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2006/04/25

『オルフェオ』(アヴィニョン歌劇場)

Orfeo DVDライブラリーより。

モンテヴェルディ作。

豊穣な音楽がドラマを生み、シンプルな舞台がそれに呼応し、イメージが拡がっていく屈指の名プロダクション。フランスの俊英、マルク・ミンコフスキとパスカル・ポール=
アランが組んだ、奇跡のような公演。

★★★★★

Orfeo/Brett Polegato
Musica, Silvia, Proserpina/Jennifer Smith
Euridice, Speranza/Shari Saundrs
Pastore, Spirito infernale, Eco-Apollo/Rginald Carroll Williams
Pastore/Michel Marquez, Jacques-François Loiseleur des Longchamps
Pastore, Caronte, Spirito infernale/Fernand Bernadi
Plutone/Wojtek Smilek
Une amima errante/Hélène de Vallombreuse

共同制作:ナンシー歌劇場
合   唱:アヴィニョン=ヴォクリューズ県立歌劇場合唱団
管弦楽:アヴィニョン=プロヴァンス地方オペラ管弦楽団
指   揮:マルク・ミンコフスキ
振   付:リタ・ルッシ
照   明:エルヴェ・オディベール
演出補:フランソワ・プロドロミデス
装   置:ベルナール・サルファティ
衣   装:ロザリー・ヴァルダ
音楽考査:イヴォン・ルプラン
メーキャップ:キャロル・スクーニ
演   出:パスカル・ポール=アラン

[  収録:1994年3月27日、アヴィニョン歌劇場  ]

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L'ORFEO DE MONTEVERDI - OPÉRA?
  (モンテヴェルディ『オルフェオ』-はたしてオペラ?)

            Pascal Paul-Harang (translated by Orfeo)

ある種の誤りが真実の価値を持つ場合がある。例えばモンテヴェルディの『オルフェオ』が音楽史における最初のオペラであるとする主張。専門家たちは反論する。「『オルフェオ』は(実際には)オペラではない。たとえオペラであるとしても、それはけっして最初に生み出された作品ではない。」だが、しかしながら!

音楽を使って人物たちに自己を表現させ、あるいは対話をさせ、そしてまた、行動を起こさせるということ、すなわち、それまで実生活同様「語り」によって行為が成り立っていた劇場の中において、その登場人物たちに語らせるのではなく、歌をうたわせるということ、かようなとてつもない新奇的企てを思いつくということは、いかにも容易ではない。この「発明」を最初に目撃した人達は、あのリュミエール兄弟の《L'Entre du train en gare de la Ciotat》の上映会に居合わせてしまった人々と同様、間違いなくその場で驚愕、動転してしまったはずだ。

16世紀終わり頃、豊かな学識と好奇心に富む精神とを兼ね備えた、そういうイタリアの人達は皆、ギリシャ文明を再発見することに夢中になっていた。彼らは、かって「人類の黄金時代」に人々が保有していたものを蘇らせようとし、そして特に、あのギリシャ人たちが実践していたに違いないと思われるような音楽、とりわけ、ギリシャ悲劇の中で用いられていたであろう音楽(彼らはこれがその劇の最初から最後まで、一貫して歌によって表現されていたであろうことを何ら疑っていなかった)を再発見しようと試みていた。古代の規範(モデル)に着想を求めるこうした音楽家たちは、歌によって自己を表現する登場人物たちや、そうした場面とに合わせて曲を作るために、この規範を論理的に強化し、そして、既存の音楽様式(マドリガル、舞踊、etc...)と、そして完全にテキストに隷属しているがために表現上の飛躍の道を見い出せないでいた朗唱法との「コラージュ」という、いかにも折衷的な作品を立案した。しかも、その当初のいくつかの試みにあっては、説明的なプロローグと、そして、自らを正当化するための技法とをわざわざしょい込んでしまったのだ。それはあたかも、こうした作曲家たちが己の無謀な行為に怖じけづいてしまっていたかのような観さえある。

こうした同時代の人達が抱えていた迷いや困惑といったものを、モンテヴェルディはまったく持ち合わせていなかったようだ。それはおそらく、より本質的に音楽のことを深く理解していた彼が、その時代の知識人サークルを揺さぶっていたところのその論争に直接関わっていなかったためであろう。彼は音楽的で表現力に富み、なおかつ劇的な手段といったものを造作なく見出す能力を備えていた。そうした彼の努力の集中が1607年に、我々が最初の真のオペラと呼ぶことになるところの『オルフェオ』として結実することとなる。何故我々がそう呼ぶことになるかと言えば、それは彼がこの作品の中で、自分自身の技量が兼ね備えているその美しさ(それをすなわちここで列挙するならば、表現形式の一貫性、ドラマの処理の連続性、そして音楽上の、とりわけ旋律上のインスピレーションの永続性といったもの)を引き出しているからに外ならない。

