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2006/08/27

君の名は

夏休み・特別研究レポートNo.7(最終回)

Dvdsanjuro ▼黒澤明《椿三十郎》(日本、1962)

監督:黒澤明/製作:田中友幸、菊島隆三/原作:山本周五郎/脚本:菊島隆三、小国英雄、黒澤明 /撮影:小泉福造、斎藤孝雄/音楽:佐藤勝/美術:村木与四郎/録音:小沼渡/スクリプター:副田正男/照明:猪原一郎

椿三十郎:三船敏郎/井坂伊織:加山雄三/寺田文治:平田昭彦/保川邦衛:田中邦衛/河原晋:太刀川寛/守島隼人:久保明/守島広之進:波里達彦/関口信伍:江原達怡/八田覚蔵:松井鍵三/広瀬俊平:土屋嘉男/室戸半兵衛:仲代達矢/見張りの侍:小林桂樹、山口博義、広瀬正一/睦田夫人:入江たか子/娘千鳥:団令子/腰元こいそ:樋口年子/菊井(大目付):清水将夫/黒藤(次席家老):志村喬/竹林(国許用人):藤原釜足/ 騎馬の侍:大友伸、大橋史典/黒藤家三太夫:小川虎之助/睦田(城代家老):伊藤雄之助/菊井の配下:清水元、佐田豊/足軽:堺左千夫、堤康久/侍:山田彰/腰元:峯丘ひろみ、河美智子、瓜生登喜子

ある夜、とある城下町のお寺のお堂の中に九人の若侍たちが集まっていた。次席家老黒藤と国許用人竹林の汚職粛清の意見書を城代家老睦田に提出したが入れられず、大目付の菊井に諭されて、集まるように言われたからだった。その時、奥から一人の素浪人が現れ、その大目付こそ黒幕に違いないと言い出して、一同を驚かす。事実、お堂の外は大目付配下の者たちによって取り囲まれていた。浪人の機転で若侍たちは床下に隠れて、事なきを得る。菊井の用心棒、室戸半兵衛も浪人の腕に舌を巻いて、帰っていった。若侍たちのことを見かねて協力することにした浪人は、城代家老の身が危ないと見て、彼らを引き連れてその屋敷に向った。だが、すでに城代家老はどこかへ連れて行かれた後だった・・・。

1961年の《用心棒》の続編みたいな話だが、《用心棒》のほうは菊島隆三と黒澤明のオリジナル脚本で、この《椿三十郎》には山本周五郎の「日々平安」という原作がある。ただ、この「椿三十郎」なる人物は原作では「菅田平野」という名前で、頭は切れるが腕のほうはからっきし駄目、という素浪人。三船敏郎はとにかく強くなくちゃいかん、ということで、こういう映画になった、らしい(笑)。

当然、三船敏郎演ずる椿三十郎だけはやたらカッコいいが、おかげで他からは完全に浮いた存在になっている。というか、他の連中はユーモラスの域を超えて、薄ら馬鹿にしか見えない。若侍たちにしたってそう、城代家老にしたってそう、悪役たちにしたってそう。こんなのばかりで、この藩はいったい大丈夫なのか?と余計な心配をしたくなる(笑)。一人敵方の用心棒、室戸半兵衛役の仲代達矢だけはさすがにキレ者っぽいが、彼とてまんまと椿三十郎の計略にはまる。最後の対決、あの有名な決闘の場面も、《用心棒》同様、一瞬でケリが付く。ホースから水を飛ばしているようにしか見えない(・・・事実、そうなんだろうけどw)血しぶきが噴き出る演出は、そりゃその後、いろんな映画人たちに影響を及ぼしたのは分かるけど、《乱》の血が襖に飛び散る場面ですら笑い転げていたフランス人観客たちなんかは、絶対あれで大笑いしたんじゃないの?

