペトラッシ《コルドヴァ人》、(指)ニーノ・サンゾーニョ、(美・衣)ジュリオ・コルテッラチ、ミラノ・スカラ座(+1949年再演)
1949年9月:ベルク《ルル》、(指)ニーノ・サンゾーニョ、ヴェネツィア・フェニーチェ座
1950年5月:フランコ・マリピエロ《陽気な連隊》、(指)ニーノ・サンゾーニョ、(美)ジャンニ・ラット、ミラノ・スカラ座(+1951年再演)
1950年5月:ドニゼッティ《ドン・パスクヮーレ》、(指)ニーノ・サンゾーニョ、(美)ジャンニ・ラット、ミラノ・スカラ座(+1950年、1952年再演)
1950年5月:R・シュトラウス《ナクソス島のアリアドネ》、(指)イサイ・ドブローウェン、(美)ルートヴィヒ・ジーベルト、ミラノ・スカラ座(+1950年再演)
1950年6月:アルベルト・サヴィーニオ《アルチェステ・ディ・サムエーレ》(マイム=バレエ)、(美・衣)アルベルト・サヴィーニオ、ミラノ・ピッコロ劇場
1950年6月:ペロージ《ナザレの人》、(指)フランコ・カプアーナ、(美・衣)ジャンフィリッポ、ミラノ・スカラ座
1951年2月:ピッチンニ《チェッキーナはよい娘》、(指)フランコ・カプアーナ、ミラノ・スカラ座(+1951年再演)
1951年3月:ドニゼッティ《愛の妙薬》、(指)アルジェオ・クァドリ、(美)ジャンニ・ラット、ミラノ・スカラ座(+1951年再演)
1951年4月:マスネ《ウェルテル》、(指)フランコ・カプアーナ、(美・衣)ニコラ・ブノワ、ミラノ・スカラ座(+1951年再演)
1951年5月:ペラガッロ《丘》、(指)ニーノ・サンゾーニョ、(美)ジャンニ・ラット、(衣)エベ・コルチャギ、ミラノ・スカラ座(+1951年再演)
1951年6月:オネゲル《ユディット》、(指)イサイ・ドブローウェン、(美)ジャンニ・ラット、(衣)エベ・コルチャギ、ミラノ・スカラ座(+1951年再演)
1951年12月:チマローザ《イル・クレドゥーロ》、(指)ニーノ・サンゾーニョ、(美・衣)レオノール・フィニ、ミラノ・スカラ座(+1952年再演)
1952年3月:フアン=ホセ・カストロ《プロセルピーナと異邦人》、(指)フアン=ホセ・カストロ、(美・衣)ホレイショ・バトラー、ミラノ・スカラ座
1952年9月:フランコ・マリピエロ《交換された息子のお気に入り娘》、(指)ニーノ・サンゾーニョ、ヴェネツィア・フェニーチェ座
1955年9月:プロコフィエフ《炎の天使》、(指)ニーノ・サンゾーニョ、(美)ルチアノ・ダミアニ、(衣)エツィオ・フリジェリオ、ヴェネツィア・フェニーチェ座(+1956年12月ミラノ・スカラ座にて再演)
1955年12月:チマローザ《秘密の結婚》、(指)ニーノ・サンゾーニョ、(美)ルチアノ・ダミアニ、(衣)エツィオ・フリジェリオ、ミラノ・スカラ座小劇場(+1956年、1957年、1958年、1963年3月再演、 + 1956年ヨハネスバーグ、1957年エジンバラ、1958年ブリュッセルにて再演)
1956年2月:ブレヒト=クルト・ヴァイル《三文オペラ》、(指)ブルーノ・マデルナ、(美)テオ・オットー、ルチアノ・ダミアニ、(衣)エツィオ・フリジェリオ、ミラノ・ピッコロ劇場(+1958年11月(指)ブルーノ・マデルナ、再演、 + 1956年ローマ、1959年トリノ、パリにて再演)
1957年5月: ギュスターヴ*・シャルパンチエ《ルイーズ》、(指)アンドレ・クリュイタンス、(美・衣) エツィオ・フリジェリオ 、ミラノ・スカラ座
(*大抵の資料では「マルク=アントワーヌ」になってますが、もちろんギュスターヴの方)

