« 『ウリッセの帰還』 | トップページ | 最低のインテリスタ »

2005/11/29

『セビリアの理髪師』(レアル劇場)

Dvdbarbieredisivigliamadrid DVDライブラリーより。

序曲の途中、床下から黒衣の男たちが大勢現われて、小さな丸い明かり以外には何もない舞台に縦に細長い白色のセットを闇の中から次々と引っ張り出します。それらを右へ左へと移動させ、すべて並べ終わるとハイ、セビリアの街並みの出来上がり(丸い明かりは月でした)。こうして幕が開くこの舞台、その後も手際よい場面転換や趣向を重ねながら、テンポよく展開していきます。歌手陣も充実の陣容で、フローレス、バーヨ、プラティコたちが次々と軽快な歌唱を披露。ライモンディのドン・バジーリオってのも重しが利いていて愉快です。指揮のジェルメッティもノリノリで、指揮台の上で得意げに自らギターを演奏(伴奏)しちゃったりします。結末は一転ポップでカラフル。というわけで、オモロイですよ、これ(笑)。

★★★★

アルマヴィーヴァ伯爵:ファン・ディエゴ・フローレス
バルトロ:ブルーノ・プラティコ
ロジーナ:マリア・バーヨ
フィガロ:ピエトロ・スパニョーリ
ドン・バジーリオ:ルッジェーロ・ライモンディ
フィオレルロ:マルコ・モンクロア
ベルタ:スザンナ・コルドン
士官:エンリケ・サンチェス・ラモス
ほか

合  唱:マドリード・コムニダッド合唱団
管弦楽:マドリード・レアル劇場管弦楽団
指   揮:ジャンルイジ・ジェルメッティ
演  出:エミリオ・サジ

[  収録:2005年1月、マドリード・レアル劇場  ]

|

« 『ウリッセの帰還』 | トップページ | 最低のインテリスタ »

コメント

出た出た、最新版ですね。
最初が白黒で、だんだん色がついてきて、最後はカラフルでとてもきれいな舞台ですね。

アルマヴィーヴァ最後のショッキングピンクのスーツ、靴もおソロですけど、フローレスだから似合うんでしょうね。

この「セビリアの理髪師」もともと「アルマヴィーヴァ」という題だったそうで、最近フローレスとかシラグーザとか、今まで、省くのが当たり前だったアリアをいとも簡単に歌ってしまうので、このアリアがないと観客も納得しないというか、がっかりするようですね。

新国でも前回の「理髪師」はシラグーザが、難しいといわれているこのアリアを、ちょちょちょのちょいと歌って大喝采でしたが、今シーズンのは、無しだったようで、「なんだよぉーー」なんてことだったようです。(私は見に行きませんでしたけど)

ということで、あの最後のアリア、あんなのたいくつだからいらないよ、という人もいますが、フローレスが気持ちよく歌ってくれてますね。

投稿: keyaki | 2005/11/29 14:27

 ああいうアリアを歌うかどうかは、その日の調子によってその場その場で決めるみたいだよ。
 パリの《フィガロの結婚》でマルチェリーナを演ってたジャーヌ・ベルビエさん(カラヤンの2番目の《フィガロ》録音のマルチェリーナ)がそう言ってた。最終幕のあの難しいアリア。ショルティの時もベルティーニ、フォン・ドホナーニの時も、公演前に「今夜はあれ、やるわよ!」と宣言してやるんだって…。

 そうだ、《セビリアの理髪師》といえば、パリのガルニエでダリオ・フォーが演出したものは残ってないのかな?…。僕が実際に見た中でいちばん可笑しかったのがあれで、ダリオ・フォーがノーベル文学賞なんかを貰うはるか以前の演出。あの時は、コメディー・フランセーズの方で演出したモリエール《飛ぶ医者》と組み合わせて二部作みたいにしてやってましたが…。
きのけん

投稿: きのけん | 2005/11/29 16:28


>keyakiさん、
さすがはkeyakiさん、もうご覧になっていましたか。これ、国内版はもうリリースされてます?私のは輸入盤です。字幕には日本語が含まれてなくて、その代わり中国語が入ってます。これから見る方も多いだろうと思って、あまりネタバレしないように結構気を使って書いたんですよ、これでも(笑)。

新国のその話はどっかで聞いたなあ。どこだっけ?最近(・・・というか、昔からか)物忘れが激しくて・・・。いずれにせよ、フローレスはさすがに脂が乗ってますよね。

>きのけんさん、
ダリオ・フォーがアムステルダムでやった『セヴィリア』でしたら出てますけど・・・。
以下を参照あれ。
http://orfeo.cocolog-nifty.com/orfeoblog/2005/07/post_9687.html

