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2006/08/14

決戦、右京ヶ原!

夏休み・特別研究レポートNo.4

Dvdsugatasanshiro ▼黒澤明《姿三四郎》(日本、1943)

監督:黒澤明/企画:松崎啓次/原作:富田常雄/脚本:黒澤明/撮影:三村明/美術:戸塚正夫/照明:大沼正喜/録音:樋口智久/編集:後藤敏男/音楽:鈴木静一/助監督:杉江敏男

姿三四郎:藤田進
矢野正五郎:大河内傳次郎
檜垣源之助:月形龍之介
小夜:轟夕起子
村井半助:志村喬
お澄:花井蘭子
門馬三郎:小杉義男
飯沼恒民:青山杉作
和尚:高堂国典
三島総監:菅井一郎

明治十五年、警視庁は古来伝統の柔術家を武術師範に迎えようとしていた。修道館の矢野正五郎は柔術を柔道と改め勢力を伸ばしていた一人。彼の出世をねたみ、闇討ちしようとする他の柔術家もいる。その闇討ちの現場に居合わせた若き青年、姿三四郎は敵を見事に退けた矢野に心服し、すぐさま弟子入りを志願。次第に力を付けていく。が、強くなったがために他者との争いも増え、喧嘩も絶えなくなり、師匠の矢野の手も焼くことになる。ある日、喧嘩をして帰った三四郎を矢野は許さなかった。三四郎は許しを請おうと池に飛び込み、杭につかまりながら夜を過ごす。そこで蓮の華が花開くのを目の当たりにした三四郎は人間の真理に開眼する。その夜から彼は人が変わり、より熱心に柔道家への鍛錬に打ち込むようになる。相変わらず矢野のところには道場破りが現れるのだが、檜垣源之助もその一人だった。だが、他流試合を禁じられた三四郎が立ち会うことは許されなかった。
警視庁への師範招聘のための柔術家同士の選抜試合が行われようとしていた。実力も人格もすっかり変わった三四郎も試合に出て、見事に相手を投げ飛ばす。日を改めて、次に三四郎が試合をすることになったのは檜垣の師匠に当たる村井半助だった。檜垣は力が有り余り、自分こそが三四郎と立ち会うに相応しいと思っていたから不満である。結局、三四郎は勝つが、その試合をきっかけに村井とその娘、小夜とも親しくなっていく。ますます不満を募らせる檜垣。そしてついに檜垣は決闘という形で三四郎に勝負を挑む。決闘の場は、強風吹きすさぶ右京ヶ原!・・・

いわずと知れた黒澤明第一回監督作品。戦時下で検閲が入り、逢い引きの場面などカットされた部分があるため、字幕で説明が入る形で映像が残されている。完全版ではないのが残念だが、質実剛健、硬質な柔の世界を堪能することが出来る。藤田進の実直なまでにまっすぐな演技、大河内傳次郎と月形龍之介という当時のチャンバラ映画の大スターの競演、宝塚出身の轟夕起子が演ずる可憐なヒロイン、そして若い藤田進に散々投げ飛ばされるのが不憫でならない志村喬(笑)、などと、役者の魅力に満ち溢れている。

冒頭の矢野との出会いの場面で三四郎が投げ捨てる下駄、月夜の池のほとりに咲く蓮の花、村井との試合直前に見せる三四郎のユーモラスな仕草、などなど、黒澤監督の細かな演出とキャメラの三村明の技が随所で光っている。が、なんといっても凄いのは、クライマックスの、まさに風雲急を告げる右京ヶ原。ちぎれ雲が激流のごとく疾駆するその下、風の唸りによってススキが一斉に揺れ動く。そこで繰り広げられる壮絶なる戦い。細かくアングルを変えるキャメラのスピード感。檜垣必殺の十字絞りで追い詰められる三四郎。視線の先の流れる暗雲が一転、明るい空に成り変わり、静止した真っ白な雲の上に蓮の花が重なると、一気に形勢は逆転。最後檜垣が身を崩し、ススキに覆われた斜面を仰向けに滑り落ちていく。それを俯瞰で捉えるキャメラ。これは強烈ですねえ!第一作からこんな映画を撮られたんじゃ、そりゃ敵いませんて・・・。まいった(笑)。