1957年5月:ストラヴィンスキー《兵士の物語》、(指)ニーノ・サンゾーニョ、(振付)ジョン・クランコ、(美)ニコラ・ブノワ、ミラノ・スカラ座小劇場(+1957年、1962年再演)
1958年6月:ニーノ・ロータ《フィレンツェの麦藁帽子》、(指)ニーノ・サンゾーニョ、(美)ルチアノ・ダミアニ、(衣)エツィオ・フリジェリオ、ミラノ・スカラ座小劇場(+1958年、1959年再演)
1959-60年:プロコフィエフ《ピエリーノと泥棒》、ミラノ・ピッコロ劇場
1963年6月:プロコフィエフ《ピーターと狼》、(指)ニーノ・サンゾーニョ、ミラノ・スカラ座
1964年2月:ブレヒト=クルト・ヴァイル《マハゴニー市の興亡》、(指)ニーノ・サンゾーニョ、(美)ルチアノ・ダミアニ、ミラノ・スカラ座小劇場
1965年7-8月:モーツァルト《後宮からの逃走》、(指)ズビン・メータ/ベルンハルト・コンツ、(美・衣)ルチアノ・ダミアニ、ザルツブルク音楽祭(祝祭小ホール)(+ 1966年(指)ズビン・メータ/ジョン・プリチャード、1967年(指)ズビン・メータ、1970年(指)ズビン・メータ、1971年(指)レイフ・セーゲルスタム、1972年(指)レイフ・セーゲルスタム、1973年(指)レイフ・セーゲルスタム、1974年(指)レイフ・セーゲルスタム、1975年(再演出)フェルッチョ・ソレーリ、(指)レイフ・セーゲルスタム、再演、 + 1969年5月(指)ズビン・メータ、フィレンツェ・ペルゴラ座、1972年5月(指)ベルンハルト・コンツ、ミラノ・スカラ座、1978年 2月(指)レイフ・セーゲルスタム/リチャード・アムナー、ミラノ・スカラ座、1994年6月(再演出)マッティア・テスティ、(指)ウォルフガング・サヴァリッシュ、ミラノ・スカラ座にて再演)
1966年5月:マスカーニ《カヴァレリア・ルスティカーナ》、(指)ヘルベルト・フォン・カラヤン、(美・衣)ルチアノ・ダミアニ、ミラノ・スカラ座(1967年、1968年、1970年再演)
1969年6月:ベートーヴェン《フィデリオ》、(指)ズビン・メータ、(美・衣) エツィオ・フリジェリオ 、フィレンツェ五月祭、フィレンツェ市立劇場
1971年12月:ヴェルディ《シモン・ボッカネグラ》、(指)クラウディオ・アバド、(美・衣) エツィオ・フリジェリオ 、ミラノ・スカラ座(+1971年、1972年、1973年、1974年、1978年、1982年(再演出)マリーズ・フラッチ/マッティア・テスティ、再演、 + 1976年ロンドン、ワシントン、1978年(指)クラウディオ・アバド、パリ・オペラ座、1979年ブレーシャ、ベルガモ、パリ、1981年9月(再演出)マリーズ・フラッチ/マッティア・テスティ、(指)クラウディオ・アバド、東京文化会館、1984年3月-1990年10月(指)クラウディオ・アバド/ハンス・グラフ、ウィーン国立歌劇場にて再演)
1973年2月:ブレヒト=クルト・ヴァイル《三文オペラ》、(美・衣)エツィオ・フリジェリオ、プラト・メタスタジオ劇場(+1973年ジェノヴァ、ミラノ、ローマ、バーリ、トリノ、1974年パヴィーア、ミラノ、1975年ミラノにて再演)
1973年3-4月:モーツァルト《フィガロの結婚》、(指)ゲオルク・ショルティ、(美・衣)エツィオ・フリジェリオ、ヴェルサイユ宮廷歌劇場(+1973年9月~(指)レジナルド・ジョヴァニネッティ/チャールズ・マッケラス/ユリウス・ルデル、1974年(指)ジャン=ピエール・ジャッキヤ、1976年(指)ガリー・ベルティーニ1978年(指)ガリー・ベルティーニ、1979年(指)ジョン・プリチャード1980年(指)クリストフ・フォン・ドホナーニ/チャールズ・マッケラスorジョン・プリチャード/ゲオルク・ショルティ、すべてパリ・オペラ座にて再演、 + 1976or1977年モスクワ、(指)ゲオルク・ショルティ、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場にて再演)
1973年5月:ブレヒト=パウル・デッサウ《ルクルスの断罪》、(共同演出)ランベルト・プジェッリ、(指)ブルーノ・バルトレッティ、(美)パウロ・ブレーニ、(衣)ルイザ・スピナテッリ、ミラノ・スカラ座
1974年7-8月:モーツァルト《魔笛》、(指)ヘルベルト・フォン・カラヤン、(美・衣)ルチアノ・ダミアニ 、ザルツブルク音楽祭(祝祭大ホール)
1974年12月:プロコフィエフ《三つのオレンヂの恋》、(指)クラウディオ・アバド、(振付)マリオ・ピストーニ、(美)ルチアノ・ダミアニ 、ミラノ・スカラ座(+1975年再演)
1975年12月:ヴェルディ《マクベス》、(指)クラウディオ・アバド、(振付)マリオ・ピストーニ 、(美・衣)ルチアノ・ダミアニ 、ミラノ・スカラ座(+1976年、1979年、1985年再演、 + 1976年ワシントンにて再演)
1980年12月:ヴェルディ《ファルスタッフ》、(指)ロリン・マゼール、(美・衣) エツィオ・フリジェリオ 、ミラノ・スカラ座(+1982年、1993年(再演出)エンリコ・ダマート、1995年(再演出)マリナ・ビアンキ、(指)リッカルド・ムーティ、1997年(再演出)マリナ・ビアンキ、再演、 + 1995年9月(指)リッカルド・ムーティ、東京・NHKホールにて再演)
1981年5月: モーツァルト《フィガロの結婚》、(指)リッカルド・ムーティ、(美)エツィオ・フリジェリオ、(衣)フランカ・スカルチャピーノ、ミラノ・スカラ座(+1987年(再演出)カルロ・バッティストーニ、1989年(再演出)カルロ・バッティストーニ、1997年(再演出)カルロ・バッティストーニ、(指)リッカルド・ムーティ、再演、 + 2001年(再演出)ミヒャエル・ヘルター、(指)リッカルド・ムーティ、アン・デア・ウィーン劇場、2002年(再演出)ミヒャエル・ヘルター、(指)リッカルド・ムーティ、アン・デア・ウィーン劇場/ラヴェンナ音楽祭にて再演)
1981年12月:ワーグナー《ローエングリン》、(指)クラウディオ・アバド、(美)エツィオ・フリジェリオ 、(衣)フランカ・スカルチャピーノ 、ミラノ・スカラ座(+1983年再演)
(ただし、アバドと大喧嘩して、公式には(演出)無名氏、(照明)ストレーレル)