その三船三十郎、城代家老の奥方に名前を尋ねられて、目の前の黒藤の屋敷の塀越しに咲き誇っている椿を見て、「椿三十郎・・・もうそろそろ四十郎ですが」なんて答えるところとか(掲載画像がその場面)、周りが色めき立っている中でひとり平然とおにぎりを食べ続けるところとか、一旦敵方に身を寄せるところとか、いかにも《用心棒》のパターンをそのまま踏襲している箇所があちこちに見て取れる。その《用心棒》と《椿三十郎》、はたしてどっちがよく出来ているのかという点に関しては、人それぞれいろんな意見があるだろうが、私は《椿三十郎》のあまりにステレオタイプでウェルメイドな作り方が気に入らないので、断然《用心棒》を採りたいなあ・・・。さて、どうでしょう?

というわけで、以上をもちまして今年の夏休み・特別研究レポートは終了です。研究していたのは私じゃなくて、CineKen2さんだった、という説もありますが(笑)、お付き合いいただいて、誠にありがとうございました。さてさて、よいこのみんな、夏休みの宿題は終わったかな?学校が始まっちまうぞ!

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コメント

▼小林桂樹:「演技者・小林桂樹の全仕事」(聞き手=草壁久四郎:ワイズ出版)より

小林桂樹=(…)もともと僕を主人公に、監督は堀川弘通さんで、黒澤さんがシナリオを書いてくれたのです。大変おもしろいシナリオなんです。でも会社が、ウンと言わなくて…。地味だという事で没になったのです。それで黒澤さんがシナリオを会社から取りもどして『椿三十郎』にしあげたのです。主人公がこの映画のように強くないんです。本気かどうかわからないような主人公で…。お家騒動があって、僕が策略をろうして、最後は大成功を収めるんですが、こちらは映画と違って立ち回りはありません。そして、ラストは仕官を断った僕がお城を去って行くわけです。そして、若侍が、それを止めようと追ってくる声を聞いて僕がニコッと笑うような所で終わってるんです(笑)。本当にシャレたシナリオなんです。
 その性格をこの『椿三十郎』に出てくる僕の役に少しは反映させてはあるんですが。
 (…)当然緊張の連続と思ったんですが、実は役柄によるんでしょうが、伸び伸びとやらせて頂きました。台詞回しで芝居をしたり、顔の表情で芝居をするようなものは黒澤さんは認めません。全身です。正に全身です。当然のことながら、意外と出来ないものです。気に入っていた三船さんの芝居を見ればお分かりいただけると思いますが。(…)
(黒澤明研究会編『黒澤明 夢のあしあと』共同通信社より )
Copy&引用:CineKen2

 …そうそう、あのマンボ!あれが極めつけ(笑)…だよね。
CineKen2

投稿: CineKen2 | 2006/08/27 15:45


・・・なるほど。その小林桂樹主演のシナリオのほうは原作のイメージにかなり近いようですね。《椿三十郎》の中でも、とびきりすっとぼけた役柄ですもんね、小林桂樹は・・・(笑)。

投稿: Orfeo | 2006/08/27 18:21

▼黒澤明《椿三十郎》(日、1962)

 この作品に関する僕の考えは、多分、Orfeoさんの対極にあるんじゃないかと思います。この「夏休み・特別研究レポート」全7回に協力してきた行きがかり上、Orfeoさんの記事とは別個に、こちらの考えも書いておきましょう。
 実は、《椿三十郎》という作品、初めて見るのが比較的遅かったんです。これを初めて見た時、未だ晩年の3作は撮られていなかったですが、黒澤の映画は、それこそここに登場した《素晴らしき日曜日》(研究レポート No. 3)とか《静かなる決闘》(同No. 5)のようなマイナーなものまで含め、ほぼ全部見ちゃった後だったんです。ところが、このフィルムを見て、それまで持っていた黒澤に対する評価が、小津の言葉を借りるなら(>《姿三四郎》コメント:No. 4)100点満点で 120点くらいだったのが、一挙に 150点くらいには跳ね上がったんです。何故か?…。

