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2006/08/11

二人だけの「未完成交響曲」

夏休み・特別研究レポートNo.3

Dvdsubarashikinichiyoubi ▼黒澤明《素晴らしき日曜日》(日本、1947)

戦争帰りの雄造とその恋人の昌子の、とある冬の日曜日のデートのお話。手持ちのお金もわずかばかり。家やアパートの物件を見に行っても、とても彼らには手が出ない。子供の野球に加われば、ボールが露店に飛び込んで、弁償させられる始末。キャバレーを経営している戦友を訪ねてみるが、相手にもされない。二人は残ったお金で演奏会を聴きに公会堂へと向うが、切符は売り切れ。たまりかねた雄造は闇屋ともめてしまう・・・。

戦後まもない暗い世相風俗を背景に、絶望的な状況に喘ぎながらも、それでもなお希望を捨てない恋人たちのささやかな日常を描いた黒澤監督の作品。脚本は監督の幼少時代からの親友でもある劇作家の植草圭之助が担当している。

これって、佳作だなんていわれるけど、実は大傑作映画だよね?派手な仕掛けも事件もなにもなくて、実にシンプルな作りの話だし、おまけにセットまでシンプルなんだけど(美術:久保一雄)、雰囲気は十分過ぎるぐらいある。雄造役の沼崎勲は暗く沈んだ役どころだけど、べとつかず、湿った中にもスマートな印象。昌子役の中北千枝子もけして美人とはいえない人だけれど、健気で可愛らしくて、思わず引き込まれます。

そういや、この映画でも雨が・・・。その雨が雄造の理性を狂わし、彼の下宿部屋でついに破滅へと向います。一旦部屋を飛び出す昌子。だが、しばらくしてまた彼の部屋に戻ってきて、自分のコートのベルトに手をかけ、そのまま激しく泣き崩れる。その姿に心打たれた雄造も、とうとう立ち直ります。窓を開けば、いつしか外の雨は上がっている。再び外に出掛ける二人。クライマックス、無人の木枯らしの野外音楽堂の中での二人だけの演奏会。これがまたいいですねえ。(映画の)観客に向って拍手を求める昌子。彼女に励まされてステージに上がった雄造がタクトを振ると、突然そこに「未完成交響曲」が流れ出す・・・。貧相に見えて、その実、なんて豊かな映画なんだろうと、つくづく感心してしまいます。黒澤監督の凄さが明瞭に表われている作品なんじゃないでしょうか。

CineKen2氏:
>・・・大画面いっぱいいっぱいに中北千枝子のどアップが出て、
>映画の中の架空の聴衆というより、直接映画の観客に向かって、
>皆さん、拍手をしてください!…と訴えかける、あすこよ。
>あれには正直言って度胆を抜かれたですよね。
>あんな滅茶苦茶なことを平気でやった奴なんて、おりゃせん。
>その時、シネマテークの客が本当に拍手したかどうかは
>憶えてないんだけど、こちとらビックラ仰天!
>で、映画であんなに驚いたことって、まづないぜ。

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コメント

ところでこの映画のラストですが、とかくのりの悪い日本の観客はどういった反応だったんでしょうかね。外国での反応も知りたいところです。案外イタリアあたりでは大拍手だったりして・・・

投稿: UKKEY | 2006/08/11 13:00


UKKEYさん、こんにちは。
日本では反応が薄かった、というか、みんな黙って見ていたようですね。
海外では結構拍手が沸き起こった、と伝えられていますが・・・。

投稿: Orfeo | 2006/08/11 13:30

>拍手

 黒澤明の自伝では日本では皆知らん顔だったけど、フランスなんかじゃ拍手が出た、なんて書いてますが、僕の時はどうだったかな?…。よく憶えてない。あすこで拍手が出たら、普通だったら憶えてるはづだけどね(笑)。
 ただ、フランスだけじゃなくアメリカにも、映画に拍手する習慣というのはありますよ。特にシネマテークみたいな言謂「おたく」の集まるところではしょっちゅうありますが、普通の映画館でも拍手が沸き起こることが、ごくたまにあります。ただ、この映画が撮られた時代以前にはもっとあって、アメリカのミュージカルなんかでも、ちゃんとここで拍手というのを想定して編集してるのが結構あるよね。だから、そういう箇所で拍手が出ないと、間が保たなかったり(笑)…。ジャック・ドゥミの《ロシュフォールの恋人たち》でも、昔のミュージカルの定型に則って、そういう箇所を挿入しているみたい…。特に、あのジーン・ケリーさん!、あのジョージ・チャキリスさん!(《ウェストサイド物語》)…という箇所ね。でも、あの黒澤明みたいに野蛮なのは、他に例がないんじゃないかな?…。
CineKen2

