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2005/11/10

『ディドーネ』(アンブロネイ音楽祭)

Didone_ed_EneaDVDライブラリーより。

トロイ戦争を題材とした全3幕からなるカヴァッリ(1602-1676)のオペラ。私の知る限り、国内でこの作品のストーリーを載せている辞典、サイト等は見当たらないようなので、ここでストーリーを詳しく紹介することにします。かなり長いです。

(第1幕 トロイ)
ギリシャ人たちがトロイに押し入ろうとしている。エネアにとって残された道は一つしかない。すなわち、華々しく死ぬこと。その妻クレウーサは愚かな殺生を拒絶する。己を守ることが出来ない人たちの命は救わなければならない。エネアは自分の命を犠牲にすることによって、この敗北の不名誉を償いたいと思っている。息子のアスカーニオが彼の気を静めようとするが、それも無駄だ。
ギリシャ人のピッロがカッサンドラを連れ出そうとする。コレボがそれを追い散らすが、彼は死に至る深い傷を負う。フィアンセであるカッサンドラに対する愛を吐露しつつ、彼は息を引き取る。結婚前に未亡人となってしまったカッサンドラは気を失ってしまう。
父に鼓舞されたアスカーニオはその最後の戦いに自らも出陣しようとするが、祖父のアンシースがそれを優しく思いとどまらせる。神々がエネアに与えた使命を彼に知らせるため、ヴィーナスが彼の前に現われる。その使命とはすなわち、イタリアの地に新たなトロイ王国を築くことだった。そのためには彼は逃走しなければならない。エネアは絶望する。臆病者と見なされるではないか?彼は逃亡するに当たって一緒に連れて行くために家族の者たちを呼び集める。しかしトロイを離れる前にクレウーサが死んでしまう。
カッサンドラはトロイの悲劇の中に、自分の見た悪夢が現実となっていくことを認める。粗暴なギリシャの兵士シノーヌはトロイ征服を己の手柄だと主張し、移り気な運命に関するいいかげんな哲学を吹聴する。
エネアは妻の死を嘆き悲しむ。それでも、やもめとして彼はトロイを立ち去る。ヴィーナスはトロイ人たちの逃亡に際し、彼らを守ろうとする。彼女はフォルチュナに彼らを一刻も早くトロイの岸辺から遠ざけるよう要請する。風が巻き起こる・・・・

(第2幕 カルタゴ)
カルタゴの隣国を治めるイアルバ王は、カルタゴの女王ディドーネに対する望みのない激しい恋情に身を焦がし、自分の王国をなおざりにして、ディドーネの宮殿の中をさまよっている。ディドーネはそのうるさい求愛をとげとげしく拒絶する。ディドーネは妹のアンナに向かって、恐ろしい苦悶で夜うなされていることを告白する。アンナは、その悪夢から目を背け、昼間の明るさの中に自信を見出すよう勧める。
トロイの虐殺からエネアが抜け出したことに激怒したジュノンは、トロイの人間たちを海の中で滅ぼそうと企み、エオルを呼び出す。ネプチューンがそれに対し怒りを露わにする。海は彼の領分であり、彼の許しなしに海の平穏を乱すことはあってはならないのだ。
トロイの人々がカルタゴの岸に近づいてくると、ヴィーナスはアモーレをディドーネのそばに遣わす。アモーレはアスカーニオの姿を装いディドーネに近づき、彼女に愛の炎を吹き込む。トロイの一行がカルタゴの領地に到着する。エネアは思いもかけない救済の中に運命の意思を見出す。土地の者の風を装ったヴィーナスがトロイの人々に向かって、カルタゴの人間からもてなしを得る方法を伝授する。エネアは早速大使としてイリオネーを派遣する。
イリオネーはカルタゴの宮殿でその場の者たちに向かってトロイの悲劇を物語り、彼らの心を打つ。ディドーネはその逃亡に対し、もてなしを与えることにためらうことなく同意する。幼いアスカーニオ(実際はアモーレ!)に魅了されてしまったディドーネは、魔法の力が自分に掛けられているのをまだ知らずにいる。
エネアが現われる。ディドーネは彼に対し同情を示す。ディドーネとエネアの友愛はすぐさまカルタゴの宮殿の中で噂となる。イアルバもまた、ディドーネがエネアに惹きつけられていることに気が付く。その絶望的な恋愛感情によって彼は理性を失ってしまう。イアルバがとりとめもないことを口にする傍らで、一人の老人が愛と狂気のつながりにまつわる哲学を語り出す。