1984年1月: モーツァルト《後宮からの逃走》、(美)ルチアノ・ダミアニ、パリ国立歌劇場(ガルニエ)
1986年11月: ブレヒト=クルト・ヴァイル《三文オペラ》、(美)エツィオ・フリジェリオ、(衣)フランカ・スカルチャピーノ 、パリ市立音楽劇場シャトレ座
1987年12月:モーツァルト《ドン・ジョヴァンニ》、(指)リッカルド・ムーティ、(美)エツィオ・フリジェリオ 、(衣)フランカ・スカルチャピーノ 、ミラノ・スカラ座(+1989年(再演出)カルロ・バッティストーニ、1993年(再演出)カルロ・バッティストーニ、再演、 + 2005年(再演出)マリナ・ビアンキ、カリアリにて再演)
1989年11月: ベートーヴェン《フィデリオ》、 (指)ロリン・マゼール、(美)エツィオ・フリジェリオ 、(衣)フランカ・スカルチャピーノ 、パリ市立音楽劇場シャトレ座(+1990年1月ミラノ・スカラ座にて再演)
1997年12月:死去
1998年1月:モーツァルト《コジ・ファン・トゥッテ》、(共同演出)カルロ・バッティストーニ、(指)イオン・マリン、(美)エツィオ・フリジェリオ、(衣)フランカ・スカルチャピーノ、ミラノ・ピッコロ・テアトロ新劇場(現ストレーレル劇場)開場記念公演(+1999年2月バーリ、2000年5月ウィスバーデン、2000年11月(指)エンリケ・マッツォーラ、東京・日生劇場、2003年11月トリエステ、2004年9月ローマにて再演)
(以上)

ソース;Giovanni LISTA, LA SCENE MODERNE, ed. Acte Sud, Arles=ed. Carre, Paris, 1997、Giorgio Strehler alla Scala, La Scala67〜92、ほか

きのけん + keyaki + Orfeo

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*訂正、再演等の追加情報、お待ちしています。

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コメント

50(ほんとに!)もコメントついてますので、こちらに書きます。
さっきの続きです。

1978年2月:モーツァルト《後宮からの逃走》、(指)レイフ・セーゲルスタム/リチャード・アムナー、(美・衣) ルチアーノ・ダミアーニ、ミラノ・スカラ座(+1994年ミラノ・スカラ座、(再)マッティア・テスティ、(指)サバリッシュ)


>1955年のフェニーチェ座《炎の天使》のスカラ座での再演
1956年12月22日(4)

ソース:Giorgio Strehler alla Scala, La Scala67〜92

投稿: keyaki | 2006/09/17 20:24

>きのけんさん、keyakiさん、orfeoさん
すばらしいリストですね。
私がストレーレルを知ったのは60年代のカバレリアあたりからでしたので40年代からオペラの演出をしているとは知りませんでした。
ゼッフィレルリなどが同じ作品の演出をミラノでもウイーンでもロンドンでもメトでもやるのと比較して、ストレーレルの場合は繰り返し取り上げた作品が少ないですね。フィガロのヴェルサイユとパリオペラ座をひとくくりにしてしまえば、複数回取り上げたのは三文オペラと、後宮とフィデリオとシモンぐらいでしょうか。ゼッフィレルリとはかなり異なる仕事の仕方をした人のようですね。
ファルスタッフの東京公演を再演に数えるなら、81年のシモンの東京公演も入るかも。

投稿: たか | 2006/09/17 20:25


>keyakiさん
どうもありがとうございます。
スカラ座での《炎の天使》はやはり56年みたいですね。そっちを生かします。
いまだよく分かんないのは《後宮》なんですが、これはきのけんさんからの情報をちょっと待ちたいと思います。でも、94年のマッティア・テスティって、なに?
"(再)"って、「再演出」ってことですかね?

>たかさん
どうもです。
あの《シモン》のプロダクションって、来日公演があったんですか。81年といえば、こちらはまだオペラに目覚めていなかった時分なので、初耳でした。謹んで書き加えさせていただきます^_^;;

投稿: Orfeo | 2006/09/17 21:18


>keyakiさん
あと、おヒマなときで結構ですから、スカラ座のプロダクションで美術、衣裳の名前が抜けているやつを教えていただけると、大変ありがたいです。66年のカラヤンの《カヴァレリア》、とか、ね。よろしくお願いします。

投稿: Orfeo | 2006/09/17 22:02

>"(再)"って、「再演出」ってことですかね?
そうです。
再演でもストレーレルだけの名前の時もあります。
たとえば、シモンは、1981年の東京公演と1982年は、ストレーレルの名前と、Marise FlashとMattia Testiによる再演出と書かれています。それまでのは、ストレーレルの名前だけです。

Orfeoさん、再演というのは、ご本人が亡くなってもいろんな劇場でやってますけど、勝手にできるんですか。
たとえば、ヴィスコンティやポネルのものもいろんな劇場で再演してますよね。

ストレーレルのドン・ジョヴァンニも2005年にライモンディ主演で原演出ストレーレルで上演してます。劇場は、サルデーニャのカリアリ。
(再)マリナ・ビアンキ、(美)エツィオ・フリジェリオ 、(衣)フランカ・スカルチャピーノ

以下、スカラ座での再演です。

ドン・ジョヴァンニ:
1989年、1993年、(再)カルロ・バッティストーニ

フィガロの結婚:
1987年、1989年、1997年、(再)カルロ・バッティストーニ

ファルスタッフ:
上記記載の再演 1981年ではなく1982年のようです。
1993年、(再)エンリコ・ダマート
1995年、(再)マリナ・ビアンキ(記載済み)
1997年、(再)マリナ・ビアンキ

フィデリオ:
1990年1月、ミラノ・スカラ座

ーーーーーーーーーーーー
《ペレアスとメリザンド》
Giorgio Strehler alla Scalaに掲載されていない??