投稿: CineKen2 | 2006/08/11 17:17

UKKEYさん:
>意外にイタリアあたりで…

 いや、意外にイタリアあたりでは、あまり出なかったり?…。というのも、黒澤明の 1940年代の作品というのがイタリアのネオ・レアリズモにすごく近いスタイルなのよ。だから、イタリアのファンってのは、あれをヴィットリオ・デ・シーカとかピエトロ・ジェルミの流れで見ちゃうんじゃないかと?…。
 うん、そうなると、ロベルト・ロッセリーニ以前に、ジャン・ルノワールの助監督だったルキノ・ヴィスコンティがルノワール流のリアリズムをイタリアに持ち込んでるんだけれど、黒澤明の場合も、ルノワールっていう線が考えられないことはないな…。ちょっと確かじゃないっすけど、自伝で黒澤が「先生」って呼んでるのは、実際に師匠だった山本嘉次郎と「神様」ジョン・フォード以外ではルノワールだけだったんじゃないか?…。僕は専ら《大いなる幻影》だけだと思ってたんですが、《どん底》(1957)だってあることだし、意外とよく見てたりしてね…。
 ほんと、小津さんにせよ、黒澤さんにせよ、あの時代の人ってのは、滅茶苦茶によく映画を見てるから怖いんだよねえ…。
CineKen2

投稿: CineKen2 | 2006/08/11 17:50


いやあ、アメリカは半端じゃないですよ!80年代にブロードウェイの映画館で《タップ》(グレゴリー・ハインズやサミー・デーヴィスJr.あたりが出てるヤツ)を見ちゃったんですが、あれはもう映画館じゃなくて、完全にライヴハウス!手拍子バンバン、口笛ピューピュー、拍手喝采、場内総立ちで、踊り狂ってましたよ(爆)。

投稿: Orfeo | 2006/08/11 18:14

小学校の頃、町の映画館貸し切りで映画を見ました。とてもいい校長先生で、月光仮面、赤胴鈴之助、怪傑黒頭巾、ゴジラ、モスラなんか見ました。
もちろんはじまる前に拍手、途中でも、悪者をやっつけに来た正義の味方に拍手、いい時代でした。

イタリアで、映画の中から、観客のみなさん拍手して下さい、と強要して拍手するかどうかはわかりませんが、自発的な拍手には遭遇したことがあります。
「男と女」ですよ、びっくりしましたが、イタリア人って純粋なのね、なんて思いました。ホームで抱き合うあの感動的な場面です。あとは、音楽にあわせて一緒にダバダバダなんて。
他の映画、題は忘れましたが、ジュリアーノ・ジェンマの純愛ものだったかな、彼女とのセックスを躊躇していたら、アヴァンティ!アヴァンティ!なんてみんなでかけ声かけたり、口笛吹いたり、やっぱりちょっと変ですよね。
昔の話ですから、今のイタリア人は違うかもしれませんけど。

投稿: keyaki | 2006/08/12 23:23


keyakiさん、どうもです。
とても子ども思いのいい校長先生だったみたいですね^_^;;ウチは、北海道の小学校だったんですけど、夏休みに体育館で映画上映会があって、親と一緒に見に行ったなあ。たしか、寅さんなんかを見ましたよ。子どもも楽しめるかもしれないけど、やっぱり大人たちだよね、喜んでたのは(笑)。それなりに盛り上がっていたようにうっすら記憶しています。

イタリア人、ほんと純粋ですねえ・・・(笑)。

投稿: Orfeo | 2006/08/13 09:15

▼『世界の映画作家3 黒澤明』(キネマ旬報社)より:
黒澤明=沼崎にはちょっと手こずったんだよ。「未完成」の棒がうまく振れない。彼は不思議な音痴で、強弱音痴というのかな。高い音と低くてグーンとやらなきゃいけないところを、まるで逆にやっちゃったり、あれにはもうまいったな。作曲の服部(正)さんから電報がきてとにかく来てくれというんだ。沼崎が行って練習してるわけ。行くとレコードをかけてやってる。棒の振り方が全然違うんだ。それで、僕の方が「未完成」の棒の振り方をすっかり覚えちゃったりして。たとえば柔らかく、ティーラリラーラーといかなきゃいけないのに、ウン、ジャジャンと、こうきちゃう。「未完成」は、だいたい三角形に振っていればいいんだけれども…。でも、いろいろな振り方があるわけですよ。