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コメント

 確かに、これってかなり大分にわたり欠けちゃってる部分があるんですが、もう一箇所、僕が絶対に見た記憶のある箇所が欠けてるんです。1970年代にシネマテークで見たプリントには、藤田進が池に浸かって朝を迎える下りで、例の蓮の花が開花する時、ポーンと音がしたんですよ。それが、その後見たプリントにも、僕が持ってるDVDにも欠けてるんだよね。へー、蓮の花が咲く時、あんな音がするんだ…なんて、よーく憶えてる(黒澤自身そんなことを言ってるもんで、こっちの方からも確認済み)。その時シネマテークに一緒に行った友人というのが未だこっちに居まして、そいつに確認したら、彼の方でも明瞭に憶えていた!…。不思議なんだよねえ…。小津安二郎の《生まれてはみたけれど》(1)も同じで。以前見たヴァージョンと全然違ってるんだよ。こっちの方は、詳しい記述があったんで、子細比較検討しときました。松竹からの返答も入ってます↓。

(1) : http://perso.Orange.fr/kinoken2/cineken2/cineken2_cont/cineken2_japon/umareteha.html

 ドイツでは、フリッツ・ラングのフィルムに関し、世界中のフィルム・センターから保管してあるプリントを取り寄せて、改めて完全版に近い復元版なんかを作ってますけど、黒澤の《姿三四郎》くらいなら、世界中に相当数プリントが残ってるでしょうにねえ…。黒澤、小津、溝口のフィルムくらいは、その程度の復元化の努力を払ってもいいんじゃないかと思うんだけどね。
 TV放映用にちょん切っちゃったプリントをそのまま使ってるなんてことがあるんだよね。こないだシネマテークで見た舛田利雄の《ノストラダムスの大予言》(1974) やら森谷司郎の《日本沈没》 (1973)もそうでした。TV用の仏語ヴァージョンで結構ちょん切っちゃってるのを平然と上映してたぜ。こういうことって、結構あるみたいね。
CineKen2

投稿: CineKen2 | 2006/08/14 19:14


う~ん、蓮の花の開花の音ねえ。私が見たのはヴィデオですけど、その場面、確かに何か音が入っていたような・・・。もう図書館に返しちゃって、今すぐには確かめられないので、またいづれ確認してみます。
この映画の場合、「完全復元版」というのは望むべくもない状況のようですね。なんとも勿体無い話です。

投稿: Orfeo | 2006/08/14 22:08

>この映画の場合…

 これは、このフィルムだけじゃなくて、映画というものの宿命みたいなもので、上の例でもフリッツ・ラングの場合だって、残されたシナリオを基に忠実を期して再構成してるわけなんですが、そこがドイツ人のくそ真面目なところなんで、残ってるフィルムをシナリオ通りに全部くっつけちゃうもんで、えらい話になっちゃうんだ。シナリオをそっくりそのまま使う監督なんていないし、フリッツ・ラングというのはその面でヴィルトゥオーゾみたいなところがありまして、徹底して無駄を省くんだね。フィルム一本撮るのに、あれほど、1ショット、1シークェンスも間違えず撮れる人って、他にいません。当時だってそうだったし、勿論今だっていないでしょう。
  そうなると《月世界の女》(独、1929)なんて、たかが月へ行くだけの話が、なんと3時間半もかかっちゃう(1)。DVDなどに収録する分にはこれが正解なんでしょうが、映画館で見る時は、これではいかにも冗長。特にフリッツ・ラングなんかの場合、撮ったフィルムを全部繋げればそれでいいということは絶対にないわけで、一度切られたフィルムを原型に戻すというのはまづ不可能だと思います(つまり「ディレクターズ・カット」ですらないわけだから…)。これではいかにものんべんだらりとしていてリズムが出てこない。我々はこのフィルムに「乗れ」ないんです。見事なフィルムなのに…勿体ない!…。資料として見る分にはいいんですが、とても一つの「作品」としては見れない…というわけだ。

(1) : http://perso.orange.fr/kinoken2/cineken2/cineken2_cont/cineken2_archive/forum0502.html#146

Cineken2

投稿: CineKen2 | 2006/08/15 05:50

▼黒澤明『蝦蟇の油 自伝のようなもの』:(「用意、スタート」章より)