《ナザレの人》
(美・衣)ジャンフィリッポ 

《コルドヴァ人》
(美・衣)ジュリオ・コルテッラチ Giulio Coltellaci

《丘》
(美)ジャンニ・ラット、(衣)エベ・コルチャギ Ebe Colciaghi

《ユディット》
(美)ジャンニ・ラット、 (衣)エベ・コルチャギ Ebe Colciaghi

《カヴァレリア・ルスティカーナ》
(美・衣)ルチアノ・ダミアニ

投稿: keyaki | 2006/09/17 23:08

 おお、すごいことになってますね(笑)。

 ちょいと驚いたのは、ストレーレルがミラノにピッコロ劇場を創設する以前から既にオペラに手を出していた点ですね。戦前、彼はフランスでルイ・ジューヴェに就いて修行していて、彼には、ジューヴェがある女生徒にモリエール『ドン・ジュアン』のエルヴィール役を指導している授業の記録を使った《エルヴィール=ジューヴェ'44》(伊語タイトルは「エルヴィーラあるいは演劇への情熱」、1986)なんていう芝居があるくらいなんですが、フランスでジャン・ヴィラールの国立民衆劇場やアヴィニョン演劇祭創設の動きなんかをイタリアに輸入して、ピッコロ劇場というイタリア初の公共常設劇場を創設したことから、イタリア現代演劇の父とまで言われたわけですが、さすがイタリア人演出家だけあって、オペラに手を出すのも早かった。演劇論集『人間の演劇』では、《椿姫》でティート・ゴッビに巨大な葉巻を喫いながらアリアを歌わせたとかで、あんなことをするんじゃなかった、なんて後悔してます(笑)。
 ただ、ご覧の通り、オペラ演出は彼にとって番外の仕事なんで、最も充実した演劇活動をやっている時期には、オペラは本格的にはやってませんね。1960年代中盤までは芝居 10〜15本にオペラ1本くらいの割合だね。それもブレヒト=ワイルを入れての勘定です。
 ただ、ストレーレルという人も、自分がオペラ演出なんかに手を出すのに後ろめたい気持ちを抱いていた様子で、ストレーレルが定期的にブチ上げるオペラ弾劾演説ってのが、これまた有名でした。この点は、オペラ・ファンの方ではなかなか理解し難い感覚なんじゃないかと思うんですが、この手の大口径の芝居演出家たちというのは、必ず何処かで、自分がオペラに手を出す弁解じみたことを言ってますね。シェローしかり、ロンコーニ、グリューバー、ヴィテーズ…。僕のインタビューでウィルソンまで、そんなことを言い出すんだから!…。
 そうそう、フランスでは、ロジェ・プランションがオペラをただの1度もやってない。オペラ座からお声がかかるや、即座に尻尾振って出掛けていく連中ばっかりの中で、これはたいしたもんだ。連中のオペラ弾劾文の類を集めてみると面白いかも?…。

>別項でのOrfeoさんのご質問:ザルツブルクとパリの《後宮》について。

 いちおう別物です。というのも、ストレーレル自身はかつてザルツブルクで作った制作があまり好きでなかったらしくて、同じ装置を使って演出を作り直す機会を狙っていたらしいんです。つまり、ザルツブルク祝祭劇場のあの正面式ホールが肌に合わなかったらしい…。「あんな非人間的劇場!」だなんて唾棄してます。パリのはその意向に添って作り直されたもの…なんですが、どっかにも書いた通り、病気で入院しちゃったもんで、同時進行していたコルネイユ(Orfeoさんもご覧になった L'ILLUSION)が数ヶ月間延期になりまして、《後宮》の方はミラノの病院からストレーレルが電話で指示を出してリハーサルをやらせた…という状況だったんです。でも、翌年の再演の時はちゃんと来てまして、コルネイユ同様自分で手直しをやってました。ちなみに、舞台美術家のルチアノ・ダミアニはフリジェリオ以上に、ストレーレルと最も多く仕事をした人ですね。
 そういや、こないだの《ファルスタッフ》の装置がガエ・アウレンティでなくて残念!(笑)。例の話題の東京イタリア文化会館の真っ赤な建物を設計した建築家が彼女なんですよね。一頃ロンコーニの美術は彼女と決まっていた…。
きのけん

投稿: きのけん | 2006/09/18 02:11

>シモンは、1981年の東京公演と1982年は、ストレーレルの名前と、Marise FlashとMattia Testiによる再演出

要するに本人は現場に来なかったということですよね?
原演出という言葉もあるようですが違いはあるのかしら?

投稿: たか | 2006/09/18 07:16


>keyakiさん
迅速な対応、ありがとうございます^_^;;早速反映させていただきました。

ひとつ質問させてください。
たとえば、
「1987年、1989年、1997年、(再)カルロ・バッティストーニ」
というように書かれている部分は、バッティストーニが再演出したのは1997年だけ?それとも、1987年、1989年、1997年の全部でしょうか?こちらの書式が定まらないのが悪いんですが、とりあえず正確を期したいので、教えていただけるとありがたいです。

演出家の死後の再演に関してですが・・・はっきり言って、ようわからん^_^;;基本的に、演出家は著作隣接権を持っているので、(日本では)50年間保護される筈ですが・・・。死んだら権利が消失するという文言にお目に掛かったことはないけどねえ。

投稿: Orfeo | 2006/09/18 08:36


>きのけんさん
どうもです。

>おお、すごいことになってますね
そんな、他人事みたいに・・・。誰のせいでこんなことになっていると思うんですか!(爆)ちょうど連休だし、台風だし(無事抜けました)、ということで、いささか頑張ってみました^_^;;

こうして一覧表を眺めてみると、ヴェルディが思いのほか少ないですね。あと、マスカーニは一回やってるけど、プッチーニが皆無、というのが面白いです。だいたい、いきなり《火刑台上のジャンヌ・ダルク》ってのがまたフランス人泣かせ(?)ですよねえ(笑)。

>たかさん
うん、「原演出」と書くのと一緒ですよね。

投稿: Orfeo | 2006/09/18 08:54

>「1987年、1989年、1997年、(再)カルロ・バッティストーニ」
1987年、1989年、1997年の全部です。

>要するに本人は現場に来なかったということですよね?
Orfeoさんときのけんさんがお詳しいとおもいますが、そうなんでしょうね。

>原演出という言葉もあるようですが違いはあるのかしら?
これも、Orfeoさんときのけんさんがお詳しいとおもいますが、どうも、亡くなった演出家には、原演出というのを使っているようなかんじですね。日本語だけ? 日本だけの慣習?