(第3幕 カルタゴ)
ディドーネにはもはや休息の時がない。妹のアンナは愛に身を委ね、楽しむよう勧める。彼女の忠告に従って、ディドーネは狩りの催しを企画する。イアルバは狂気の中に沈み込む。宮殿の者たちは彼の精神錯乱をからかって楽しんでいる。狩りの最中、ディドーネはついにエネアと二人きりとなる機会を得る。
エネアがより高い使命があるというのに時間を無駄にしているため、ジュピターが怒り出す。ジュピターはメルキュールに、エネアがその使命を思い出すようにするよう命じる。メルキュールはエネアを叱り付ける。直ちに海へ戻ってイタリアへ向かい、そこに新しいトロイを築き上げなければならない。エネアはカルタゴを離れる決心をし、一同の者たちを集める。彼は眠っているディドーネに向かって最後の愛の歌を捧げる。
ディドーネはエネアが去ろうとしていることを知る。彼女はエネアに向かって懇願し、哀願し、威嚇し、侮蔑する。カルタゴの宮殿の者たちが移り気な愛を冷やかす。メルキュールはイアルバの理性を回復させ、ディドーネの愛を得られるよう計らう。イアルバは驚喜する。一人になってしまったディドーネは命を絶とうとし、悲嘆から気を失ってしまう。イアルバはディドーネが死んでしまったものと思い込む。そこで後を追って彼が自殺しようとしたその時、ディドーネの意識が戻る。イアルバの揺るがぬ愛情に心打たれたディドーネは、その身をイアルバに委ねる。

***************************

97年10月にフランスのアンブロネイ音楽祭で上演されたプロダクション(ちなみに私は同年12月のオペラ=コミック座でのパリ公演のほうを生で観ています)。歌手、合唱団、オケのメンバーともども、音楽祭の研修生が主体になっている。狭い舞台空間という制約の中で、3時間に及ぶこのオペラを途中弛緩することなく、ときに幻惑的なシーンを交えながら丹念に演出しきったパスカル・ポール=アランの手腕は見事だが、肝心の音楽がいまひとつ。これは研修生たちのせいではなく、あまり情熱が感じられないルーセのせいだと思う。クラヴサンを弾きながらの指揮だが、乱雑な部分が多すぎた。研修生たちは皆頑張っているのに、それはないんじゃない、ルーセ先生?

★★★☆

ディドーネ:クレール・ブリュア
エネア:ステュアート・パターソン
イアルバ:エフゲニー・アレクシエフ
フォルチュナ/アモーレ:オルガ・ピターチ
クレウーサ:ベアトリーチェ・ディ・カルロ
カッサンドラ:ヴァレリー・ガベル
コレボ:マーク・マクファーディン
ほか

合  唱:アンブロネイ音楽祭合唱団
管弦楽:アンブロネイ音楽祭管弦楽団
指揮・クラヴサン:クリストフ・ルーセ
演出補:フランソワ・プロドロミデス
演  出:パスカル・ポール=アラン

[  収録:1997年10月、アンブロネイ音楽祭(フランス) ]

* 画像:Guido Reni(1575-1640), "Didone ed Enea"