 当時、内務省では、監督第一回作品を、監督の試験の対象として取り扱っていたので、「姿三四郎」が完成すると、それをすぐ内務省に提出して、その試験を受ける必要があった。試験官は、勿論、検閲官である。その検閲官に既成の映画監督数名が立ち会って、監督試験が行われたのである。
 私の監督試験に立ち会う映画監督は、山さん(=山本嘉次郎)、小津(=安二郎)さん、田坂(=具隆)さんの三人の予定だったが、山さんは所用があって出席出来ず、山さんは私を呼んで、小津さんがいるから大丈夫だよ、と検閲官と犬猿の仲の私を励ましてくれた。
 私が監督試験に呼び出された日、憂鬱な気分で内務省の廊下を歩いていくと、その廊下で給仕の子供達が二人取組み合いをやっていた。
 その一人が、山嵐、と云いながら、三四郎の得意技を真似て相手を投げたところを見ると、「姿三四郎」の試写は、もう見ていたに違いない。
 それなのに、私は三時間ほど待たされた。
 その間、廊下を三四郎の真似をした給仕が、気の毒そうにお茶を一杯持ってきてくれただけである。
 そして、やっと始まった試験もまた、ひどいものであった。
 横に長くテーブルが置かれ、その向こうに検閲官がすらりと居並び、その末席に田坂さんと小津さん、その横に給仕が坐り、みんな、給仕まで、コーヒーを飲んでいた。
 そして、その前に一つ置かれた椅子に、私は坐らせられた。
 まるで、被告である。
 勿論、私にはコーヒーなんか出ない。
 私は、「姿三四郎」という大罪を犯したらしかった。
 それから、検閲官の論告がはじまる。
 すべて、例によって、米英的である、という論旨であった。
 特に、神社の階段のラヴ・シーン(検察官はそう云ったが、あれはまだラヴ・シーンと云えない。男と女が出会っただけだ)は、米英的である,という御宣託で、ぐたぐた云っていた。
 私は、ちゃんと聞いていると腹が立つから、窓の外を眺めて、なるたけ何も聞かないよう心掛けていた。
 それにしても、検閲官は執念深い。棘のある言葉には、我慢しかねた。
 私は、自分の顔色が変わっていくのをどうしようもなかった。
 畜生!勝手にしやがれ!
 この椅子でも喰らいやがれ!
 そう思って、立ち上がりかけた時、小津さんが立ち上がって云った。
 「百点満点として、『姿三四郎』は百二十点だ!黒澤君、おめでとう!」 
 小津さんはそう云うと、不服そうな検閲官を無視して、私のそばへ来ると、銀座の小料理屋の名前を私語いて、
 「お祝いに一杯やろう」
 と云った。
 後刻、そこで待っていると、小津さんと山さんが入って来た。
(…)
Copy & 引用:CineKen2

投稿: CineKen2 | 2006/08/15 06:03


・・・なるほど。これが小津の百点満点百二十点の話ですね。わざわざご紹介いただき、恐縮です。なんだか、アイロニーたっぷり、という感じですね。さすが映画監督、だな(笑)。

投稿: Orfeo | 2006/08/15 08:32

 淀川センセイに見せられてフォードの《駅馬車》に熱狂した小津さんのこと、Orfeoさん同様、「そりゃ敵いませんて…」なんて思ったかもね(笑)。
CineKen2

投稿: CineKen2 | 2006/08/15 15:51


それにしても、その監督試験の後、銀座の小料理屋で小津さん、山さん、黒澤さんの三人がいったいどんな話をしたのか、興味津々ですね。・・・いや、引用してくれって言ってるわけじゃないですよ(笑)。

投稿: Orfeo | 2006/08/15 17:04

監督の試験があったんですか。最初に受けて合格すればお墨付きがもらえて、あとは試験を受けなくてもいいってことですか。
ほとんどいいがかりですね。

>逢い引き
神社の階段で出会っただけで、ラヴシーンですか。
「逢い引き」って、いつ頃までつかってたのかしら。
牛と豚を混ぜたひき肉のことを「あいびき」っていってましたけど、今も言うのかなぁ、、
母に「あいびき」300グラム買って来て、なんてよくいわれました。

投稿: keyaki | 2006/08/16 10:28

うん、これは僕は見てないんだなあ。。。同名のTVドラマなら何本も見てるんだけどね。ただ(映画とは関係ないんですけど)藤田進の三四郎というのはちょっとイメージ違う感じがするなあ、、、後年黒澤さんが藤田進を使わなくなったというのはなんとなくわかるような気がします。今度DVDで見ておきます。

投稿: 宵の明星 | 2006/08/16 12:42


>keyakiさん
「あいびき」って、今でも使うんじゃないですか?ウチでも使ってますよ。ただし、「逢い引き」のほうはさすがに普通は使わない?でも、ちょっと隠微だけど、奥ゆかしくて、いい言葉ですね(笑)。