▼黒澤明とどたばた喜劇:《虎の尾を踏む男達》 (1945)

 そう、非常に残念なことに、黒澤明はどたばた喜劇の天賦の才を持っていたのに、そっちの方をあまり発展させなかった。あの人は「ヒューマニストという泣き虫」という面をジョン・フォードからいただいちゃってる。《赤ひげ》(No. 6)だって、ちゃんとフォードに《人類の戦士(アロウスミス)》(1932)というエリート医師としてのキャリアを棒に振って僻地の医療に赴く医師の話を扱ったオリジナル…というか、それが発想源になっているに違いない…というフィルムがあるんですよ!。つまりそれがきわめて映画的なものだから、僕らも一緒になって泣いてあげてもいいという気になる。
 ただ、多分、黒澤明っていう人は、資質としてはむしろハワード・ホウクスに近いものを持っていたんじゃないか?…。つまり破格の喜劇的、それもどたばた喜劇の才能ですよね。ところが、自分では気が付いていない…ことは決してないのに、そいつを磨こうとしなかったんだよね。こんな残念なことはない!…と思うようになったのは、彼が終戦直前に撮って、占領軍に阿諛する日本人検閲官のために公開を禁じられてしまった《虎の尾を踏む男達》を見てからです。要するに義経の関所越えのエピゾード…つまり歌舞伎の『勧進帳』ですな…をエノケンの強力と大河内傳次郎の弁慶を主役に焼き直した。そいつを『勧進帳』の改悪、『勧進帳』にエノケンを出すとは何ごとだと難癖をつけられ検閲されちゃったわけなんですが、黒澤側の言い分としては歌舞伎の『勧進帳』こそ、能の『安宅』の改悪じゃないか!(笑)…というもの。その後進駐軍の、相当ハードな映画ファンだったらしい検閲官が、こんな面白い作品を…と一存で発禁を解除してしまったくらいのもんなんですが、僕は、今もって黒澤明の最も天才的な傑作はこれなんじゃないかと密かに考えているくらい。山本嘉次郎の助監督時代何本か就いたエノケン映画は意外と根深く彼の裡に残っていたと思うんです。それで、監督として独立して、自分もエノケン映画を撮ってみたわけだ。そう、これは《隠し砦の三悪人》(1958)の関所破りの場面にちょこっと使われてますね。それに《七人の侍》の道行きの箇所、正規に雇われた「六人の侍」たちに小馬鹿にされながら、連中の後を追っていく三船敏郎には、明らかにエノケンのイメージがオーヴァーラップしてます。
 というわけで、僕は藤田進の考えに全面的に賛成します。

>『世界の映画作家3・黒澤明』(キネマ旬報社):
>藤田進=(…)僕は黒澤明の傑作は『虎の尾を踏む男達』と言いたいで
>すね。エノケン(榎本健一)のうまさ、大河内さん(傳次郎)の風格、
>私の富樫などはもう屁みたいなもんでね…。(…)
>(黒澤明研究会編『黒澤明 夢のあしあと』共同通信社より)

