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2006/08/09

追悼:シュヴァルツコプ

Kinoken2_logo_1 ▼エリーザベト・シュヴァルツコプ

Orfeo:
>先週、エリザベート・シュワルツコップが亡くなられたよう
>ですね。
>享年90歳だったそうだから、天寿をまっとうしたといえるので
>しょうか。。。
>
>ブログに追悼記事を出したいところですが、私なんぞが彼女のこ
>とを語るには、あまりに経験が浅すぎます。
>正統的なリート歌手、ぐらいの印象でしか書けない・・・。
>お忙しいでしょうが、もしもご寄稿いただけたら、これ幸いです。

 シュヴァルツコプ…ですかあ!。これも、こないだのニルソン同様、ぎりちょんで間に合ったクチなんで、おまけにこっちはオペラ体験というのが皆無なんですが、リサイタルなら2度ほど聴いたことがあります。全部正確かどうかは保証の限りではありませんが、プログラムを再構成してみました。(邦題は『クラシック音楽作品名辞典』三省堂に従いました)

1977年05月31日:パリ・シャンゼリゼ劇場
ジェフリー・パーソンズ (P)

▼花
ヴォルフ 《花で私をおおって》
モーツァルト 《すみれ》(ゲーテ)
ヴォルフ 《クリストブルーメに》(メーリケ)
グリーク 《早咲き桜草とともに》(イプセン)
▼眠りと死
ヴォルフ 《明るい月の何と輝かしく》(ケラー)
ブラームス 《私の眠りはますます浅くなり》(リング)
シューベルト《魔王》(ゲーテ)
▼献身
ヴォルフ 《狩人の歌》(メーリケ)
シューベルト 《君こそわが憩い》(リュッケルト)
シューマン 「君は花のごとく」(ハイネ)
R・シュトラウス 《献呈》(ギルム)
▼歌曲の中の子供
モーツァルト 《春へのあこがれ》(オヴァーベック)
エルマノ・ヴォルフ=フェラーリ 《Preghiera》
R・シュトラウス 《母親の自慢》(ビュルガー)
マーラー 《いたずらな子をしつけるために》
▼トスカナの愛
ヴォルフ 「なぜ怒っているの」(ハイゼ)〜「私を紐で縛ろうとするのか」(ハイゼ)〜 「お前を呼んだのは誰か」(ハイゼ)〜「今宵私の思いは高まり」(ハイゼ)〜「さあ、静かにしておくれ」(ハイゼ)〜「ペンナに私の恋人がいる」(ハイゼ)

Cdschwarzkopf_1  …とプログラムを引用するだけで、この人がいかに素晴らしいアーティストだったか想像つくようですね。
 例によって楽屋に出掛けていって、カラヤン盤《バラの騎士》のLPボックス表紙に特大のサインをもらいました。なるたけでっかく!と頼んだら、本当に巨大なのをくれて、ペンが霞んじゃったんで、上書きしてくれたりね(笑)。

1978年06月13日、パリ・シャンゼリゼ劇場
ジェフリー・パーソンズ (P)

ヴォルフ《ゲーテ『ヴィルヘルム・マイスター』による5歌曲》:ミニョン1〜3、「君よ知る南の国」、「フィリーネ」(ゲーテ)
シューベルト 《挽歌》? 〜《シルヴィアへ》
シューマン 《くるみの木》(モーゼン)〜《トランプ占いの女》(シャミソー)
グリーク 《早咲き桜草とともに》(イプセン)
ブラームス 《甲斐なきセレナード》
R・シュトラウス《三つのオフィーリア歌曲》(シェイクスピア、ジムロック訳)
ヴォルフ《スペイン歌曲集》(ハイゼ&ガイベル訳):「お前の足を痛めたのはだれ」〜「花で私をおおって」〜「恋をもてあそびなさい」
ヴォルフ《イタリア歌曲集》(ハイゼ)より:「恋人が私を食事に招いた」〜「もうかたいパンをたべることはない」〜「ペンナに私の恋人がいる」

==================

 ただ一つ。彼女にとってあまり名誉にならないエピゾードを一つ。クラシック・ファン、オペラ・ファンというのは臭いものには蓋をしろ主義で、こういうことを言い出すと、誹謗だの、中傷だのと騒ぎ出す御仁がいるんで(笑)要注意ですが、僕がわりと親しかった年配の評論家で、シュヴァルツコプを絶対に認めず、絶対に公演も聴きに行かず、レコードも絶対聴こうとしなかった人が一人いるんです。彼はユダヤ人で、第二次世界大戦中ダッハウの収容所に収容され、アウシュヴィッツ送りにならなかったことが不思議だと言ってるんですが、そのダッハウ収容所に若きシュヴァルツコプが慰問公演に来たというんですね。以来、彼はシュヴァルツコプだけは絶対に認めようとしなかったですね。