>宵の明星さん
朴訥とした感じがありますからね、藤田進って。強くなる前は合っているけど、強くなってしまってからの三四郎はたしかにちょっと雰囲気が違う、かも?でも、こういう三四郎ってのも、なかなか面白いと思いますけどね。それに、黒澤監督自身もちゃんとそこまで分かった上で演出してますよね。

>ついでに(?)CineKen2さん
ヴィデオ、借り直してきました(なお、これは1996年に東宝が出したヴィデオです)。問題の蓮の花が開くシーンですが、やはり「ポーン」という音は入っていませんね。和尚との対話の後、音楽が鳴り始め、いったんそれが止んでから、ニワトリの鳴き声のようなものが聞こえ、ピアノが「ポロロン」と鳴る。そして蓮の花が映り、そこに弦楽器のトレモロが入ってくる、という流れです。そちらのDVDも同じような感じですかね?

ついでですからお尋ねしますが、そちらのDVDって、東宝が2002年に出したやつですかね?だとすれば、特典映像として、ロシアで発見されたという10分ほどの未公開シーンが付いているでしょ。「準完全版」と東宝は言っているみたいですけど、それでしょうか?

このカットの問題はいろいろ話が錯綜しているようなので、とりあえず1996年東宝ヴィデオ版でカットされている部分を後でまとめて列挙しておきたいと思います。・・・うん、「特別研究」っぽくなってきた?(笑)

投稿: Orfeo | 2006/08/16 14:25


▼1996年東宝ヴィデオ版でのカットの場面

1.(檜垣が修道館に乗り込んだシーンの後)
小夜の話。檜垣の蛇のような影に小夜もおびえている。
  (矢野が一門の者の前で、警視庁の師範招聘のための選抜試合の件を告げるシーンに続く。)

2.(選抜試合で負かせた~死なせた?~門馬の娘が刃物を持って、三四郎の許を訪ねようとしたシーンの後)
狼狽する三四郎。その夜、矢野の猛稽古でふぬけになった三四郎は木偶のように散々投げられる。が、その度に立ち上がり、矢野に向っていく中で、次第に正気を取り戻し、ついに立ち直り、朝を迎える。
  (神社での小夜との出会いのシーンに続く。)

字幕で説明が入る明白なカットの場面は以上、2箇所。

投稿: Orfeo | 2006/08/16 18:37

>三人はいったいどんな話?…

 リクエストですが、この続きは実にあっさりしたもので、これだけです。
(続き)
 小津さんは、私をなだめるように、「姿三四郎」をせいいっぱいほめてくれた。
 でも、私は、なかなか疳の虫がおさまらず、あの被告席のような椅子を検閲官に叩きつけていたら、さぞ気持ちがよかったろう、と考えていた。
 今でも、小津さんには感謝しているものの、そうしなかったのが心残りである。
以上、上の引用&copyの続きと結論。

 もし、そんな狼藉に及んでいたら、黒澤明のキャリアはここで終わっていたかも知れなかったんです。
 でも、この話って、三船敏郎発掘の話↓に似てません?…。
>http://myoujyou.cocolog-nifty.com/renge/2006/07/post_27c3.html#c8963521
CineKen2

投稿: CineKen2 | 2006/08/17 03:27


>CineKen2さん
期待どおり(?)の引用、ありがとうございました。

>でも、この話って、三船敏郎発掘の話に似てません?

ていうか、三船敏郎と黒澤明って、似た者同士みたいなところがありますね(笑)。

投稿: Orfeo | 2006/08/17 09:39

二人とも、世に埋もれさせておくのはもったいないとして、天が特別な配慮をされた、、、、ように思えてしまいます。

投稿: 宵の明星 | 2006/08/17 12:41


・・・それは言えますね^_^;;

投稿: Orfeo | 2006/08/17 14:08

 それから、これを見てて、おっ、おっ!なんて思っちゃったのが、三四郎が街で大暴れする場面に出てくるでかい取的ね。
 そうそう、あれが「レポート No. 1」《用心棒》のあの巨漢羅生門網五郎に発展していくわけだ。その間にもう一つありまして、《どん底》(1957)の藤田山。そういや、横尾泥海男(でかお)なんていうのもいたなあ…。こっちは戦前の小津の映画にしょっちゅう出てますが…。
CineKen2

投稿: CineKen2 | 2006/08/18 17:44


・・・「取的」?