▼『黒澤明ドキュメント』 (キネマ旬報社増刊 1974-05/07)より:
中北千枝子=(…)あの映画の中で私と沼崎さんのラブ・シーンがあります。ところが私はラブ・シーンの経験なんて初めてなものですから、いざ本番となると、どうしても体をそらしちゃってうまくいかないんですよ。その時、何かのはずみでうっかり唇をかんじゃって、血を流しちゃったの。撮影が終わって、結髪室でひとり泣いていたら、先生がそうっとのぞきに来ましてね。「おチエさん、大丈夫か?」と、ほんとうに心配そうな声を出すんです。そういうやさしい心配りのある人ですよ。私は怒られたことはありませんでした。

以上、黒澤明研究会編『黒澤明 夢のあしあと』(共同通信社)より
copy&引用:CineKen2

投稿: CineKen2 | 2006/08/13 13:48

keyakiさん:
>とてもいい校長先生で

 …そいつは羨ましいなあ!僕の時なんて、小学校から中学、高校にかけて〜UKKEYさんとは8年違いなんですが、彼の時はどうだったでしょう?…〜、学校の団体さんで行くのは決まって文部省推薦映画ばっかり!…、お陰様で映画なんてものが大嫌いになったよ、ほんと(笑)。子供の時親父に連れられて行って(多分自分が見たかったんでしょう)見た《乃木将軍と日露戦争》とか、小学校の親友の親父さんに連れて行かれた《宇宙大戦争》だとか…の方がよっぽど印象強いんだよね。映画が好きになったのは、自分の意志でで行くようになってからですね。幸い、中学&高校が渋谷近くだったから、電車の定期を持ってるもんで、日曜なんか毎週…ね(笑)。
CineKen2

投稿: CineKen2 | 2006/08/13 14:28


>CineKen2さん

興味深いエピソードを伝える引用、ありがとうございました。
指揮まで未完成?(笑)

投稿: Orfeo | 2006/08/13 16:26

▼『全集・黒澤明』(月報2、岩波書店):《素晴らしき日曜日》

植草圭之助:初めて黒澤と仕事をすることで胸は躍ったが、撮影所へ行くと、現実的にもっと大きな障害が待っていた。第一稿は比較的スムーズに運んだ。だが、黒澤、本木(荘一郎)、私の三人による本読み、第二稿の検討が始まった。これが戦いの始まりだった。トップシーンからワンシーン、ワンシーン、一つ一つの台詞、ト書きについて、するどいチェック、痛烈な批判の言葉がほどばしり出た。言葉と言葉が取っ組み合う。激論となる。レフリー役の本木が中に割って入る。激しいディスカッションは二月まで続いた。予算の関係で、この恋人二人だけの一日の話をオールロケでやることになった。さてクランクインしたが、主役の二人(沼崎勲・中北千枝子)がロケではあれだけの世界は表現できないとロケ初日でわかった。沼崎君はまったくの新人だったので、群衆の前ではあがって演技できない。困ったことになったと、黒澤、本木、私の三人が集まって、これはご破算になるかもしれない、で、せっぱつまって全部セットに持ち込もうということになった。踏切や野球、動物園などのシーンがロケだけで、あとはセット芝居にした。
以上、黒澤明研究会編『黒澤明 夢のあしあと』(共同通信社)より

 やはり、黒澤明と植草圭之助は小学校の同級生だというものの、資質としては随分違ったものを持っていたよう思います。それで結局、決裂してしまうのが次の《酔いどれ天使》で、以後、両者は同じく映画界で活躍しつつも、ついに再び一緒に仕事をすることがありませんでした。こないだの五所平之助特集にも、植草圭之助の脚本が一本入ってましたが(《今ひとたびの》1947)、やっぱりこの人はむしろ「ヤルセナキオ」こと成瀬巳喜男タイプの人と一緒に仕事をして本領を発揮するタイプなんじゃないかな?…。

▼黒澤明『蝦蟇の油 自伝のようなもの』:「『羅生門』まで」章より):《酔いどれ天使》

 植草は、モデルにしたやくざと付き合っているうちに、そのやくざにのめりこみ過ぎたのか、弱者や傷ついた人間や日陰の人間に対する生来の偏愛によるものか、私のやくざ否定の態度に不満を並べはじめた。(…)
 植草は、私を、悔恨や絶望や屈辱などには縁のない、生まれつきの強者だと云い、自分は生まれつきの弱者で、絶えず涙の谷で、心の疼きや、呻きや、痛みの中で生きているような事を云うが、この観察は浅い。
 私は、人間的な苦悩に抵抗するために、強者の仮面をかぶり、植草は、人間的な苦悩に耽溺するために、弱者の仮面をかぶっているに過ぎない。
(…)植草は、この「酔いどれ天使」の後で、私と袂を分かって、また姿を消した。