投稿: Orfeo | 2005/11/29 17:42

>keyakiさん、

私は「Cessa di piu'resistere」を舞台で聴いたことはありません。本当にフローレスとシラグーザが出て来て可能になった傾向だと思います。ロッシーニ・ルネサンスの盛期だった80年代だって考えられなかったですよね。ブレイクが良くリサイタルでアンコールに歌ってましたが、ブッファを歌うことは多くなかった彼が舞台で歌ったことがあるのかどうかは知りません。ガルシアのために書かれたこのアリアは、「演奏不可能」ということでロッシーニ時代からカットが始まったそうですが、個人的にはこのオペラでこのアリアを切るのは、「トロヴァトーレ」で「Di quella pira」を切るようなものだと思います。
「トロヴァトーレ」と言えば、レオノーラの「恋はバラ色の翼に乗って」のカバレッタ「Tu vedrai che amor in terra」だって、ディスクではともかく、ついこの間まで、ヴェルディ自身が仏語版ではカットしているのを根拠に、舞台では「演奏不可能」でカットされることが多かったですよね。最近は頑張って歌う歌い手さんが多い気がします。
昔「これはすごい」と思ったのは、小生の勘違いでなければ、スイトナー指揮「コジ」の録音でフィオルディリージの「Per pietà」だったかがカットされていたこと!カサピエトラが低音が出なかったのか、70年代東独では録音でもこんなことは平気だったのか、小生の買った日本版LPは投売り的廉価版だったからカッティング・ミスがあったのかは知りませんが。

>きのけんさん

私も「セビリャ」でのフォーのイマジネーションの噴出には驚かされた覚えがあります。面白かったよねぇ。お芝居の方も合わせて見てなるほどと気付くアイデアもあったのでしょうか。

投稿: 助六 | 2005/12/01 09:50

>ブレイクが良くリサイタルでアンコールに歌ってましたが、彼が舞台で歌ったことがあるのかどうかは知りません。

1989年メトのLD(ヴァイケルト指揮、ヌッチ、ダーラ、バトル、ブレイク)がありますが、ブレイクがちゃんと歌っています。私の初「理髪師」が、これでしたので、あるもの・・と思っていました。
ここ数年ですね、フローレスが歌うというので話題になったのが。
2002年10-11月の新国の「理髪師」では、シラグーザが自分でギターを弾いちゃうわ、最後の大アリアは、いとも簡単に歌っちゃうわで、ロッシーニ好きの方々は、嬉しい悲鳴でした。しかもその年の6月にはボローニャの来日公演でフローレスが歌っていたんですね。両方行った方は、甲乙つけがたい、と大喜びだった記憶があります。
私も、よく覚えているのは、私が見に行ったのは、シラグーザではない日で、ジョヴァンニ・ボッタだったのですが、彼が風邪で一幕で降板して、なんとそのあとは、シラグーザが歌ったんですよ。その後の全公演もシラグーザが歌って、ちょっとしたシラグーザフィーバーが巻き起こったんです。舞台姿も可愛らしくきまっていて大人気で、一気に知名度が上がったというわけです。(ホントは若禿げだったんですけどね)
あの頃は、五十嵐さんが監督でしたから、なんだかんだいっても、イタリア系のいい歌手が来てましたね。

今回の「理髪師」は、最初から、あのアリアは歌えない歌手さんのようですから、「期待の新星ヨーゼフ・E.ケップリンガー新演出」ということで、賛否両論あるような演出だったようです。

フローレスのスカラ座の公演もTVでやりましたが、これは、フローレスなのに、歌ってないんですよね。1999年頃の映像かしら? まだ、デビューしたてで、それだけの実力がなかったのかもしれませんね。

Orfeo さん
国内版はまだ出てませんね。
まあ、演出としてはオーソドックスですので、何回見ても楽しめる演出ということで、ネタバレは関係ないことにしましょう。(笑)