>取的:
>最も地位の低い力士の通称。ふんどしかつぎ。
(三省堂「大辞林 第二版」より)

ふ~ん、そんな言葉があるんですねえ・・・。

投稿: Orfeo | 2006/08/18 17:55

 筒井康隆に『走る取的』というコワーイ短編があるんですよ。それで憶えた言葉です。
 バーでその取的にからんだ主人公をそいつがどこまでも追っ掛けてきて、結局は駅の便所で叩き殺されちゃうという話でした。
CineKen2

投稿: CineKen2 | 2006/08/19 15:35


・・・それって、本当にコワーイ話?なんだか笑っちゃいそうなんですが・・・。そこが筒井ワールド?(笑)

投稿: Orfeo | 2006/08/19 17:31

▼黒澤明《姿三四郎》(日、1943)

 久しぶりに見ました。これ、初めて見た時、どうして初っ端から一発で惹き込まれちゃったのかなあ?…といつも思ってたんですが…、改めて見てみると、どうもあれだね。
 大河内伝次郎の矢野正五郎師匠が小杉義男の門馬三郎一門全員を投げ飛ばし、逃げた車夫の代わりに藤田進の三四郎が車夫を買って出、そこに下駄を捨てて行く箇所から、その下駄が道端に捨ててあって、犬がそれをくわえて行き、疎水の水の上を流れていく、そしてそれが、多分数年後既に大河内伝次郎師匠門下の高弟の暴れ者になっている藤田進が大暴れをしている町の疎水へ続き、下駄が流れていく…。ここからして素晴らしいんだよねえ。どうも、この場面転換の見事さにすっかりやられてしまったようなんですね。
(2006年12月10日:CaTV日本映画専門チャンネル)
CineKen2

投稿: CineKen2 | 2006/12/10 15:47


・・・うん、あのシークエンスは上手い、というか、ステキですよねえ。ああいう演出をデビュー作で難なくやってのけるあたり、さすがです。

話は全然変わりますが、今、毎週土曜の夜にNHK-BS2で寅さんシリーズをやってるじゃないですか。私はまったく見ていませんが、オフクロが毎週楽しそうに見てる。昨日、たまたま冒頭の部分だけおつきあいで見てたんですよ。映画本編が始まる前にちょっとした映画裏話を紹介していたんですが、そこで、小道具係の手配ミスだか勘違いだかで、本当はカード式公衆電話を用意するはずが、旧式の赤い公衆電話で寅さんが電話をすることになった。そしたら、封切り後、時代を映し出す素晴らしい演出だと絶賛された、という話をやってました。こんなミスで出来上がったシーンを誉められて、自慢しているの?山田洋次ってのはアホかと。よっぽど演出で誉められる機会がなかったんでしょうねえ・・・。私はそこでテレビを離れました(笑)。

投稿: Orfeo | 2006/12/10 18:15

▼投稿 CineKen2 | 2006/08/15 6:03:27より↑:
>(…)神社の階段のラヴ・シーンは、米英的である,という
>御宣託で(…)

▼投稿 keyakiさん | 2006/08/16 10:28:19↑
>神社の階段で出会っただけで、ラヴシーンですか。

 今度はそこも気を付けて見ました。うん、やっぱり黒澤明は官能的なんだよ…。視覚的というよりは触覚的、淀川長治先生の座右銘が「映画は見るものでっせ!」なら、黒澤明の場合は「映画は触るものでっせ!」になるかも知れない。2箇所ある。
 問題の浅間神社の階段の場は、藤田進が轟夕起子の下駄の鼻緒の交換をしてあげるんだよね。彼女は片足を三四郎の手拭の上に乗せてるんだから、多分彼の肩かどこかに摑まって体を支えているはづだし、新しい鼻緒の付いた下駄を履く時、足に触られてる。
 そしてラスト・シーンで、旅に出る藤田進を横浜まで彼女が送っていく汽車の中で、彼女の目にゴミが入る。三四郎が手拭を出して、それをとってやる…ところまでは撮ってないんですが、あれも触覚にうったえる撮り方だよね。こういったきわめて抑制された官能性に検閲がモロに感応して「米英的!」とやっちゃったのは…よくわかる。
CineKen2

投稿: CineKen2 | 2006/12/11 09:21


・・・う~ん、だとすれば、その検閲官も相当な目利きかもね(笑)。

またも話を全然変えますが、黒澤が触覚に訴えるとすれば、シェローの映画、とりわけ《王妃マルゴ》なんかは嗅覚に訴えてくるんですよね。ロードショーで見たときに、そう思いましたよ・・・。

投稿: Orfeo | 2006/12/11 12:01

▼黒澤明《續姿三四郎》(日、1945)