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コメント

 いやまた、懐かしい代物が出ましたなあ!…。僕が Orfeoさんに初めて会ったのがこのパリ公演シリーズの数日後でしたねえ。そのパスカルのパリのフラットで…。詳しくは、左フレーム内の「きのけんさんを紹介します」のコメント欄をご参照ください。
 アンブロネイ・バロック音楽祭は当時だんだんメジャーにのし上がってきたバロック音楽祭で、僕もこの年くらいまで毎年通ってました。ここは、例えばフィリップ・ヘレヴェッヘのサント音楽祭のようにある特定のアーティストの音楽活動を中核に据えた音楽祭でも、ボーヌ音楽祭のように専ら余所で制作されたものの引っ越し公演だけでやっている音楽祭とも違い、音楽祭アカデミー、すなわち研修生たちの研修活動を中核に据えたフェスティヴァルなんです。この年はクリストフ・ルーセでしたが、それがクリスティーだったり、アレッサンドリーニだったり、コープマンだったり、ガブリエル・ガリドだったり…バロックの代表的演奏家にフェスティヴァル期間中アンブロネイに滞在してもらい、研修生たちを指導しつつ、オペラなり、オラトリオなりを実際に制作してもらうという活動をメインとした音楽祭なんです。だから、ここでも出演歌手たち(クレール・ブリュアだけはもうちゃんとしたプロでしたが…)はもちろんのこと、管弦楽、合唱もルーセのレ・タラン・リリークではなく、同団体のメンバーを中心ポストに配しつつ研修生たちがメンバーになっているんです。つまり、学校出たてで、これからプロ活動を始めようとしている駆け出しの半プロたちに実際の公演の機会と経験を持たせようという趣旨なんですね。
 タングルウッドをはじめ、アメリカではこの種の教育活動を盛り込んだ音楽祭というのは珍しくないんですが、フランスではこのアンブロネイ音楽祭あたりがその嚆矢になってますね。ステファヌ・リスネルのエクス音楽祭がアカデミー部門を持つようになったのはその後のことです。
 音楽における教育部門とプロによる実際の演奏活動の場を隣接させるというのは、パリに音楽都市建設計画が立った時にピエール・ブーレーズが提唱、推進したコンセプトで、ウィリアム・クリスティーなんかもこれに協力して、それで現在あるヴィレット音楽都市には、音楽都市ホール+音楽博物館、パリ音楽院とアンサンブル・アンテルコンタンポランが隣接・共存しているというわけ。
きのけん

 

投稿: きのけん | 2005/11/13 13:01


きのけんさん、詳しい解説、ありがとうございます。いやあ、懐かしいっすよねえ、これ。寒かったなあ、あんときのパリ!私は終演後、パスカルやスタッフ連中と一緒にオペラ=コミック座のそばのカフェ・レストランで飲み食いしていたら、メトロがなくなって、ホテルまでの帰りのタクシーを探すのにエラク苦労したのを覚えています。12月のパリって、大変ですね(笑)。

ヴィレットにはルーセの資料を探すために、あそこの図書館に行ったなあ。そこの責任者がパスカルの知り合いだったんです。でも、彼女(女性なんです)、ルーセのこと、知らなかった!(爆)

投稿: Orfeo | 2005/11/13 16:25

おやまあ!…。
当時からルーセはお隣の音楽院に教えに来てたぜ(笑)。

 そうなんだよね。パリの人ってのは結構夜更かしするくせに、深夜地下鉄が動いてない。あるのは郊外の方へ延びてる深夜バスだけなんだ。それはこっちに住んでいても同じで、一度太陽劇団でそれをやられちゃって、送迎バスでヴァンセンヌの城のメトロまでは送ってくれるんだけど、その先地下鉄が終わってて、まいったことがあります。Orfeoさんのご覧になったロンコーニの《ヴェニスの商人》もいったん出来てみたら長すぎたんで、焦って開演時刻を30分くらい早めてました。

 そこへいくとNYはムラケンやドラゴンさんと飲んで騒いだ後にもちゃんと地下鉄が動いてた。さすが!…
きのけん

投稿: きのけん | 2005/11/15 04:41


太陽劇団は私もヴァンセンヌまで見に行きましたが、そんときは運よくメトロに間に合いました(笑)。あんなところでメトロに乗りっぱぐれて、取り残されたくはないですね。

NYは地下鉄もそうですけど、とにかくイエローキャブがうじゃうじゃ走ってますからね(爆)。

投稿: Orfeo | 2005/11/15 08:59

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