投稿: keyaki | 2005/12/01 15:58


>助六さん、
お久しぶりです!
コメントありがとうございます。

>keyakiさん
どうもです。
ま、真っ先に面白いオープニングをネタバレしちゃってますから、もう手遅れですわね(爆)。

投稿: Orfeo | 2005/12/01 19:20

>助六さん

 おお!、お久しぶり。ダリオ・フォーのアムステルダム版は、Orfeoさんのコメントを読む限り、ガルニエ版と同じ制作かもね?…。お礼かたがた、
きのけん

PS:
>keyakiさん

その「ジョヴァンニ・ボッタ」というのは、昔「ヨハン・ボッタ」を名乗ってたテノールと同一人物?…。「ヨハン・ボッタ」の方は南ア出身で、学生時代にバイロイトの合唱団に入って歌ってた(僕の 1978年度のプログラムにちゃんと名前が載ってた)。パリではロバート・ウィルソン=チョン・ミュンフン版《蝶々夫人》の第二キャストで注目されて、即座にバレンボイムに抜擢され《フィデリオ》と《ローエングリン》で主役をやったんですが…。昔「アンソニー・パッパーノ」を名乗ってたイタリア系の英国人指揮者が、独立して「アントニオ」になっちゃったのとは違う?…。

投稿: きのけん | 2005/12/02 00:26

きのけんさん
>「ジョヴァンニ・ボッタ」
ナポリ出身で、1998年頃デビューの若手テノールです。
彼は、他の歌手が急病で、代役で来たのに、結局歌ったのは、一幕だけでした。国際的には活躍してないんじゃないかしら。

投稿: keyaki | 2005/12/02 00:59

>南ア出身の「ヨハン・ボッタ」
って、Johan Botha ? 1965年、南ア生まれ

数年前にウィーン在住の方から国立劇場によく出ている魅力的なテノールとして、名前を聞きました。ワーグナーとか、R.シュトラウスとかを主に歌うテノールのようでした。デイヴィッド・バアウントニー演出のトゥーランドット、カラフ役を見ましたけど、超弩級肥満で、げっそり^^; それしか記憶にない・・・

少年合唱団あがりとか、ころころの少年時代が目に浮かぶ〜〜

投稿: edc | 2005/12/02 09:53


Johan Botha と Giovanni Botta は別人ですね。前者は南ア、後者はイタリア、ナポリ出身。ついでに前者はでっぷり、後者は細身と(笑)。

私もかってパリ・シャトレ座で前者、ヨハン・ボタが題名役を務めた『ローエングリン』(バレンボイム指揮、クプファー演出、ベルリン州立歌劇場)を観ています。ボタの体型を考慮に入れた演出でしたよね。その時は、とにかくバレンボイムのあまりに勝手で独りよがりな指揮ぶりに憤慨し、きのけんさんに散々文句をたれました(爆)。

投稿: Orfeo | 2005/12/02 11:02

こちらでは、はじめまして。どうぞよろしく。

今年のペーザロのフローレスのアルマヴィーヴァ、ホント、凄かったですよぉぉぉ。ボローニャの来日公演のときよりも、このDVDの時よりもホント凄い。ペーザロだと、彼はどこよりもリラックスしてのびのびと歌っている感じがします。Cessaは、近年復活させたのは、われらがロッキー、ブレイクなんです。日本でも彼はふたつ別のプロダクションでちゃんと歌いました。私にとってブレイクというのは、どうもセリアというよりブッファなんですが。シラグーサもいいアルマヴィーヴァなんですが、どうしてもフローレスと較べられてしまって、ちょっと気の毒な気がします。しかしこの2,3年、彼は、あの天使のような声で悪魔を歌うことに目覚めたようで、一昨年だかのElisabettaのノルフォルクは第一声から驚異的でした。フローレスはあの役は絶対に歌わないでしょうし。最近のシラグーサのふっきれぶりは、実はトリエステでマイールの悪役ポリネッソを歌って以来だと、私は思っています。

ジョヴァンニ・ボッタは、ペーザロのジョーヴァネのランス、翌年のロッシーニと同時代のファルサの公演で聴きました。まだまだ、というところでしょうが、イタリア国内では結構Bキャストで出ているようです。

この理髪師、私の好みのスパニョーリが出ているのはいいのですが、やはりバーヨのロッシーニに拒否反応...。彼女、ヘンデルはまだしも、ロッシーニは歌わないでほしい...。

投稿: Bowles | 2005/12/02 14:14


Bowlesさん、コメントありがとうございます。keyakiさんのところでお見掛けしていました。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。

今年のペーザロ、行かれたんですか?いいなあ!私は、そしてきのけんさんも、いまだペーザロは行けてないんですよね。ただ、私が94年に初めて生オペラ体験したスカラ座の『マホメット2世』がペーザロのプロダクションだったもんで、もの凄く興味があります、あそこは^_^;;

フローレスやブレイク、シラグーサの詳しいお話、ありがとうございます。非常にタメになりました。バーヨは駄目ですか・・・。私的には、あの髪型だけはなんとかしてほしかったですけどね(笑)。