>「これだけ立派な腕を持ちながら花を咲かせることができない。
>なんという妙な巡り合わせでしょう。でも私、このままでよう
>ございます。ひとを押しのけず、ひとの席を奪わず、機会さえ
>あれば、貧しいけれど真実な方たちに喜びや望みをお与えなさ
>る。このままの貴方も立派ですもの。」(宮崎美子)
>(小泉堯史《雨あがる》:日、2000)

 2年後に撮られた続編ですが、これって、昔見た記憶があるのに、全然憶えてないんだよね。…そういえば…って思い出したんだけど、これと同時に見た先輩谷口千吉の《銀嶺の果て》 (1947)が、もう圧倒的に素晴らしくて、こっちの黒澤が吹っ飛んじゃったんだ。あっちは台本=黒澤明で三船敏郎の映画デビュー、谷口千吉一世一代の傑作だと思います。その後 内川清一郎の正と続を含んだリメイク(日、1965:加山雄三=姿三四郎、三船敏郎=矢野正五郎、加東大介=村井半助、九重佑三子=小夜、岡田英次=檜垣源之助&鉄心、左卜全=和尚、伊藤雄之助=門馬三郎、山崎努=檜垣源三郎、志村喬=三島総監)を見たんですが、これがまた見るも無惨な駄作でねえ(笑)…。まったくもう、黒澤明の助監督どもは揃いも揃って、全員ダメな奴らばっかりでねえ(笑)…。
 正編の2年後、物語もあの2年後になってまして、駐留軍の米国兵士が闊歩する敗戦直後。米人水兵から暴行を受けている車引きの少年を藤田進が救う。正編で大河内傳次郎が小杉義男一門を投げ飛ばすのに運河を背にして、連中に怪我をさせない配慮を怠らなかったのと同様、今回の藤田進もその米兵を埠頭まで連れていって、怪我させないために海に投げ込んでる。
 …そう、黒澤明はとても優しい人なんだよね。この資質に近いものを持ってるのが、アメリカ映画ならニコラス・レイだよね。だから黒澤は正編で負けちゃった連中がとても気になるの。志村喬は死んじゃって、姿三四郎のお陰で、柔術は柔道に破れ、柔術の連中は食うに困って、ボクシングと対戦する見せ物なんかに出て、アメリカのボクサーに叩きのめされたりしている。
 そして、その負け犬の一人、月形龍之介は正編で藤田進に敗れて以後、人が変わったようになり、柔術で敗れ、轟夕起子の小夜も失った敗残の身を肺病に蝕まれている。そこに登場するのが、月形の弟二人、同じ月形龍之介演ずる空手家鉄心と気の触れた末弟河野秋武。この二人が兄の仇、藤田進を付け狙う。最後の雪山での決闘。…そうそう、黒澤明が先輩谷口千吉の《銀嶺の果て》に決定的な差をつけられちゃったのがこの場面で、優しい黒澤先生は、この後に、再び敗れた月形龍之介を藤田進が山小屋で介抱し、そんな三四郎の優しさに末弟河野秋武も遂に、寝ている藤田進を殺すことができず、終わらせている。
(2006年12月10日:CaTV日本映画専門チャンネル)
CineKen2

投稿: CineKen2 | 2006/12/12 02:25

 それから、四十数年経ち、《夢》(1990)に。まさにこの箇所が引用されてますね。
 ただ、ネガが相当傷んでるせいか、雪原の場面がちょっと見苦しいね。雪の中で撮るのは、光線の関係で難しいと思うんだけど(撮影:伊藤武夫)、《学生ロマンス 若き日》 (1929)の小津安二郎の方が見事に撮れてるみたい(撮影:茂原英雄>飯田蝶子の旦那)
CineKen2

投稿: CineKen2 | 2006/12/12 07:30


>CineKen2さん
どうもです。
新規記事としてアップさせていただきました。
http://orfeo.cocolog-nifty.com/orfeoblog/2006/12/post_f747.html

投稿: Orfeo | 2006/12/12 08:57

▼山本嘉次郎《吾輩ハ猫デアル》(日、1936)
監督 ................  山本嘉次郎
脚本 ................  小林勝
原作 ................  夏目漱石
撮影 ................  唐沢弘光
音楽 ................  紙恭輔
美術 ................  久保一雄
録音 ................  道源勇二
出演 ................  徳川夢声 丸山定夫 藤原釜足 宇留木浩 千葉早智子 英百合子 北沢彪