きのけん

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コメント


>きのけんさん

ご寄稿、ありがとうございました。
いろいろと考えさせられる話ですね・・・。

投稿: Orfeo | 2006/08/09 08:40

誹謗中傷にはならないですよね。シュヴァルツコプは、ちゃんとした党員だったようですから。そいで、まあ、言い訳はちょこっとしてるけど、自己批判をきっちりしてない、ちゃんと語ってないのが問題のようですね。
有名人にはそれなりの発言が必要なんでしょうね。

シュヴァルツコプは名前だけ知っているという程度で、のこのこコメントしに出て来たのは、
Orfeoさぁん、またNEWが反応しないよ〜
前回は5分もたたないうちに反応したのにぃ、、、でもまだ24時間はたってないですけど。

投稿: keyaki | 2006/08/09 09:06


keyakiさん、どうもです。
毎度イライラさせて、申し訳ありません。ドリコムも調子が悪いんですが、BlogPeopleもいいかげん・・・。一体どうすりゃいいのよ、わたし・・・状態ですわ^_^;;奇跡的(?)にドリコムの方がkeyakiさんの記事をちゃんと読み込んでいましたので、全体をドリコムに置き換えてみました。でも、次の記事をアップされたとき、かなり待たされることになると思うので、覚悟しておいて下さい(笑)。

投稿: Orfeo | 2006/08/09 09:52

Orfeoさん
TB、ありがとうございます。

>あまり名誉にならないエピゾード
難しい時代だったと思います。ハンス・ホッターの自伝にもそういう重苦しさが書いてあったと思います。ホフマンの伝記でもそういうことは感じられます。彼の父は戦後非ナチ化で苦労したようですし。例えば、こんな記述があります。

「政治情勢によって妨げられず、自分の人生を歌うことに使えることを『ぜいたく』として、感謝している。ヒットラーのような暴君がいつでもどこにでも存在するなどということがなく、ゲシュタポが家の周りを忍び足でうろつくことがなければ、様々な決定をすることは、どれほど容易なことか。ナチ党員がそこにいなければ、彼らについていとも簡単に判断できるということは、わかりきった話だ。日常的に立場を明確にしなければならない時代に生きていることは、私たちの気楽な生活よりはるかに困難だった。そのとき、こういう「たわいない」会話にさえ、相当の勇気が必要だっただろう」

投稿: edc | 2006/08/09 14:32


edcさん、コメント並びに引用、ありがとうございます。
確かに難しい時代・・・ですよね。
でも、目を逸らしてはいけない時代・・・でもあります。
だから尚いっそう難しい・・・ですよね。。。

投稿: Orfeo | 2006/08/09 16:22

 わはは!、やっぱりあの件で沢山出てますねえ…。そうすると次が書き易い。
 そうそう、あの時代はナチス党に入党してなくては、まづまともな活動はできなかったわけ。カラヤンなんちゅうノン・ポリは、一度入党してるのをすっかり忘れてて、2度も入党してるんだよね(笑)。多分、あれは、カラヤンがナチス・シンパだったというより、政治なんかには全然興味なかった…というか出世に利用してやれくらいにしか考えていなかった証拠だと思うんだけれどね。
 ただ、カラヤンにせよ、カール・ベームにせよ、けしからんなあと思うのは、連中の自伝なんかで、ヨーゼフ・クリップスに対しひと言もないことだよね。これも上の記事中の某ユダヤ人評論家が教えてくれたんだけど、あの時代ナチス党員じゃなかったのはクリップスだけだったんだ。それで、戦後、米駐留軍が旧ナチス追放に乗り出した時、そのクリップスさんがおおいに頑張って、カラヤンとかベームというのは非常に優秀な音楽家たちだから、是非復帰させろ!、と極力主張したのよ。それで、あのクリップスさんの言うことなら…と占領軍もそれを認めちゃって、カラヤンさんやベームさんは楽界に復帰できたってわけよ。だから、クレメンス・クラウスとか、戦後即座に復帰できた連中はクリップスには頭が上がらないのよねえ…。それに対して一言くらいあってもいいんじゃないの?…。ベームの自伝なんかでも、知らん顔決め込んでるでしょ!…。まあ、連中としても、その話を持ち出したら、自分がナチス党に入党してたことを公言することになっちゃうから、伏せようとするんだろうけど、全部クリップスさんのお陰なんだよねえ…。