投稿: Orfeo | 2005/12/02 17:32

Orfeoさん:
>バレンボイムのあまりに勝手で独りよがりな指揮ぶりに憤慨し、きのけんさんに散々文句をたれました(爆)。

 …あれっ?それは全然憶えてません(こっちも爆)。僕もあの《ローエングリン》は全然いいと思わなかったんですが、要するにバレンボイムの音楽性が、ああいったワーグナー初期のロマンティックでリリークなものに合わないんだと思った(《指輪》でも最も不満の多いのが《ラインの黄金》なんです)。ワーグナーの中でも彼が最も苦手とするような作品が《ローエングリン》だと思います。
 ただ、あれからベルリン州立歌劇場で彼の《指輪》全曲を聴いてみて、ある程度納得いったところもあるんですよ。つまり、あっちのオケ・ピットというのがえらく深いんだ(わざと深くしていたのかも知れませんが)。それでオケの響きが混じり合って一塊となって聞こえてくる傾向が強いんだよね。バレンボイムというのはパリ管時代からああいう響きが好きなんで、だからショルティみたいに極端に分析的な響きが好きな人がバイロイトで失敗した(ショルティはあのピットの蓋を外させようとしてヴォルフガンク・ワーグナーと対立して1年だけで辞めちゃったでしょ。そりゃそうなんで、あすこの音響はショルティが最も毛嫌いするような響きだよね!…)のとは逆に、まさにバイロイトの音響を得て成功しているわけ。それがシャトレ座の浅めのピットだと響きが上手く混じり合わないんだ。中途半端に混濁して聴こえちゃう。おまけに、その前彼がシャトレ座で振ったオペラがシェロー演出の《ヴォツェック》で、その時、シャトレ座はバイロイト式にピットに蓋を被せていたんです。実はこれは、当時ステファヌ・リスネルが準備していた《指輪》のための実験の意味もあったんですが、僕のインタビューでもはっきり言ってる通り、これはジェフリー・テイトが厭がって、結局《指輪》では蓋を被せなかったんですが、どうもバレンボイムは《ローエングリン》とその次に持ってきた《エレクトラ》の時、あの音響をイメージしていた可能性が強い。つまり、客席にはオケの響きが一塊となって聴こえていくだろう…と。ところがそうではなくて、旋律線なんかがもっとくっきり出なくてはならないこのオペラがやけに重ったるく、響きの厚いもっさりしたものになっちゃった。《エレクトラ》の時も同様。その点、同時期にバスチーユで振ったジェイムズ・コンロンの方は、ただでさえコンロンには《ローエングリン》風の淡いロマンティズムが合っているし、バスチーユのピットをかなり上に持ち上げて、オケの響きが明晰に、分析的に聴こえるよう配慮してた。こちらの方が正解だったと思います。
…といったような話をしたのを、これを書いていて思い出しました(笑)。
きのけん

投稿: きのけん | 2005/12/02 17:50


そうそう。で、「その指揮者のいい演奏に出会うのも、聴く側の才能のうちだ」などと、私にはとても理不尽なことを言われたもんでした。そんな、パリでず~~~っとバレンボイムを聴いていたきのけんさんと、ちょっと通りすがりの私では、天文学的に立場が違うってばあ(笑)。
おまけに、その直後、ウチでバレンボイムの『ワルキューレ』(バイロイト音楽祭)のビデオを発見し(・・・録画してたこと忘れてた)、頭から見てたらこれがなかなか良くて、しきりに感心していたら、15分ぐらいで映像が突然朝のワイドショーに切り替わって呆然となり(・・・重ね撮りしてしまったらしい。ワーグナーの楽劇の世界に突然薬丸君が登場してきたんでビックラこいたよ)、「やっぱりオイラにはバレンボイムを聴く才能、ないな」と、納得したものでした(爆)。

投稿: Orfeo | 2005/12/02 21:40

…それはこちらだって同様で、例えばマルタ・アルゲリッチは僕が切符を買ったり、行こうと思ったり、否、実際に行ったりする時は例外なく必ずキャンセル。シノーポリも僕が行くと、必ずひどい演奏。それも楽員と大喧嘩とかで…ね(笑)。
 バレンボイムの場合は、なにせパリ管の音楽監督を10シーズン以上も続けていたんで、なにせ実演に接した量が多いんで、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるということもあろうかと思うんですが、小澤征爾みたいに時としてウソみたいにスゴイ演奏をする人、ヴァツラフ・ノイマンやラファエル・クーベリックみたいに出来不出来が極端に激しい人で例外的な演奏にぶつかったのは幸運と言う以外ないです。
きのけん