▼ 《椿三十郎》という生粋のどたばた喜劇

 これを見ると、黒澤明のどたばた喜劇的才能が、どのくらい破格のものだったことがよく判るし、黒澤明自身のイメージとして、三船敏郎という役者が、まさに エノケンと大河内傳次郎をミックスしたものだったことが判るというわけよ。そういえば、この「研究レポート」では偶然、黒澤明のそういったどたばた喜劇作者としての破格の才能が発揮されているフィルムが1本も入ってないんだよね。本来、《どん属》、《七人の侍》に続き、《用心棒》(No. 1)には黒澤のそういった資質が十分に盛り込まれてもよかった。ところが、黒澤はあれをちょっとシリアスに作り過ぎちゃった。藤田進の「本間先生」が尻はしょって逃げ出しちゃうくらいじゃ、加東大介がお化けが怖いくらいじゃ、とても満足できなかったんだよ!…。その復讐戦をやったのが《椿三十郎》という生粋のどたばた喜劇なんですよ!…。ここで、黒澤はエノケン以来常に抱き続けてきたどたばた喜劇を撮るという夢をようやく実現できた…というわけだ。
 そうそう、ひょっとするとここでもまた黒澤は、師匠ジョン・フォードを見習っていたのかもね?…。フォードには喜劇もかなりあるから、以前 CineKen2に書いたように、フォードがあまり喜劇を撮らなかったのは残念だ(>239)…なんてことは金輪際言わないようにしてますが、《リバティ・バランスを射った男》(>253-255)と《ドノバン珊瑚礁》(1962)こそ同年の作品だから未だ見てなかったでしょうが、《静かなる男》(>267 : 1952)くらいは当然見てますよね。黒澤明なら《ドノバン珊瑚礁》で、あの《ハリケーン(颱風)》(>1021 : 1937)に出てきたようなポリネシアの島にある「アイルランド亭」なる食い物屋で、ジョン・ウェインとリー・マーヴィンが西部劇はだしのど派手な乱闘を演じてるのを呵々大笑いして見たはづなんだ!…。そう、あれは鈴木清順の《けんかえれじい》(1966)にも継承されてるみたいだね。あんな田舎のお汁粉屋の中で旧制高校生たちが西部の酒場みたいな大乱闘を始めちゃうんで、大笑い!…ってヤツよ。…というわけで、《椿三十郎》こそ、「彼の夢みたどたばた喜劇」というわけだ。