もちろん、モンテヴェルディがそのオリジナリティを示したのは、彼の主題の選択の中にあったわけではない。つまり、オルフェウス伝説はその時代にもっとも人気を博していたものの一つであったのだから。そしてそれも当然のことなのだ!オルフェウスは(彼が一種の神々に選ばれた人間であるということを理解しよう。つまり、彼の母親はムーサであり、彼はアポロンの竪琴を彼女から受け取っていたのだから)まさに世間を驚かせるような美しさを有する歌を、獰猛な獣や岩のように無感動なものにさえ至るまで、それを耳にするすべてのものの心を動かし、魅了するような、そういった力を有する歌を身に付けていた、そういうギリシャ時代の神話的英雄なのである。この伝説を出発点として、モンテヴェルディは先ず何よりも一つの物語を、寓話のように単純で、かつ感動的な一つの物語を我々に語ることが出来たのだ。

しかし、この寓話の素朴さを人が軽く見てしまうとしたら、それは大変な誤りである。なぜならば、これは、それを語っているところの作品自体のまさに求心的かつ遠心的象徴そのものなのだから。オルフェオは、モンテヴェルディと同様、音楽家であり詩人であり・・・慣習や約束事といったものを軽蔑し、空虚なるもの、未知なるもの、そして挫折と失望という峻厳なる脅威、こういったものを前にして不安な夜を耐え忍んでいる、そういうアーティストなのではないだろうか?彼が切り開くその道が、やがてその作品(業績)となっていく。

夜の暗闇の中からは、輝かしい成果だけが後に残っていくことだろう。そしてその作品を世に生み出すことにより、このアーティストは他の人々、すなわち彼に似た存在であるその同胞たちと結ばれていく。たとえ彼らが、いにしえの明かりを新しい驚くべき光へと変えてしまうような芸術のプリズム、その仄暗い源泉をまったく無視してしまうとしても、それでもなお、彼らはその光線を享受し、かつ、その奇跡に驚嘆せずにはいられない。こうした欲求もまた、その作品に意義を与えるものなのである。

モンテヴェルディの音楽の旋律上の創意工夫、精彩に満ちたそのリズムとハーモニー、饒舌なる楽器法、そういった物事が、新しい芸術が美しいものであり、かつ、音楽がその胎内に宿していたものをまさに生み出したということの、そして、(ここが重要なのであるが-訳者)やがてそれをオペラと人が呼ぶことになるであろうということの、その確かなる証拠、示威表明として、現れ出して来る。オルフェオとエウリディーチェの婚礼の場での歓喜、自然界に対するあこがれ、愛する人を失うことの非業なまでの悲しみ、あるいは黄泉の国によってもたらされるところの恐怖、こういった一つ一つの感情もまた重要ではあるのだが、そうした様々な感情模様がそれぞれの挿話の中において余すところなく提示され、かつ独特の音楽的表現を見出している。

それが為にこの作品は我々に強い影響力を与え続けているわけなのだ。子供と発明家とが共有しているところのこの歓喜の力によって、『オルフェオ』は想像を絶する多彩な手法を用いながら、様々な感情の“音が出る”絵を開示し、魂の動きを鳴り響かせていく。

モンテヴェルディの没後350年を我々は祝ったばかりではあるが、創始的作品であるこの『オルフェオ』は、その作品が端緒を開いた新しいジャンルを通して、愛する者を失うことの激しい痛みと未知なるものへの恐れとを克服するこの英雄が示唆していることとまったく同様に、芸術が一つの生命力であるということの証しを我々に提示している。

(公演プログラムより)

euridiceさんSardanapalusさんのところにも、『オルフェオ』に関する記事が出ています。どうぞご参照ください。

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コメント

Orfeoさん
リンクとTB、ありがとうございます。オルフェオはあれしか見たことがありません。Orfeoさんがここまでおっしゃる「オルフェオ」、見てみたいものです^^!

投稿: edc | 2006/04/25 08:53


edcさん、どうもです。
是非、見せてあげたいです^_^;;

投稿: Orfeo | 2006/04/25 12:21

TBとリンクありがとうございます!でた、反則技!?いえいえ、実際にご覧になったのだからOKでしょう(笑)私も「オルフェオ」見るなら、ミンコフスキかヤーコプスが良いなぁ~。

>その登場人物たちに語らせるのではなく、歌をうたわせるということ、かようなとてつもない新奇的企て
うんうん。本当、緑山さん(モンテヴェルディ^^;)は当時の聴衆をびっくりさせたことでしょうね。ポール=アランの演出が見れるDVDなどはないですか?(オペラに限らず)

投稿: Sardanapalus | 2006/04/25 15:28


Sardanapalusさん、どうもです。

彼が演出したものでは、ウチにはこの『オルフェオ』の他に、あと、既に記事を出したカヴァッリの『ディドーネ』のDVDがありますが、ともに市販化される見込みは薄いと思います。私がDVDを持参して、鑑賞会でも開きましょうか?(笑)

投稿: Orfeo | 2006/04/25 17:39

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