 ひょっとしてシュヴァルツコプもヒットラー直々に目を掛けた歌手かもね。ほんと、ヒットラーくらい自分の職業を間違えた奴はいないよねえ…。音楽じゃあ、フルトヴェングラー、クナッパーツブーシュにヴィルヘルム・ケンプ、それに多分シュヴァルツコプもそうでしょ。映画だったらフリッツ・ラング…これはすごい見識ですよ。
 そのヒットラー寵愛の歌姫だったのがフランスのジェルメーヌ・リュバンさんで、あの人だけは、その恩義をいつまでも忘れなくて、戦後、あのヒットラーさんは素晴らしい人だった、なんて公言しちゃうもんで、完全に干されました。もう一人、同じように本国で完全に干されちゃったのがジャン・フールネでしょう。だから、僕は彼がパリ(のみならずフランス)で指揮してるのを一度も見たことがありません。亡くなるまで、専らオランダと日本で活躍してましたよね。
 ついでに、よく誤解されてるんで正しときますが、フリッツ・ラング自身はユダヤ人じゃありません。離婚した奥さんがナチス・シンパになった。だから、あの人、偉いなと思うのは、自分はユダヤ人じゃなくて、おまけにヒットラーからドイツ一国の映画部門総責任者の地位なんかを提供されつつも逃げちゃったことだよね。R・シュトラウスなんかが尻尾振って追従しちゃったのと大違いなんだよ。
きのけん=CineKen2

投稿: きのけん=CineKen2 | 2006/08/09 18:31


・・・そんな言い方してると、R・シュトラウス協会から原稿依頼が来なくなっちゃいますよ。(←余計なお世話?w)

そういや、最近何点か出版されたR・シュトラウス関連の書物では、そのへんの経緯は随分好意的(?)に書かれていますよね。あれなんかは協会の指導方針どおりなのかな?(笑)

投稿: Orfeo | 2006/08/09 20:44

 …そういや、イスラエルじゃ、R・シュトラウスは未だに演奏禁止?…。どなたか知らない?…。ワーグナーは、まづメータがやって、バレンボイムもやっったんで、もう禁令は解けたでしょ。
 まあ、ワーグナーの方はナチスが利用したのが悪いんで、歴代の大ワグネリアンにはユダヤ人がやたら多いよね。だいたい《パルジファル》を初演したのがヘルマン・レヴィ!…だもんね(笑)。

>R・シュトラウス協会

 …の名誉のために言っておきますが(爆)…、あすこはそんなことないっす。証拠をお見せしましょう。以下の評論(>リンク↓)は一昨年度版年報に載ったものですが、その後半のワルター・ライシュのインタビューにその話がはっきり出てきます。

http://perso.orange.fr/kinoken2/rst_9394/rstgjp_contents/rstgjp2004.html

これに対する「編集後記」が以下の通りなんです。

>もうひとつ面白かったのは木下健一さんの<エルンスト・ルービチ
>と『バラの騎士』で、『ニノチカ』の名監督に『バラの騎士』映画
>化の構想があり、オクタヴィアン役に予定されていたのが若き日の
>ジェラール・フィリップ、そのフィリップを推薦したのがマルレー
>ネ・ディートリヒだったというのが愉快です。」
>(編集後記=松本道介氏)

 というわけでやんす。
きのけん

投稿: きのけん | 2006/08/10 00:27

Orfeoさん

TBありがとうございました。こちらからもTBさせていただきました。
きのけんさんの2度目は引退の前年、本当に最後の最後に近い時だったんですね。
日本でのフェアウェル・コンサートは引退の5年も前ですけど、時々パーソンズがそっと歌詞を教えていて、ふうん、あのシュヴァルツコップでもねえなんて思いました・・・。

投稿: TARO | 2006/08/10 01:32


>きのけんさん
なるほど。随分度量が広いんですね、R・シュトラウス協会は・・・(笑)。

>TAROさん
どうもです。
日本での引退コンサートは随分早かったんですね。
興味深いエピソードの披露、ありがとうございました^_^;;

投稿: Orfeo | 2006/08/10 09:43

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