投稿: きのけん | 2005/12/02 23:09

>きのけんさん
>あすこの音響はショルティが最も毛嫌いするような響きだよね!
前から気になっていたのですが、きのけんさんはバイロイトの音響って本当に「良い」と思われますか?私は10数年前に一度行っただけで、しかもガレリー席2列目の「貧民席」で既に音は篭っていましたから、確信を持っては言えませんが、指揮者による違いは明らかに分かるものの、響きは(席の悪さによる篭りを差し引いても)「篭ってボケた音」に聞こえました。「篭ってボケた響き」が本当に「良い音」なのか小生は深刻な疑問を持っています。「あの素晴らしい音響は平土間で聞かなければ分からない」と仰る方も多く、大いにありうることと思いますが、そう仰る方も他の席で聞かれたことはないようですので。1)席による本質的違いがあり、「バイロイトの音」とは「平土間の音」(平土間では音が空間を漂うような独特な感覚があるという話も聞いたことがあります)なのか? 2)仮に「良い音」だとしたら、その「良い」の意味には「歌詞を聞き取りやすい」「『神秘的深淵』効果」という意味も含まれているのか? 3)仮に2)がイエスだとしたら、そうした意味を差し引いても尚バイロイトの音は「良い」のか?といった疑問を持っています。

>あの《ローエングリン》は全然いいと思わなかった
私も彼のヴァーグナーは、「ローエングリン」等初期作品に限らず好きではありません。ただ、あの重ったるく粘っこいスタイルは後期ロマン派方面により適しているのは当然で、個人的には彼のモーツァルトやベートーヴェンは大いに苦手ですが、ヴァーグナーは趣味ではないもののそれなりに面白いと思います。「ローエングリン」も半音階的和声の濃厚な音色感など、バスティーユのコンロンやエルダーの指揮では聴けないものだったと思います。コンロンの「ローエングリン」再演時の指揮は、確かに「職人指揮者」(と小生は考えています)の彼としては、「ボエーム」と並んで人が変わったようなインスピレーションに溢れたものだったと思いますが。バレンボイムの「エレクトラ」についても、ああいう飽和感の強い指揮は、シュトラウスの一面を捉えてはいるものの、特にクラウスやベームの指揮が念頭にある人からは、「シュトラウスとホフマンスタールが目指したギリシャ悲劇の『古典性』が出ない」といった批判は当然出ると思います。私が感心したバレンボイムは、ナマコがギラつきながらぬめるようなスクリャービン演奏でしたが、これとてスクリャービンに「現代音楽の父」を見る人からは異論が出るでしょう。
かと言って、反対のショルティの四角四面な指揮も小生また苦手で、人間勝手なモンです。