■追加情報
ーーーーーーーー
《シモン・ボッカネグラ》に関しては、ウィーン国立歌劇場では、1984年3月22日が初演、ストレーレルもちゃんと来て叫びまくっていますね。
ウィーンでは、1984年3月22日〜1990年10月25日の間に35公演(33公演ウィーン国立歌劇場、2公演ベルリン)
指揮は、アバドが20公演、ハンス・グラフが公演
以上の内容でしか把握できません。
ソースは、Chronik der Wiener Staatsoper 1945-2005
ーーーーーーーー

今、東京に来ているファルスタッフも再演演出と、再演照明の名前が記載されていますので、ロンコーニは来日していないということですよね。
演出:ルカ・ロンコーニ
再演演出:フランコ・バルロッツェッティ
照明:グイド・レヴィ
再演照明:ジャンニ・パオロ=ミレンダ
と記載されていますので、美術さんと衣裳さんは来日しているということでしょうね。

投稿: keyaki | 2006/09/18 09:05


keyakiさん、回答、並びに追加情報、ありがとうございました。同じ名前で再演出の表示が続くのは変かもしれませんが、軽視できない部分なので、すべて入れ込みました。同時に、《シモン》のウィーンのぶんも再演扱いで書き足しました。これ、私の資料でも、そして多分きのけんさんのでも、まったく触れられていないのはなぜ?(笑)

「原演出」という表現に関してですが、あちらでもよく"original production"等の表記でクレジットが出ていますよね。舞台美術や衣裳はモノとして残るから(だから著作権も考え易い)明確ですが、演出というのは実体として残るわけじゃない。だから著作権という概念にはなかなかなじまない。

TVドラマと映画の話になっちゃいますが、黒澤プロがNHKの大河ドラマ「武蔵」が《七人の侍》の盗作だといって訴えて、結局敗訴したでしょ。まあ、裁判所に、「武蔵」には《七人の侍》ほどの高邁な芸術性はない、なんて宣告されるNHKもとんだ赤っ恥ですが、やはり著作権ていうのは、いまだ曖昧模糊としているんですよね。

投稿: Orfeo | 2006/09/18 11:37


どんどん膨張していますね。本当にすごいことになっています
(^^;

上演回数が多い=成功と即物的に捉えれば、後宮とシモンとフィガロあたりが代表作ということになりますでしょうか。

>《シモン》のウィーンのぶんも再演扱いで
よほどアバドとは折り合い悪かった?
でもカラヤンとも魔笛で喧嘩して1年で終わっちゃったのですよね....血の気の多さはさすがイタリア人?


>原演出
ヴィスコンティが亡くなった後に上演されたロンドンのドンカルロは「original production: visconti、staged by :renshaw」という表記になっています。NHKイタリアオペラがスカラ座のファウストを借りてきたときは「Stage Producer : barrault, Realized by : madaudiaz」となっています。他にも「アシスタント」をわざわざクレジットしてある公演もあって(パリオペラ座のシモン)、演出家が本当に現場に行ったかどうかは結構怪しいですね。

演出家が死んだら上演できなくなっては劇場が困るでしょうから恐らく死後も上演はできる契約になっているのだと思いますが、1回の上演の演出料いくらというようなギャラは支払われるのでしょうね。

投稿: たか | 2006/09/18 12:29


上のコメント、たかさんですよね?ライター名が無記名だったので、IPアドレスから調べさせていただいて、過去のたかさんのものと一致したので、お名前をクレジットさせていただきました(爆)。

基本的に、演出家が持っている権利は著作隣接権ですので、特別の取り決めをしていない限り、プロダクションの作り手であり所有者である劇場側が再演するのを拒む権利はありません。あるのは同一性保持権と氏名表示権、つまり、意に沿わない改変を防ぐ権利と、自身の名前のクレジットを出す、あるいは引っ込める権利。ストレーレルが《フィガロ》のバスチーユ移転が気に入らなくて名前を外させたり、ピーター・ホールがメットの《カルメン》の再演でユーイングが降ろされたのに臍を曲げて(・・・というのは本当かどうか知らんけどw)名前を外したり、というのがこのケースですね。