▼同(旧友交歓 」章より)
(…)怒るなよ、圭ちゃん。二人とも今以て泣き虫ではないか。ただ、今では、圭ちゃんはロマンチストという泣き虫になり、私はヒューマニストという泣き虫になっただけのことだ。

Copy &引用:CineKen2

投稿: CineKen2 | 2006/08/18 08:19


>CineKen2さん

・・・なるほど。それであのセットが生まれたわけですね。
興味深い引用、ありがとうございました。

>圭ちゃんはロマンチストという泣き虫になり、
>私はヒューマニストという泣き虫になった

二人の資質を端的に要約した言葉ですね!

投稿: Orfeo | 2006/08/18 12:12

 そうそう、この言葉がどこにあったかすっかり忘れてて、散々探しまくっちゃったよ(苦笑)。

▼《カルメン》幻想:その4

 えっ!、関係あんのか…だって?
 それが…あるんですなあ(笑)。
 このフィルムに使われている既成曲のリストが出てきたんですよ。そしたら…:
・《楽興の時》(シューベルト)
・《私の青空》
・《キラキラ星》
・《闘牛士の歌》<
・《カルメン》<
・《リンゴの唄》
・《碧空》
・《めんない千鳥》
・《小さな喫茶店》
・《愛の挨拶》
・《月》
・《月の砂漠》
・《未完成交響曲》(シューベルト)
(黒澤明研究会編『黒澤明 夢のあしあと』(共同通信社)より)
 だってさ!。なんか全然憶えてないなあ(笑)。《野良犬》(1949)の方は「ホフマンの舟唄」とか、結構憶えてるけどね。

▼《カルメン》幻想:その5

 と思ってて、昨日溝口健二の《女優須磨子の恋》(1947)を見に行ったら、またまた出たよ!…。田中絹代さんの松井須磨子が自殺する前夜に明治座で演じて大成功を博すのが《カルメン》なんだよねえ(演出:千田是也)。ホセに殺される場面(オケ伴奏に歌抜き)。私は自由な女よ!…なんて、あまりに露骨な引用に鼻白んじゃいましたが、ほんと、いっぱいあるねえ。keyakiさんとこのオペラ演出をやった映画監督の数くらいはあるかもよ?…。
CineKen2

投稿: Cineken2 | 2006/08/18 17:13


ほへ?そんなにいっぱい使われていましたっけ?
先週見たばかりなのに、全然覚えていない・・・(笑)。

投稿: Orfeo | 2006/08/18 18:00

”音楽 Compose/music”:「フランツ・シューベルト《未完成交響曲》あるいは黒澤明《素晴らしき日曜日》」
in.『芸術センター (ART CENTER OF TOKYO/KOBE)』(vol. 16、2007年7月号、村井璥合同設計=刊)所収
===============================

♪月の砂漠をはるばると、旅のラクダが行きました。
金と銀との鞍おいて、二つ並んで行きました。
先の鞍には王子さま、後の鞍にはお姫さま。
乗った二人はお揃いの、白い上着を着てました。
広い砂漠を一筋に、二人は何処へ行くのでしょ。

朧に煙る月のよう、対のラクダはとぼとぼと、
砂丘を越えて行きました、黙って越えて行きました。♪
(黒澤明《素晴らしき日曜日》1947、小水一男《ほしをつぐもの》1990&和田誠《真夜中 まで》2001より)