>Orfeoさん、
エントリ本題と関係ないコメントばかりで、申し訳ありません。

投稿: 助六 | 2005/12/03 10:10

>助六さん(12月1日):
>お芝居と合わせて見て気付くアイデア

…には答えておかんといかんかな?…。
 実は当時書き残しておいたものが行方不明で、具体的に思い出さないんですが、コメディー・フランセーズでのモリエール《飛ぶ医者》と併せて見て、ああよく似てるな…と思ったのはアントワーヌ・ヴィテーズが同じシーズンに国立歌劇場でヴェルディ《マクベス》をやりシャイヨー国立劇場でヴィクトル・ユゴーのサイクルを組んだのを併せて見た時の印象なんです。ヴィテーズは馬鹿じゃないからヴェルディの《マクベス》を演出するといったって、シェイクスピアなんかには戻らないわけ。ヴィクトル・ユゴーの劇作を下敷きにしてヴェルディを演出してるんだよね。
 ダリオ・フォーの場合も同様で、オペラとしてでなく演劇として演出してるなあ…と。それにフォーという人は、出は1960年代のアジット・プロップとか、政治的な場から出てきた人なんだけれど、古典に政治的な解釈を加えて…とかチャチな文学的な発想は絶対に採らない人だよね。あれは言謂劇場といった「文化的」な場で、古典に新解釈を…なんてオペラ的な発想は採らない人なんで、それこそアジット・プロップの時代だったら、ストをやってる工場に奥さんのフランカ・ラーメと一緒に出掛けて行って、労働者たちに混じって、その中で芝居を始めちゃうような人だったから他の言謂「演出家」たちとは発想自体が違うんだよ。それに、役者たちの動き、身体性だけから芝居を作っちゃうような人だから、その意味で、ヨアヒム・ヘルツとかルート・ベルクハウスのようなブレヒト系の人がロッシーニが大好きなのとよく似てますよね。彼らもロッシーニを徹底して演劇として演出する。特にブレヒト劇のマンガチックなところ(典型例がベノ・ベッソン)とロシアの未来派演劇の「ビオメハニカ」という技法…というのは、役者を体操選手みたいにえらい勢いで動かしまくる例のスタイルですね(クプファーがよくやるヤツ、演劇だったらユーリ・リュービモフとか…)、あれをやる絶好の場をロッシーニに見出すんだよね。だから彼らのロッシーニは純然たる演劇になっちゃうんで、純粋なオペラ・ファンからは毛嫌いされる(笑)。
 実はフォー演出版を思い出したのは、あの時僕の隣に評論家のイヴァン・アレクサンドルが座って、あいつと大喧嘩したんだよ(笑)。あまり激しく笑わせるもんで、奴が「俗悪の極み」だとヌかしやがるんだな。イヴァン・アレクサンドルってのは、ここの Orfeoさんの親友の演出家パスカル・ポール=アランなんかとも親しくて、パスカルがさかんに芝居にも連れ回していたみたいで、そう演劇に無知な奴じゃないはづなんだけど、そんなことがあるもんか!オメー演劇を知らんなあ…、コメディー・フランセーズに行って彼のモリエールを見て出直してこいよ!…なんて議論したのを思い出したからでした。
きのけん

投稿: きのけん | 2005/12/03 10:31

>あれをやる絶好の場をロッシーニに見出すんだよね。だから彼らのロッシーニは純然たる演劇になっちゃうんで、純粋なオペラ・ファンからは毛嫌いされる(笑)。

きのけんさんのおっしゃるとおり、最近フォがペーザロで演出した《新聞》の初演時は、ベルルスコーニに対する皮肉満載だったので、かなりブーとブラヴォが入り乱れていました。20年代のレヴュー風で、ハチャメチャで面白かったんですけれどね。それが今年の再演ではぐっとおとなしくなってしまって、小器用にまっとまっていて、物足りない感じでした。どうしちゃったんでしょうね。フォといえば、彼がジェノヴァで演出した《ランス》、生中継を聴いた感じでは、圧倒的な量のセリフがつけくわえられていました。残念ながら、全部よく聞き取れませんでしたが。ペーザロといえば、今年のロンコーニの《理髪師》は、ブニュエルのトリスターナ風でした。暗い《理髪師》もある意味正解かも。

投稿: Bowles | 2005/12/03 11:38

もう一個助六さんへの回答:
>きのけんさんはバイロイトの音響って本当に「良い」と思われますか?

 僕が初めてバイロイトでワーグナーを聴いた時の印象は「ギエーっ、なんだこれ!」というものでした(爆)。クプファー演出、デニス・ラッセル=デイヴィース指揮の《オランダ人》(1978)。僕も助六さん同様「貧民席」…ってたって結構高かったよ(笑)。
 良いか悪いかはさておいて、あすこの音響に本当に慣れたというか、良さが判ってきたのは、バレンボイム=クプファー版《指輪》の追い掛けをやって4年連続で行った時からでしょう。やっぱり、あれは本当に独特の音響なんで、余所では見出し難いものだと思います。ただ、僕のインタビューでのジェフリー・テイトの意見(リンク>「きのけん」下線)には全面的に賛成。後期のもの以外はどうもいけませんが、やっぱりあの音は病みつきになりますよね。要するに、あれはモノラル&アナログの良さなんですよ。ステレオが横広がりになってなくて、奥行きのステレオ効果とでも言ったらいいのか?…。あすこ以外でワーグナーは聴きたくないという人の気持ちもワカルし、リスネルがシャトレ座で、パッパーノがモネー座でピットに蓋を被せたくなった気持ちもワカル。と同様に、逆にサイモン・ラトルがアムステルダムでオケ・ピットを埋めちゃって、平土間の客席と同レベルにオケを置いて鳴らしたくなる、あれとは正反対の気持ちも判るなあ…。あの人も、バイロイトの穴蔵には入りたくない人だよね。
 一度、シルヴィオ・ヴァルヴィーゾに訊ねたら、「やー、とてもじゃないけど指揮なんかできるところじゃないですよ!。なにせ全然聴こえないんだから、私なんか歌手は彼らの口許を見ながら指揮してたし、ヴォリュームの調整なんか、客席に散らばって聴いてる助手任せでしたよ〜」という答が返ってきました。まあ、僕の質問が「あたたの《マイスタジンガー》はねえ?…」というものだったから、かなり誇張してるとは思いますが…。