再演時のギャラはケース・バイ・ケースでしょうが、レパートリー・システムのオペラ劇場の場合、初演時にすべて売り渡すケースもあるようです。

投稿: Orfeo | 2006/09/18 13:20

あれっ?
入れたつもりだったのですが済みません。

投稿: たか | 2006/09/18 14:46

>原演出/再演…

 実は、通常かなりいい加減です。例えば、パリで上演された《シモン・ボッカネグラ》はいちおうパリ国立歌劇場の新制作ということになってまして、装置も新たに作ったものですが、実質上スタッフ&キャストも含め、全部スカラ座のアバド版と同じ。《後宮》は装置だけはザルツブルクの焼き直しですが、ストレーレル自身が演出を全部作り直してる。
 ゲッツ・フリードリヒのヤナーチェク《イェヌファ》はウィーンとの共同制作の新演出という触れ込みでしたが、パリでは仏語上演で、フリードリヒ自身なんか全然来てないのにフリードリヒ演出新制作。ところが同じくフリードリヒの《カーチャ・カバノヴァ》の方は原語上演でちゃんとフリードリヒもやって来た…。また、イングリッシュ・ナショナル・オペラから制作を借り出した《フィデリオ》(指揮;小澤征爾)は装置はそのままでも、原演出家のヨアヒム・ヘルツはやって来ず、ENOの助手デイヴィッド・ウォルシュが新たに作り直したもので、新演出としてウォルシュ名がクレジットされていました。
 シャトレ座のクラウス=ミヒャエル・グリューバー演出《パルジファル》はアムステルダム音楽劇場(アムステルダムではサイモン・ラトル、パリはセミヨン・ビシュコフ)の制作ですが、両ホールは、なにせ舞台構造と規模がまったく異なるから、装置から何まで全部作り直したのに「再演」。シャトレでやったやつとブリュッセルのモネーで上演されたもの(指揮アントニ・パッパーノ)とは同じものだったはづです。
 このことでは、時々総監督同士でも喧嘩になるみたいで、ステファヌ・リスネルのシャトレ座がユーグ・ギャルのジュネーヴ大劇場から借り出した《影のない女》を新制作として上演しちゃったもんで(指揮クリストフ・フォン・ドホナーニ)、あれはオレが貸してやったもんじゃないか!、とギャルがかんかんに怒ってました。リスネル側の言い分としては、なにせスタッフ&キャスト全員を揃えて6週間以上もリハーサルをやったのだから、もう「新制作」だというもの。お前んとこじゃ、新制作だって全員集合で6週間もリハーサルを組まんだろう!…なんて逆襲して、ギャルが黙っちゃった(笑)。確かに、ギャルがジュネーヴ時代の《ローエングリン》(演出ロバート・カーセン)を焼き直してバスチーユに掛けたやつでは(もちろん新制作)、ロクにリハーサルを組まなかったんで、歌手たちから、リハーサルが少なすぎる…なんてクレームが付いたくらい。
 原演出家が来る、来ない…といえば、シェローなんかは《ホフマン物語》がガルニエ宮で再演される度にちゃんとやって来て、キャストに合わせて演出を変更してますね。悪魔3役が、ギャウロフの時、ヴァン・ダムの時、トム・クラウゼの時では、確かに、他の歌手の動きを含め演出そのものが違ってましたね。でも「再演」。バイロイトの《指輪》でも《ワルキューレ》なんかは初年次と2年目では第三幕の装置まで大幅に変わってます。
 プログラムの表記なんか、かなりいい加減で、知らん顔して原演出家の名前を出していたり、原演出:何某となっていて(独語では "nach..."、仏語では "d'apres...")、実際に歌手を動かした助手の名前がクレジットされていたり…、まあまあいい加減なもんです。ストレーレルにせよ、ポネルにせよ、自分が実際に手を着けた制作以外は自分の演出とは言えない、なんて宣言してますが、連中、ほとんどの再演の時は助手任せなんだから、あまりでかいことは言えませんよね。ちなみにストレーレルは芝居の方では、再演だろうが何だろうが、必ず戻ってきて手直しをやってました。来ないと思ってたら、来ちゃったもんで、劇場側が大慌て…なんてこともあったらしい(笑)。
きのけん

投稿: きのけん | 2006/09/18 16:17


>たかさん
氏名表示権、勝手に使わせていただきました(笑)。

>きのけんさん
そういや、デル・モナコ息子がニース・オペラ座の総監督やっていた頃、チューリヒだかどこかの新制作公演に助手だけ行かせて、マスコミに一斉に叩かれてましたよね。彼は今何処に?(爆)

投稿: Orfeo | 2006/09/18 17:39

リンクありがとうございました!あまり演出に触れていない記事ですが、嬉しいです。提供できる情報として、スカラ座の「フィガロの結婚」再演の追加分があります。

2002年 アン・デア・ウィーン劇場
2002年 ラヴェンナ音楽祭、The Teatro Alighieri in Ravenna

再演演出はストレーレル演出のシェイクスピア劇に主演して親交の深かったオーストリア人のミヒャエル・へルター(Michael Heltau)、指揮はムーティ、ウィーンとラヴェンナの共同制作らしく、キャストも同じです。

へルターについてのWikipedia(独)のページ↓
http://de.wikipedia.org/wiki/Michael_Heltau

投稿: Sardanapalus | 2006/09/19 18:00


>Sardanapalusさん
再演情報ありがとうございます。早速書き加えさせていただきました^_^;;

ヘルターのページ、行ってみました。私、ドイツ語がチンプンカンプンなんですが、ストレーレルのザルツブルクの《後宮》のプロダクションでセリム役を演じた、なんて書いてありますよね?違う?

投稿: Orfeo | 2006/09/19 19:22


映像作品3本にリンクが張ってありますね。
他に残っているのは68年に作ったカバレリアの映画ぐらいでしょうか? 意外に少ないですね。

ムーティのファルスタッフのDVDはストレーレルかと思ったらカップッチョの新制作のものに替わっているのですね。

投稿: たか | 2006/09/19 23:24

>Sardanapalusさん

 そうそう、パリ版《後宮》でもセリムをミヒャエル・ヘルタウが演っていたと思います。あっ、こんな人が出てる!、なんて思った記憶があります。上のサイトを見ると、随分大手の芝居小屋で活躍してますね。ストレーレルはウィーンのブルク劇場とも関係が深かったから、その関係でドイツ語圏でストレーレルの右腕みたいにして協力していたみたいですね。そうそう、ブルク劇場でやったシェイクスピア(「権力者たちのなんとか…」とかいうやつ)は遂にパリに呼べなかったんだ。