 終戦直後に撮られた黒澤明のフィルム群には時として見ていて顔が赤らんでくるような、ひどくこっ恥ずかしい思いをするシークェンスがある。《素晴らしき日曜日》など、その最たるもので、沼崎勲と中北千枝子の若く貧しいカップルが日曜の午後のデートにシューベルトの《未完成交響曲》を聴きに日比谷公会堂に出掛ける。ところが、ダフ屋が安い切符を買い占めているので、1日のデート予算がたった35円という二人はあっさりあぶれてしまう。終戦直後、コーヒー一杯10円、ミルクを入れると15円というご時世である。その夕、雨も上がり、とある野外音楽堂の廃墟にやって来た二人は、二人だけの架空の音楽会を開く。演目はもちろん「未完成」。聴衆は中北千枝子たった一人。オケのチューニングの音が聴こえ、指揮者の沼崎勲が登場。だが、二人がどんなに想像を逞しくしても音楽はいっこうに鳴ってくれない。一度、二度…。客席と舞台に分かれた二人が互いの想像力を鼓舞してもう一度。やっぱり聴こえてくるのは風の音だけ…。
 ところが、まさにそこでものすごいことが起こってしまうのだ。ここはテレビやヴィデオなどで見ていても、その過激さはとでも感受できない類のシークェンスで、映画館の大画面がどうしても必要不可欠なのだが、客席に一人つくねんと座っていた中北千枝子が突然舞台に駆け上がり、無人の客席に向かって喋り出す。彼女のどアップがスクリーンいっぱいいっぱい、それこそ実物の200倍ほどのスケールで拡がる。その彼女の顔が、我々客席の観衆を真っ向から見据え、涙ながらに「皆さん、お願いです!どうか拍手をしてやってください。皆さんの温かい心で、どうか励ましてやってください。世の中には私たちみたいな貧しい恋人たちがいます。…私たちに美しい夢が描けるようにしてください、お願いです!…」
 …とやってしまうんだから、見てる我々は恥ずかしいのなんのって!(笑)。当時、こんな野蛮なことをやった監督など世界でも他に例を見ない。ひょっとしたら、後にこのシークェンスを見て最も顔の赤らむ思いをしていたのが黒澤自身だったかも知れないのだが、同時に、今これを見る私たちをここまでたじろがせてしまう…「ネオ・レアリズモ」などと言うのは止そう、むしろ「焼跡派」と呼びたくなる…終戦直後における黒澤明の映画的欲望の激越さを私たちは肯定しようと思う。あれもそうだ。《生きる》(1952)で志村喬のどアップが「命短し…」を歌いだす場面。黒澤明はあの有名なシークェンスのちょうど5年前、《素晴らしき日曜日》の「未完成」シークェンスでさらに激烈なことをやっていたのだった。そう、彼らだって思い出していたのかも知れない、あの廃墟に静かに流れていた「月の砂漠」を…、《ほしをつぐもの》の北野武も、《真夜中まで》の和田誠も。
(木下健一)

画像:http://www.us-vocal-school.sakura.ne.jp/weblog/music_life/archives/images/050918.jpg

投稿: きのけん | 2007/07/14 18:40


あのどアップには度肝抜かれますね。
また思い出しました(笑)。

投稿: Orfeo | 2007/07/14 21:55

 …うん、でもあれは、やっぱし映画館の大画面で見なきゃ…。僕の周辺に座ってる客でも、後ろにのけぞってる奴が何人かいたぜ。
 でも、今度見直してみたら、あの場面そのものが幻想シーンなのかもね?…。あれが終わると、駅のホームのベンチに二人座ってる場面に直接続いちゃう。つまり、幻想の中の幻想として二重に囲い込んでるんだ。まあ、さすがの黒澤明だって、そうでもしないことには、こっ恥ずかしくて、あんなシ−クェンス撮れなかったでしょうが…。
 小水一男《ほしをつぐもの》は、戦時中田舎に疎開した小学生たちが東京へ帰りたくて脱走して、森の中を彷徨ってるうちに森の住人ビートたけしさんに出遇う。そして仲間の男の子一人が破傷風で死んじゃう。その葬式にレクイエムみたいにして歌われるのが「月の砂漠」。
 和田誠《真夜中まで》は、ジャズのライヴハウスに出演しているトランぺッター真田広之クンが客の大竹しのぶさんから「月の砂漠」をリクエストされる。我々はジャズ・バンドだから、といったんは断るんですが、2ステージの間に真田クンが殺人事件に巻き込まれまして、トラックの荷台に乗って逃げる最中、一緒に逃げてる中国人ホステス李嘉欣お姐さんが歌ってくれるのが「月の砂漠」なんだよね。無事事件は解決。真田クンは次のステージ冒頭で大竹さんのリクエストに応え「月の砂漠」を即興演奏すする。
 あの二人、多分《素晴らしき日曜日》を見てたよ、きっと…。
CineKen2

投稿: CineKen2 | 2007/07/16 07:08


・・・うん、映画館の大画面でアレを見たら、そりゃ、のけぞりそうですね。わかる、わかる。インパクト、ありすぎ(笑)。

投稿: Orfeo | 2007/07/16 10:20

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