▼バレンボイム
>個人的には彼のモーツァルトやベートーヴェンは大いに苦手ですが、

 個人的な趣味はさておいて、彼の行き方は非常によく理解できると思います。助六さんは1980年代初めバレンボイムがパリ管で振った演奏会形式の《フィデリオ》をお聴きになっていないでしょう。ヒルデガルト・ベーレンスのパリ・デビュー(病欠ジェシー・ノーマンの代役)。あれこそシャトレ座でやったヤツの対極にある演奏で、モーツァルトの交響曲編成、これ以上小さくできないくらいの室内楽編成。英国室内楽団時代以来1970年代のモーツァルトも総てそうでしたよね(それこそカール・ベーム全盛の時代に…)。あすこまでやっちゃったら、こらもう逆方向へ進む以外ないんだよね。それじゃなかったら、ラトルみたいに古楽器へ行くか?…(結局実現しませんでしたが、実はバレンボイムは一度フィリップ・ヘレヴェッヘに招かれてシャペル・ロワイヤル客演をOKしたことがあるんです:《ジークフリート牧歌》と《ウェーデンドンク・リーダー》!!)。まあ、1980年代にワーグナーにのめり込んじゃったことも大きいですが、ああいうタイプの演奏家というのは、しばらく同じスタイルでやっていると、自分のやり方に飽きてくるんだよね。それで必然的に別の行き方をしたくなるんだ。
 それから、あのオケの響きが一塊となって、ちょっとグチャーってなるのは彼の体質だから仕方ないやね。多分、ショルティにせよ、ブーレーズにせよ、自分たちがまったく持っていないものをバレンボイムが持ってるんで、彼をあれだけ高く評価するんだね、きっと…。そして、だからこそ彼に合った団体はベルリン州立管なんでシカゴではないんだよ。

▼シルティ:
>、反対のショルティの四角四面な指揮も小生また苦手で、

 ショルティには聴き時というのがあります。同じ公演を何度か聴くと、手に取るようによく判りますが、初日なんかは、まさにおっしゃる「四角四面」な、まるでレコードみたいな演奏なの。ところがオペラなんかでは回を追う毎に、あの極端な「四角四面」に楽員たちが慣れて、多少自由が利くようになってきた時がまさに旬なんですよ。僕はそういう瞬間に何度か出遭って、これは本当にすごい人だと思った。ヴェルディ《オテロ》の3回目か4回目の公演(初日はほとんどレコードと同じ)、パリ管とのバルトーク《オケ・コン》の3度あった3回目。《フィガロの結婚》の3度あった3回目。《ラインの黄金》の2度あった2度目。
 それと正反対なのがマゼールで、あの人は普通初日がいいんだよ。彼は一度振ると、同じものをやるのは飽きちゃうんだ。《ペレアス》の再演の時なんぞ、最初の2度くらいはえらく頑張ってるの。指揮台に立ちっぱなしで…。そしたら3度目の途中からドスンと椅子に座っちゃって、それ以後ダラ気っぱなし…。もう飽きたよ!ってな感じなんだよね。
きのけん

投稿: きのけん | 2005/12/03 12:20

Bowlesさん:

おお!あの時いらっしゃった!!
僕は、こらスゲー!ってんで、相当早く申し込んだんだけれど、プレスはもう満員!なんて断られちゃった。なんだ、席取るの、バイロイトより難しいじゃん(笑)…なんて。それで悔しいから Orfeoさんに当たり散らした…んじゃなかったけ?(笑)。
きのけん

PS:
ベルルスコーニっていえば、イタリアの文化予算削減、激烈だねえ…。オペラ部門の文化予算が222百万ユーロから143百万ユーロへ削減だってよ!40%減!…これじゃあ従業員に給料払ったら何も残らんじゃない。ただでさえ、あすこの国の文化予算は国家予算の 0.33%に過ぎないのにねえ…(フランスは1%弱)。