 ついでに、パリ版《フィガロの結婚》の再演記録の続きですが、
▼1978年(指揮)ガリー・ベルティーニ:クラウゼ(伯爵)、ヴァン・ダム(フィガロ)、バスタン(バルトロ)、クリスチアーヌ・エダ=ピエール(伯爵夫人)、ダニエル・ペリエ(スザンナ)、テレサ・ベルガンサ(ケルビーノ:但し、僕の記憶では、全回病欠でアンナ・ランガールだったはづ。記録がこうなってるところをみると、1度くらいは出たのかも?…)、ベルビエ(マルチェリーナ)、クリスチーヌ・バリボー(バルバリーナ)

▼1979年(指揮)ジョン・プリチャード:バッキエ(伯爵)、クラウゼ(フィガロ)、パオロ・モンタルソロ(バルトロ)、キリ・テ・カナワ(伯爵夫人)、ルチア・ポップ(スザンナ)、アグネス・バルツァ(ケルビーノ)、ベルビエ(マルチェリーナ)、ペリエ(バルバリーナ)

▼1980年:ここは、最後のショルティのやつしか資料がなくて、僕の記憶だけですが
(指揮)クリストフ・フォン・ドホナーニ>チャールズ・マッケラス orプリチャード?>ショルティ:歌手はこれまでに出た人たちが取っ替え引き替え、大多数出てきた。お陰で、こちとら忙しかったこと!(笑)

それから、この制作、1976年か77年の夏にメトロポリタンとモスクワで引っ越し公演をやってます。メトの時はショルティで、ドミンゴの《オテロ》を一緒に持っていった。資料を探したんですが、見つかりませんでした。
きのけん

投稿: きのけん | 2006/09/19 23:47


>たかさん
《カヴァレリア》、映画で残っているんですか!それは知りませんでした。絶対に見たいなあ!

>きのけんさん
やっぱりそうでしたか。ちなみに表記に関してですが、検索してみたら、ヘルタウよりヘルターの方がヒット数が多いようなので、こっちを生かします。尚、せっかく配役の情報まで出していただいたので、リストからそちらのコメントの方までリンクを付けました。

投稿: Orfeo | 2006/09/20 07:48

>《カヴァレリア》

これは68年制作のユニテルの映画でシチリア島でロケしたものです。(後年ゼッフィレルリも同じようなことをしていましたね)
全盛期のコソットのサントゥッツァがなんと言っても素晴らしいです。トゥリドゥはチェッケレという比較的活動期間が短かったテノールが歌っています。イタリア人らしい明るめの声で健闘していると思います。
96年頃になってやっとLDになったので比較的短い時間で市場から消えてしまいました。道化師と一緒にしてDVDで復活してほしいものです。

投稿: たか | 2006/09/20 21:52


・・・なるほど。そういうことでしたら、いずれDVDが出てきそうですね。それを楽しみに待ちたいと思います。"チェッケレ"って、面白い名前ですね^_^;;

投稿: Orfeo | 2006/09/20 22:12


>keyakiさん

シモンの再演出に加わった"Marise Flash"ってのは、"Marise Flach"ってのが正しいようです。こちらにあるストレーレルの芝居数本の中のスタッフ表にその名前があります。 で、これでなんと発音するの?フラチュ?フラッチュ?フラッチ?フラチ?それともまさかフラー?

投稿: Orfeo | 2006/09/23 13:33

あっ、ミスタイプです。
でもgoogleで検索すると「もしかして: Flash」なんて大きなお世話をしてくれますね。

なんていうんでしょう。わからないなぁ。hだもんね、フランスかスイスかも....フラッチっぽいですけど、きのけんさんに聞いた方がよさそうですね。

私のブログに載せているマクベスのバンコーですけど、これってスカラ座=ストレーレルの衣裳かしら、それともメトの衣裳かしら? お分かりになる方、いらっしゃいませんか。

投稿: keyaki | 2006/09/23 20:52


keyakiさん、ありがとうございます。
とりあえず、「フラッチ」を生かしておきます。
バンコーの衣裳は・・・う~ん、どっちだろ?