▼あれが映画についての映画だってことは一目瞭然

 それだけじゃないぜ。《椿三十郎》の時代劇…というより、当時三船敏郎がひっきりなしに出演していたチャンバラ映画のパロディーという面を見逃しちゃったらアウト!…。実は、日本映画にとって、チャンバラ映画というのは、それこそ映画始まって以来の伝統なんだよね。なにせ歌舞伎の殺陣の伝統があるもんで、アメリカ映画にとっての西部劇よりもさらに根強いものがあるのは、こないだ CineKen2の方に出した牧野省三《豪傑児雷也》(>613 : 1921)とか伊藤大輔《斬人斬馬剣》(>607 :1929)を一見すれば判る通り。すなわち、黒澤明はここで、日本映画始まって以来のチャンバラ映画の紋切り型を、相当誇張した上で連発してるってわけだ。しばらく前ここででクリント・イーストウッドの喜劇的側面という話が出ましたが、そう、黒澤明のまさに喜劇的な側面を見事に受け継いでいるのがクリント・イーストウッドだよね。いや、彼だけじゃなくって、ルーカスだってスピルバーグだって、ちゃんと受け継いでいる。嘘だと思うんなら、《隠し砦の三悪人》の出だし、千秋実と藤原釜足の落ち武者が喧嘩しながら出てくる箇所と、ジョージ・ルーカス《スター・ウォーズ》(いちばん最初のやつ)冒頭のロボットが喧嘩しながら歩いてる場面を見較べてみると納得がいくというわけ。
 つまり、どういうことか?…というと、こないだ出たビリー:ワイルダーの《サンセット大通り》(>921-923 : 1950; orfeo : 925-926)と同じく、《椿三十郎》というフィルムは、 チャンバラ映画、否,ひいては映画そのものに対する考察を含むメタ映画というわけよ。そもそもこのフィルムには、映画とは何か?…という自問が詰め込まれているというわけ。ただ、それがあたかも「ステレオタイプでウェル・メイドな作り方」にしか見えないところがすごい!…。こういう理屈を理屈として出してくるのは、そう難しいことじゃない。ゴダールなんかだと、何故自分が映画を撮れないのか?…を主題としたフィルムを 1960年代以来今日に至るまで、いったい何本撮ってる?…、《サンセット大通り》にだってちょっとそういうところがある。もう顕さまにサイレント時代のスーパー・スター、グロリア・スワンソンにサイレント時代最大の映画監督エーリヒ・フォン・シュトロハイムとセシル・B・デミルまで出しちゃって(おまけに二人とも映画を撮る場面があって…)、バスター・キートンまで出ちゃって、グロリア・スワンソンにチャップリンの真似までさせてる。そいつにウィリアム・ホールデンのトーキー時代の演技を対比させる…こうなると、どんな鈍い奴が見たって、あれが映画についての映画だってことは一目瞭然なんで…というところを顕さまに出しちゃってるんだね。ところが、黒澤明の方は、もうちょっと微妙でして、《椿三十郎》というのはもう理屈なしに面白い。
 つまり、理屈は大あり…なんですが、それを感じさせる隙さえ与えない、つまりこれを見て、そういった理屈を捏ねて饒舌を弄する隙さえ与えないというフィルムを撮っちゃうというのは、これは余程の奴でないとできない。大抵の奴は理屈を捏ねちゃう。だから物欲し気になって失敗する…というか、自分はこういうお馬鹿さんな映画を撮ってたって、本当はスゴイんだぜ!…というところを、何処かで見せちゃう…、つまり自意識(「ワタシは」…というヤツですね!…)というのをやっちゃわないと気が済まない、というか見せないと恥ずかしい。
 ハワード・ホウクスが決定的すスゴイのがまさにそこで、奴さんこそ、それこそ荒唐無稽なデタラメを平然とやりつつ、徹底してぶっトボけ通してみせるという境地に到った人という意味で世界映画史でもきわめて稀な例だと思います。そう、《男性の好きなスポーツ》で、ようやくロック・ハドソンと、相手役の女の子、あれは誰だったっけ?…の心のわだかまりが解け、二人がようやくのことでキス…という段になってホウクスが何をしてくれるかというと、背後にあの勇壮な「ワルキューレの騎行」の音楽が流れ、突然画面が白黒になって、横長スクリーンの両端から蒸気機関車が走って来て正面衝突する!(キートンだね)…というショットを入れちゃうほど度胸のある奴なんていません。そうそう、あれは《椿三十郎》に突然マンボが鳴り出して、小林桂樹をはじめとする侍たちが踊り出しちゃう、あれと同じ発想だよね。顰め面をした実験映画作家とか、前衛映画作家とか、松竹ヌーヴェル・ヴァーグ…とかの連中で、これほど自由奔放かつ荒唐無稽なデタラメを平気な顔してやちゃう奴というのは一人もいません。おまけに、それがホウクスというハリウッドきってのB級商業映画の超大家だというんだから、まさに唖然とする以外ないんですが、そう、線路を挟んだ森に網を渡して列車を「生け捕り」にしちゃう《リオ・ロボ》(1970)とサム・ペッキンパーが、同じくずるずるバックしてくる列車を「生け捕り」にする《ワイルド・バンチ》(>597-600 : 1969)を較べて見りゃあ、どっちが装われたデタラメをやってて、どっちが生粋のデタラメだか一目瞭然だというわけだ。
 というのも、日本映画でそれが出来ているのは、他に小津安二郎(と…「映画ってものはそもそも嘘っ八なんですからね」と言う鈴木清順)くらいなもんなんじゃないかな?…だから、黒澤明のものはほぼ全部見ちゃった後で、ようやくこれに接した時、ハタと手を打ったというわけだ。そう、まさしくこれこそドタバタ喜劇、それも、疑いもなく世界映画史上最高のどたばた喜劇の一つに違いない。黒澤明は、まさにそんなことはおクビにも出さず、まさに Orfeoさん言うところの「ステレオタイプでウェル・メイドな作り方」に徹すると見せておいて、その中に「映画とはなにか?」という問いをさり気なく忍び込ませている…というか、そっちが主題のフィルムなんだよね。
 「他の連中はユーモラスの域を超えて薄ら馬鹿にしか見えない」(Orfeo)…。いくらなんでも、これは冗談だろうと思いますが、もし、その「他の連中」に入江たか子と伊藤雄之助夫妻の二人まで含めているとしたら、これはまさに「ユーモラスの域を超えて薄ら馬鹿にしか見えない」という評言が Orfeoさんご自身へと投げ返されていきますが、それでもよろしいでしょうな!(笑)。