  実は、山本嘉次郎は黒澤明の師匠としてくらいしか知らないんですが、その黒澤青年がPCL(後の東宝)の山本嘉次郎組助監督として入社してきた前年のフィルムで、何処のデータベースにも載ってないんですよね。画像、音響共にものの見事に修復されてCaTVでやってんだよね。驚きました。…これが、結構いいんですわ!…。
 まづは《姿三四郎》との関連ですが、例の三四郎のテーマ・ソングですな。あれはあのフィルムの冒頭にも出る、「通りゃんせ」の替え歌で、後に《七人の侍》の中にも使われているんですが、ここにちゃんと出てくるんだよ(笑)。はは〜ん、黒澤明はこれを見てたに違いねえな…。
 う〜ん、山本嘉次郎という人は、相当映画知に長けた人だったみたいね。夏目漱石の原作に対するコンプレックスなんてまるでない。ほぼ完璧に映画として再創造されているんですよね。『吾輩は猫である』には仲代達矢を主人公とした市川崑のリメイク版(>リンク:1975)もありますが、僕は問題なく、こっちの方が好きだな。ここでは苦沙弥一家に野良猫が入ってきて、それが最後に井戸に落ちて死んじゃうまでが物語を括弧に括ってまして、その中で鼻子、富子の成金金田一家と苦沙弥先生とのやり合いが社会風刺コメディーとして描かれている。迷亭が徳川夢声だと思うんだけど、ブッとぼけてて、これがかなり面白いんだね。東風がうら若き藤原釜足、英百合子なんていう大ヴェテラン、村田実の《路上の霊魂》(>リンク:604 : 1921) なんてので主役をやってた女優さんが鼻子をやってる(たぶんそうだろ…)。

>http://perso.orange.fr/kinoken2/cineken2/cineken2_cont/cineken2_archive/ichikawa.html#chat

>http://perso.orange.fr/kinoken2/cineken2/cineken2_cont/cineken2_archive/shochiku_06.html#604

 今の…否、当時だって、例えばハワード・ホウクスみたいなテンポの速いコメディーに慣れていると、この超スロー・テンポには肩すかしを食わせられる感が最初あるんですが、ちょっと我慢して見てると、このテンポがやたら気持ちよくなっちゃうから不思議なんだよね。…うん、こんな人に就いてたなら、黒澤明にとって、これはすごい勉強になったはづだよね。それに、この時代の日本映画ってのは世界でも有数の質を誇っていたという確信を持ちます。少なくとも、同時代のフランス映画よりは上を行くと思うんだけどね(笑)。
 僕がジョン・フォードの《 リバティ・バランスを射った男》(253-255>リンク:1962)へのコメントの最後で引用した箇所をもう一度引用させてください。

>http://perso.orange.fr/kinoken2/cineken2/cineken2_cont/cineken2_archive/forum0503.html#253

>(…)私が、山さん(山本嘉次郎)に書かされた、最初のシナリオ
>は、 藤森成吉原作の『水野十郎左衛門』であったが、その中に、水
>野が江戸城の表に立てられた立札の法令について、白鞘組の仲間た
>ちに話すところがあった。
>私は、それを、原作の通り、立札を読んで来た水野が、それにつ
>いて、 仲間に話すところを書いた。
>山さんは、それを読んで、小説ならこれでよいが、シナリオはこ
>れではいけない、これでは弱過ぎる、と云うと、すらすら何か書
>いて私に見せた。
>それを読んで私は吃驚した。
>山さんは、水野が立札を見て来て話すなどというまだるっこしい
>事の代わりに、水野が立札を引っこ抜いて担いで来て、それを
>仲間達の前におっぽり出し、これを見ろ、とずかりと云わせて
>いる。
>私は恐れ入った。」
>(黒澤明『蝦蟇の油』(「長い話〔二)」より)
(2007年01月01日:CaTV日本映画専門チャンネル)
CineKen2

投稿: CineKen2 | 2007/01/01 18:16


CineKen2さん、新年早々の投稿、ありがとうございます。今日はなんだから(ってなに?)、明日の朝、新規記事として立ち上げさせていただきます。

こらまた凄い時代の映画ですよね。画像を探し回ったんですが、どこにも見当たらなかった(爆)。一つだけ見つけたけど、しっかり東宝のクレジットが付いていたんで、諦めました。

どうでもいい話ですが、これって、日本映画専門チャンネルじゃなくて、チャンネルNECOでご覧になったんじゃありません?チャンネルNECOならウチでも見れるんですが、ちょうど今日の夕方、これを放送していたようなので・・・。私はその時間、BSフジの《ブリキの太鼓》を見ていましたけどね。《吾輩・・・》のほうは、チャンネルNECOで4日の朝にも放送があるようなので、その日に見てみようと思います。