投稿: きのけん | 2005/12/03 12:42


なんか、私の入り込む余地がない(爆)。

助六さん:
>エントリ本題と関係ないコメントばかりで

いえいえ、全然構いませんので、ジャンジャンやっちゃって下さい。そのほうが面白そうだし・・・(笑)。

きのけんさん:
>それで悔しいから Orfeoさんに当たり散らした

そういや、そういうこと、ありましたね。なんだ、『ローエングリン』のときの私といい、互いに鬱憤を晴らしていたわけだ(爆)。

投稿: Orfeo | 2005/12/03 13:13

>きのけんさん、
いつもながら、直ちに眼からウロコのご説明を付けて頂き、感謝です。
バレンボイムがパリ管と室内オケ編成で「フィデリオ」をやっていたのはまるで知りませんでした。かなり前ですが、ラジオをつけたら大変端正なモーツァルトのピアノ協奏曲の演奏が流れてきて、誰だろうと考えても分からず、アナウンス聞いたらバレンボイムとイギリス室内管で、自分の知っていたバレンボイムのブヨブヨしたモーツァルトとはまるで違うので戸惑ったことがありました。小生はバレンボイムがイギリス室内管とやっていたのは、指揮者としてのキャリアの初期で本当は大オケを振りたいけど、契約上も指揮技術上もまだ叶わなかったのだろう位に考えていたのですが、様式上の模索の一段階としての意味もあるというご指摘にはなるほどと思いました。
ブーレーズが、様式的に正反対のバレンボイムとベルクやバルトークをやる理由も今まで分からず仕舞いでしたが、人間確かに自分にはないものを本能的に求めるところはあるでしょうね。
またお願いします。余りご迷惑はお掛けしないつもりではいますが。

投稿: 助六 | 2005/12/04 09:07

>助六さん:
>誰だろうと考えても分からず、アナウンス聞いたらバレンボイムとイギリス室内管で、

 この過程を僕はリアル・タイムで追っかけることができたんですが、僕らは 1970年代の英国室内楽団やパリ管初期の演奏が頭にあるもんで、当時随分戸惑ったもんなんです。あいつがワーグナーに狂いはじめて、ドビュッシーの《海》なんてすごいうねるんだもんねえ…。最初は、あいつ気が狂ったのかと思ったよ(笑)。まあ、モーツァルトだけは、シャンゼリゼでモーツァルト音楽祭をやっていた頃までは結構端正でしたが、最も変わったのがベートーヴェンだったかも?…。最初の《フィデリオ》(ベーレンス、イェルザレム、シェイラ・アームストロング、グウィン・ホーウェル…)はちょっとサイモン・ラトルがシャトレ座で啓蒙時代管を振ったあれを現代楽器でやったという感じで、あまりにオケが小さいんで、あれーっ?…なんて(笑)。当時パリ管は会議宮(3600席)で公演していたから後ろの席なんかではロクに聴こえなかったんじゃないかな?…。ベーレンスは当時カラヤンの《サロメ》が出たばっかりで、突然パリ管に出ちゃったもんでびっくり。いや、あの頃のベーレンスは、ちょっと奇跡的な歌手でしたよ。初っ緒の四重唱で彼女の声が挙がるなり、背筋に冷たいものが!…なんて体験、そうありません。あまりにあの頃の印象が強いもんで、それ以後は…ね!。

 そういや、バレンボイムはロッシーニはやってないんじゃない?…。まあ、やってくれない方がいいんだけど。あんなに粘られちゃったら…ねえ(笑)。でも、昔なら出来たんですよ。チマローザの《秘密の結婚》…だっけ?、結構良かった。
きのけん

投稿: きのけん | 2005/12/04 18:34

Orfeoさん、こちらからもTBさせて頂きました。
伯爵のアリア"Cessa di più resistere!" ウルトラCの歌だと認識すると、ありがたみが倍増です。(笑)

投稿: keyaki | 2005/12/24 22:08


keyakiさん、TB返しありがとうございます。
そちらの聴き比べ、楽しかったです。
また期待しています。

投稿: Orfeo | 2005/12/25 09:52

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/122009/7362966

この記事へのトラックバック一覧です: 『セビリアの理髪師』(レアル劇場):

» 《セビリアの理髪師》Cessa di più resistere [keyakiのメモ、メモ.........]
 ブログ仲間のSardanapalus さんの記事で、コヴェントガーデンで上演中の愉快な《セビリアの理髪師》の話題が取り上げられています。 そこで"Cessa di più resistere"は歌いましたかぁ〜というのが話題になっていますので、三人のアルマヴィーヴァ伯爵のフィナーレの大アリアをアップしてみました。(下の顔写真をクリックすると見られます) このアリア、至難のアリアで、カットされるのが当たり前になっていたのをロッシーニ・ルネッサンスとやらで復活したというか、歌える歌手が... [続きを読む]

受信: 2005/12/24 22:03

« 『ウリッセの帰還』 | トップページ | 最低のインテリスタ »