▼入江たか子と伊藤雄之助

 何故なら、《椿三十郎》のほんとうの主役は三船敏郎ではなくて、あの二人だからです。そう、三船敏郎が若侍たちの話を聞いて、未だ見ぬ伊藤雄之助城代家老を評して薄ら馬鹿と思われていても平然としてる「なかなかの奴」だと言う箇所があるでしょうが。あれこそ実は、この「ステレオタイプでウェル・メイドな作り方」で撮ったこのフィルムを要約する一言に違いない。入江たか子は三船敏郎に「薄ら馬鹿な奥方」なんて言われてますが、実は逆なんだよね。もちろん三船敏郎も含め、これらいづれもどたばた喜劇の典型的(ステレオタイプ)人物…というより形象、お人形さんの中で、唯一薄ら馬鹿に見えて実はそうでないのがあの二人、特に入江たか子の奥方なんだよ。
 ついでに、UKKEYさん向けに一言加えておくなら、ここで黒澤が伊藤雄之助を出すやり方がすごいよねえ。最後の最後まで顔を出さない。最後になってようやくあの馬面がドーンと出るわけだ。おまけに《生きる》で三文小説家として伊藤雄之助を撮ってるのと較べてみると一目瞭然だけど、こっちではロウ・アングルで彼の馬面が強調されるように撮ってる!。そうそうバッド・ベティカーが《復讐の追撃》>576 : 1959)でリー・ヴァン・クリーフについて同じことをやってる。最後の最後まで、目的の悪役リー・ヴァン・クリーフを出さないんだよね。終わりの方になって突然、ようやくあの獰猛な顔をドーンと出すと、言葉じゃ何の説明もないのに、あっこれが目的のヤツだったか!と一発で判る。ここでの伊藤雄之助もあれと同じで、噂ばっかりで実物が全然出ないところ、最後の最後になって、ドーンと出す。あれ、すごいよねえ…。初っ緒から噂に出てる城代家老ってのはどんな奴だろう?と思ってると、「乗ってる人よりも馬は丸顔」なんて馬面がスクリーンいっぱいいっぱいに出ちゃうんだからねえ…。最初見た時、もう笑わせられたのなんのって!…。
 …そしてもう一人、入江たか子。だからこのフィルムは、黒澤明が入江たか子に捧げたオマージュでもあるんだよ。往年の大スター…と黒澤夫妻の仲人役としての 入江たか子。

>入江たか子 『映画女優』(学風書院)より:
>矢口(陽子)さんが私の部屋に来られて(彼女が寮母役
>を演った《一番美しく》1944の時)、「黒澤さんは撮
>影の時あんまり無理なことをおっしゃって困るんです」と
>いわれる。私はこんなありがたいことはないじゃありませ
>んか。それはみんな俳優のためになることで(…)
> その後矢口さんに会った時「黒澤さん、まだ無理なこと
>を言う?」と聞いたら、口ごもりながら、「私好きなんで
>す」と言われる。(…)昭和十九年、私が目黒の清水町に
>引っ越してから、珍しく静かな日、突然黒澤さんと矢口さ
>んがお見えになって、「結婚することになりましたから」
>と挨拶された。(…)
>(黒澤明研究会編『黒澤明 夢のあしあと』共同通信社より)