投稿: Orfeo | 2006/09/24 08:33

▼フラックか、フラッシュか、フラッフか?…

 Marise Flach…かなり長い間ストレーレルの協力者だった人ですね。「フラッチ」というのだけはないと思いますが、こういうのは彼女の国籍を調べたって全然ダメなんで、結局は本人に訊ねる以外ないんです。否、本人も知らない場合!だってあるよ。ヨーロッパというのは、それこそ様々な多様な文化、原語が混淆、交錯、入り混じった場所だということを徹底的に頭に入れておかなくてはいけない。純然たるフランス、純然たるイタリア…ドイツ…なんてものは、そもそも存在しないんです。
 だいたいからして Giorgio STREHLER!…彼は自分をイタリア人だとは思ってませんでした。僕が大学の博士課程で習った先生の一人、ブレヒトの専門家の演劇評論家ベルナール・ドルト氏というのがフランスでストレーレルと個人的に最も親しい人だったんですが(パリのヨーロッパ劇場総監督職就任を説得したのが彼だったですね)、ストレーレルがいつも自分を「ヨーロッパ人」であると強調していたのを知ってて、ドルトさんはいつも「シュトレーレル」と、独仏伊を折衷した発音してました。学生の方で「ストレーレル」と発音しても、別に直しもしませんでしたが、彼自身はいつも「シュトレーレル」。だから、僕だってフランス人で演劇に詳しい人と喋る時はいつも「シュトレーレル」です。「ストレーレル」は日本語で書く時だけ。要するに彼は、自分を旧ハプスブルク、大オーストリア=ハンガリー帝国がカヴァーする文化圏の出身だと考えていたみたい…。それに演劇の勉強をしたフランス文化が加わるわけですね。だから、ストレーレルの場合、ドイツ(正確には独墺文化)、フランス文化、イタリア文化というものがほぼ同等に共存してるんだよね。
 こういう場合、正確な読みがあると思う方が間違いなんで、それは非常に日本的な錯覚なんです。イタリアもそうですが、フランスも、あれだけ強権的に中央集権をやらない限り、周縁文化がどんどん離反していってしまうわけよ。だから、彼等は純粋なフランス文化、フランス語というものが存在するかのように思いたがってるわけなんですが、実際にはそんなものは存在しない。中央集権をやらない限り、ドイツ語の方言であるアルザス語を喋るアルザス地方は離れちゃうし、ラテン文化に属さず、ケルト文化圏であるブルターニュ地方も離れちゃう、スペイン国境のバスク地方はバスク語=文化だし、コルシカは、イタリア語の方言コルシカ語だし…。北部はフランス文化がベルギーを半分侵蝕しちゃってるから、問題はないとはいうものの(さすがフランス領内ではオランダ語の方言であるフランダース=フラマン語は喋らない)、これに大量の移民(特にポーランドと今日ではイスラム文化)が持ち込んだ文化が加わるってわけだ。
 …というわけで、それはそれは複雑なんです。まあ、日本のことを考えたって想像つくでしょうがね。僕なんか、小川紳介の《ニッポン国・古屋敷村》や青山真治の《EUREKA》 は仏語字幕を頼りに見たくらいだからね(笑)。
 白水社『ふらんす』に書いていた時分、固有名詞の読みがあまりに出鱈目なもんで、この仏語固有名詞の読みについて詳しい文章を書きかけて、途中で止しちゃったのを未完のままアップロードしてありますので、興味があったらそっち(>リンク↓)へどうぞ。書きかけて放ったらかしにしてあったのをよこはまちゅうか会の大きいさんが、あまりに面白いから勿体ないと言うんで、未完のままアップロードしちゃったんです。

>「バルトかバルテスか?、〜フランス語固有名詞に関する覚書」(未発表・未完)
http://magicdragon-hp.hp.infoseek.co.jp/KK/kinoken_file00/france/noms-prpores.html

↑:文字化けしてる箇所が2〜3あるねえ(笑)。なにせ WINDOWSとMACが未だ日本語変換を統一してない時代に作ったやつだから…。
以上、
きのけん=CineKen2

投稿: きのけん | 2006/09/25 17:18


>きのけんさん

・・・あちらの人の名前の発音に関しては、かって散々話題にしましたもんねえ。本人に尋ねても、さっぱり分からん場合があるよって(笑)。私にとっては準メルクル!日本で有名になるよりずっと前に、マンハイムで会ったんだけど、その名前をどう発音するのか、わけが分からなかった!まあ、私、ドイツ語の素養がないしなあ・・・(爆)。

ストレーレルは汎ヨーロッパですよね。まさしく「ヨーロッパ劇場」の主でしたから。あの劇場名って、ストレーレル本人の発案?それとも、文化省のお役人のアイデア?いずれにせよ、ピッタリですよね。

ところで、話が全然変わりますが、アルミン・ジョルダンが急死ですってね。74歳?早過ぎるなあ・・・

投稿: Orfeo | 2006/09/25 19:00

>アルミン・ジョルダン:
 …そうそう、また惜しい人が亡くなっちゃいましたね。9月15日にバーゼル市立劇場でプロコフィエフ《三つのオレンヂの恋》初日指揮中に昏倒、いったんは病院に担ぎ込まれたんですが、小康を得て、チューリヒの自宅に帰宅。この時点では、その翌週のパリ管をキャンセルしただけで、生命に別状はないと報道されていたのに、精密検査のため入院したチューリヒの病院で20日に突然亡くなっちゃった。
 僕は結構好きで、特に放送フィルに客演する時はいつも聴きに行ってました。チョンが音楽監督に就任した当初は、どっちが常任だか判らないくらい何度も登場してたですが…。
 この人、かなりの頑固者で、バスチーユでウィルソン演出の《魔笛》を振った時なんか、なるたけ舞台を見ないようにして、ウィルソンの舞台とは全然関係なく、あくまで我が道を行くってな感じで振っちゃったんだよね。なんか、1950年代のバイロイトでクナッパーツブーシュがヴィーラント・ワーグナーの演出が気に入らなくて、舞台を全然見ないで指揮した…なんて話を思い出しちゃったよ(笑)。でも、ウィルソンの場合は、またそれが上手くはまっちゃいまして、ウィルソンに媚びたように舞台ベッタリの指揮をした再演の指揮者たちの誰よりも見事だったですよ。ウィルソンも、最初は、このヤロ!と思ったに違いないんだけど、自分の意図したこととまったく違うことをやられちゃったのを面白がってる様子で、かなり満足気だったですよ。
 そうそう、アルミン・ジョルダンといえば、ハンス=ユルゲン・ジュバーベルクの《パルジファル》でアムフォルタスを演じてるよね(歌はヴォルフガンク・シェーネ)。あれを見ると、すごいアクの強い顔をしてるけど、音楽は実に率直であっさりしたものなんだよね。うん、やっぱりエルネスト・アンセルメの音楽性をそのまま継承したのは、デュトワよりむしろこの人だったかも?…。
きのけん

投稿: きのけん | 2006/09/27 03:38


・・・う~ん、本当に「急死」って感じだったんですね。残念です。

>すごいアクの強い顔をしてるけど、音楽は実に率直であっさりしたもの
前段はともかく(笑)、音楽はまさにそうでしたね。私が彼の実演に接したのは97年ガルニエでの《皇帝ティートの慈悲》でしたが、あっさりし過ぎてて、欲求不満になったぐらい^_^;;
http://www2u.biglobe.ne.jp/~orfeo/970516.htm
でも、あれがジョルダン節だったんでしょうねえ・・・。合掌。

投稿: Orfeo | 2006/09/27 08:49

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