投稿: Orfeo | 2007/01/01 20:37

>チャンネルNECO

 そうでした!…こちらでは1月1日15hからでした。
 そうそう、PCLは東宝の前身だから、てっきり東宝系チャンネルが放映したと思ってたんですが、きっと版権が日活に移ってたんですね。うん、それでデータベースに情報が載ってないのか!…IMDbにさえ入ってないんで、ちょっとビックリ!
有難う!
CineKen2

投稿: CineKen2 | 2007/01/02 09:26


やはりそうでしたか。記事のほうでは修正しておきました。
ところで、チャンネルNECOは日本全国同一タイムテーブルでっせ(笑)。
そうか、「夕方」って書いた私が悪かった?

投稿: Orfeo | 2007/01/02 13:16

 黒澤側の自伝に較べ、なんか全然話が違うんだよねえ…。黒澤サイドでは『蝦蟇の油』での記述をそのまま踏襲してるみたいですが、マキノ雅広サイドの話がだいぶ違うんだ。

 ”(…)伊豆から帰ったとたんに、森田信義がこれこそマキノさんの作品だと言って持って来た話が富田常雄原作の『姿三四郎』であった。
 私は(…)とても『姿三四郎』を撮る余裕はないと思う、しかし、どうです、こういう作品こそ新人にやらせてみてはーー良いスタッフ、キャストをそろえて、ガッチリと撮らせてみた方がいい、私がキャスティング・プロデューサーになって。責任を持って応援するから、と返事をした。そして、監督には黒澤明を推した。『阿片戦争』の書き直しで、彼のシナリオ作りのうまさも解っていたので、
「あの人の脚本はうまいし、きっといい作品になる」
 と、私は太鼓判を押したのであった。
 キャメラは三村明にやってもらい、キャストは姿三四郎に藤田進、柔道の先生に大河内傳次郎、女優は轟夕起子か原節子、三四郎の敵役には、松竹に話をつけて、志村喬をもって来ましょう、そして大敵には月形龍之介ーー私から大映の永田雅一に話をつけて借りて来る、どうです、これだけがっちり周囲を固めたらどんな新人だって大丈夫です、と言ったら、さすがの森田信義も「ウーン」とうなった。
 こうして森田信義は監督として黒澤明に話を決めたらしい。黒澤明も乗ったということだ。
(…)私としては、『阿片戦争』のホンの書き直しに対するお礼返しのつもりで、『姿三四郎』を黒澤明にやってもらおうと思ったのだった。黒澤明の方も、女優は轟夕起子に決めてくれた。これで都留子も東宝で正統派の女優になれるだろうと思い、作品に出来上がりを一番楽しみにした。”
(『マキノ雅広自伝・映画渡世地の巻』(1995、ちくま文庫、筑摩書房。pp. 132-134)

 …な、だいぶ話が違うだろ。両サイドの話を総合すると、黒澤明が自分用に見つけた原作を森田信義にお伺いを立てると、森田はこれをマキノ雅広に廻し。マキノがこれを黒澤に戻しちゃった…というわけだ。

引用: CineKen2

投稿: CineKen2 | 2007/09/26 22:49


・・・うん、なるほどねえ。まあ、いきなりの処女作であんな豪勢なキャストが実現したというのも不思議な話なんで、マキノ雅広のいうことも、さもありなん、という感じですかね。話に説得力がありますよ^_^;;

投稿: Orfeo | 2007/09/27 11:30

 「豪勢なキャスト」…というより、おかしなキャストなんだよね。マキノ雅広夫人都留子さん、すなわち轟夕起子さん(…だから遠慮して原節子なんかを候補に掲げてるでしょ〜笑〜)に加えて志村喬と月形龍之介という関西の大物が入ってるんだ。それにグレッグ・トゥーランド(《市民ケーン》、《怒りの葡萄》…)の弟子だったハリウッド帰り三村明なんかが無名の新人のキャメラをやってくれるかなあ?…なんて。
 だから、現行の公式ヴァージョンの質が悪いのが残念。ただでさえ欠落部分があるのに加え、ネガの状態が悪くて、あまりキレイなモノクロじゃないんだよね。
CineKen2

投稿: CineKen2 | 2007/09/28 06:59


・・・完全復活版の登場を待ちましょう(笑)。

投稿: Orfeo | 2007/09/28 17:24

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