矢口陽子というのは《一番美しく》で主役を演った、後の黒澤明夫人です。
CineKen2

投稿: CineKen2 | 2006/08/31 18:23


>CineKen2さん
壮大な《椿三十郎》論、ありがとうございます。何をどうレスを付ければいいのか、ちょっとまだよく分かりませんが、とりあえず、私の今年の夏の最後の研究レポートの内容がかなりおふざけ批判モードが入っていたので、これでちょうどバランスが取れて、よかったかな、と・・・(笑)。

どたばた喜劇作家としての黒澤明というのは、また興味深いテーマですね。たしかに今回の研究レポート・シリーズではその辺のところにはまったく触れることが出来なかったので、次の機会に是非追ってみたいと思います。ただ、エノケンとか、大河内傳次郎だとかのチャンバラ映画の系譜というのは~確かに《椿三十郎》を見ればこれが突然出て来たものでないということが直感的に感じられるとしても~、はっきり言って見た事ないからなあ!(爆)そもそも時代劇ドラマすら普段ろくに見ないような私が、この夏、熱心に黒澤監督の時代劇なんぞに没頭しているもんで、家の者に不審に思われているぐらいですよ。とうとうマジでおかしくなったかと・・・(笑)。あらぬ疑念を払拭するために、しばらく時代劇は封印です。だって、もう9月ですから^_^;;

投稿: Orfeo | 2006/08/31 22:32

 研究レポート1〜7+番外へサイト「CineKen2」の目次ページからアクセスできるようにしました。今のところ、目次ページのリンクをクリックすると、「Coups de coeur」ページにある1〜7+番外のリストが出てきて、各項をクリックすると、アーカイヴの該当箇所へ飛び、そこから orfeo.blogの関連箇所へ飛ぶというちょっと面倒なことになってるんですが、もうしばらくしたら直接飛べるよう整理したいと思ってます。…というのもコメントがそっちとこっちに分散してるから…。orfeo.blogのロゴは全部トップ・ページに飛ぶようリンクを貼ってあります。
CineKen2

投稿: CineKen2 | 2006/09/01 05:57


>CineKen2さん
わざわざそちらに掲載いただき、ありがとうございます。
共同企画に格上げ、ですね^_^;;
そういや、このところNHK-BSがずっと溝口健二特集をやってます。
《近松物語》、《歌麿をめぐる五人の女》などは録画済。
まだ見てませんが、そちらでのアップを楽しみにしています。

投稿: Orfeo | 2006/09/01 10:57

 僕のBBSの方での Bowlesさんへのレスにも書いたんですが(1)、どっかで旧作がまとめて修復されDVDで出たりすると、新しいプリントができてきて、突然世界中で同時に同じような企画が立ちますね。こっちでもMK2系列の映画館2館が1940年代の溝口特集を組みまして、全5本全部見ることができたので、近日中にコメントをアップロードしますが、《近松物語》はもう何度も見たし、CineKen2の方には出ませんので、orfeo.blogでお願い(笑)。《歌麿をめぐる五人の女》に較べたら、問題なく《近松物語》の方が優れたフィルムだと思います。

(1) : http://perso.Orange.fr/kinoken2/cineken2/cineken2_cont/cineken2_archive/forum0604.html#999

CineKen2

投稿: CineKen2 | 2006/09/02 18:17


NHKのはいちおう「溝口健二没後50年記念特集」ということになってますね。今年は一年中モーツァルトの番組を流しているし、こういうのがお好きみたいですね、あそこは^_^;;

《近松物語》は、もちろん香川京子目当てで録画したんですけどね。《赤ひげ》ですっかり惚れたもんで(笑)。そしたら、その放送の案内役でご本人が登場されていました。もう結構なお年でしょうが、品のいい色気がありますね、このお方は。ますます惚れました(爆)。ただ、映画本編のほうは、《歌麿・・・》ともども、まだ未見です。時代劇の方はしばらくお休みしたいもので・・・。またいずれ。

投稿: Orfeo | 2006/09/02 19:56

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